お母さんオリジナルの自主勉ノート作りは退院後も続き、子どもが4年生になるまで続きました。


4年生も後半になると、四谷大塚の予習シリーズも少しづつ難しくなり、お母さんオリジナルの自主勉ノートによる学習では難しくなってきました。


中学受験対策塾の短期講習をお試しで受けてみたら、とてもわかりやすいうえに、友達もできて、楽しかったとのことで、塾へ通うようになり、予習シリーズは4年生で卒業しました。


うちの子のときは、大半の子が3年生の2月から入塾しているので、ついていけるかとても心配でしたが、予習シリーズを自主勉していたおかげで、何とかスタートすることができました。


塾が始まっても、小学校の自主勉ノートの宿題は続きます。

自主勉ノートのルールに、市販の問題集のコピーを貼り付けてはいけないというルールがありました。

そこで、子どもがテストで間違えた問題をアレンジして自主勉ノートに手書きし、子どもに解答させるようにしました。

そこでまた間違えたり、解答があやしいときは類題や、わからないと思われるところまで遡って自主勉ノートを作るようにしました。


こどもも何度も繰り返すことで、間違いの大元に気づくことができたのかなと思います。

最終的に、テストの間違い直しをベースにした、自主勉ノート作りは、小学校卒業まで続き、6年生では教科ごとに作り、苦手克服ノートとして使用しました。


このノートは、中学受験当日にも子どもは受験会場に持ち込み、振り返りを行ったみたいです。

間違える問題は、子どもがしっかり理解していないところで、苦手をあぶり出して、間違えないよう繰り返し、理解を深めることで、学習内容の定着に役立ったのかなと思います。


本来の自主勉ノートは、子ども自身が主体的にテーマを決めて学ぶべきものかと思いますので、私のやり方は、子どもの自主性を育てるという意味では、間違っているのかもしれません。

中学受験塾も通う子どもにとって、学校の宿題にまで時間を割かれてしまうと、友達と遊ぶ時間も、ゲームをしたり、ゆっくり本を読む時間も全くなくなってしまいます。

そんな時間を効率よくやりくりし、オリジナル問題やコメントを通じて親子のコミュニケーションツールとして、自主勉ノートを活用していたような気がします。



話はそれますが、


なぞときで有名な松浦亮吾くんのお母さんも、亮吾くんが中学受験の際、私と同じようにテストの間違えた問題だけを集めたオリジナルノートを作っていたみたいです。


また、亮吾くんのお母さんも、当時、乳がんを患っていたとのことで、当時の私と同じくガンの治療を受けながら、この子の為にできることを考え、同じようなことをしていたのだと思うと、切ない気持ちになります。


自主勉ノートを嫌がることなく、頑張ってくれる子どもの姿に、私自身も頑張らなきゃと、励みに思うことができたし、私自身、生きようと治療を頑張れる、大きなモチベーションになったのも事実であり、今、こうして生きていられるのも、子どものおかげなのかなと思っています。


きっと、亮吾くんのお母さんも同じような気持ちで頑張られていたのではないかと思っています。