どうも。
長いこと開けましたね。
寮では日々、いろんなことが起こります。
学校から日々なる電話のトラブルシューティングぐらいならいいのですが、13歳〜16歳の多感な子の信号を受け入れながら日々奮闘しているわけです。
彼らを受け入れなければ、こんなに笑ったり泣いたり怒ったりすれ違ったりすることもなかったろうと思うのです。
ここに集いし子たちは様々な思いがあり、ここにおります。
サッカー選手になりたい人
文武両道を目指し、楽しくプレーしたい人
ナガレナガレついた人
なーんとなくで来た人
以上の理由の子達を受け入れたからには受け入れた側のプレッシャーもかなり大きくあります。
それはこの子達を一人前の人間にしてあげなきゃという人間育成の類のものと、個々の夢を叶えてあげなきゃというサッカーの類のことです。
まぁ…そりゃ戦いますよ🪖🪖🪖
君たちは何をしにきたんだい?どう生きるんだい?というベタベタなやつです。
彼らはそれをしばしば忘れます。
それはもう要介護レベルに等しい忘れん坊です。
彼らも日々の忙しさの中で、或いはホームシックや日々襲ってくる不安という化け物との対峙によってわすれるというか、横に置かざるを得ないのです。
私は彼らにとって、監督であり、父親であり、たまには友だちや先輩でなければなりません。
多感な彼らの葛藤は計り知れないものがあります。
そんな彼らと時に戦い、向き合って、心の汗を流し続けることで、私自身ブラッシュアップされる感覚はあります。それは彼らもそうなのかもしれません。
彼らを預かって相応しい人間性を私が備えているかと言うと、自分を客観視してそんなことはないと思います。
もちろん足りてないかとばかりなのですが、心をぶつけるには多大なエネルギーが必要です。
今の自分にはそのエネルギーがあるということでしょうから、人様の大事なお子様の人生を預かっているのでしょう。
しかし彼らは時に口走ることと、行動とが矛盾することがあります。
私自身はそれが許せなかった。
だから沢山戦いました。
…んが、何も生まれなかった。
厳密には生まれたと思いたかったというところでしょうか。
そんな日々の中で、私の考え方を強く変える出来事に出くわしたのです。
奇しくも、寮生からではなく…今はクラブをクビにしてしまった高校生のその後の人生から学んだのです。
遡って、その高校生の彼には少年の頃からの付き合いで、何度も何度も話しながらなんとか共に進んできました。
そんな彼が高校生になって…何度も何度も私が伝えたことを上回って破り続ける様に諦めてしまいました。
「もうお前クビ」
これで私は正直楽になりました。
もうコイツのことで苦心したり、悩んだり、誰かに謝らなくて済むじゃないかと。
その後、彼は不幸に見舞われます。
その一報を聞いた時、「ほら、言わんこっちゃない」という思いと、「あ、俺のせいかも」という感想が湧いてきました。
彼が中学生の時に、君がちゃんと生きることを諦めへんから、君もキチンと生きなさい。と諭していた自分を思い出したのです。
俺は何度も何度も彼の尻を拭くのに疲れ、彼と約束したことを忘れていました。
忘れん坊の寮生たちのことは言えません。
諦めてたのは俺で、諦めなかった俺がいたとしたら、このようなことにはならなんだろうと。
自分の中で3回は許すという、どっかで聞いた仏の顔リミッターを設けていたのかもしれません。
4度以上許せて、仏(シャカ)なんではなかろうか。
そんな彼らとの日々が私を成長させてくれます。
どんなことがあろうと「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと」
これが人育ての上で…一番大事マンブラザーズやってことです。
ではまた。