人の数だけ欲しいものがあり、人の数だけマーケットが存在している。
好みの食や飲み物、好きなアーティストや週末の過ごし方まで。
「欲しい」という気持ちには、誰として「まったく同じ」ということは絶対になくて。
「欲しい」と感じるのは、「心が躍っている」からで。
「欲しい」と感じるのは、メリットを打ち出したからじゃなく、提供する側との共鳴が起こったからであって。
「◯◯になれる◯◯なメソッド」
というメリットを打ち出すことで、反応することはある。
けど、物が溢れきった世の中だからこそ、メリットで反応することはあっても、「欲しい」と思われることは、昔よりかは減ってきた。
つまり、メリットでは共鳴しなくなった、ということだ。
「買っておいたほうが得やろな〜」と反応しても、どこか自分の本音を無視していて、共鳴せず「欲しい」には至らない。
そして、「自分を無視して買った」としても、そこには共鳴せず、心踊らないから、買った後で後悔してしまうんだ。
高額商品などで後になってクレーマーになる人は、お金を払う時点で心が躍っていない。
もうハッキリ言ってしまうと、クレーマーにも問題がある。
「ダマされた」んじゃなく、「自分をダマした」んだから現実として起こっているのだから。
「買っておいたほうが得やろな〜」
「買ったらラクできるやろな〜」
の「得がしたい」「ラクができる」というその欲求。
メリットで反応したものなのか。
それとも心が躍り共鳴したもので、「変わりたい」「起爆剤が欲しい」「本当の自分になりたい」と思い共鳴するものなのか。
後者ならば、見返りを求めず、自分中心に生きた世界なのだから、より豊かさは循環していくもの。
そして後者に生きるのならば、「行動できない」なんてウソだから。
心が躍ってしまうのなら、好きなアーティストのライブ会場にはワクワクしながら足を運ぶもの。
好きなアーティストのライブ会場には、「行き方が分かりません」という人はいないように、行く前に、グーグルで行き方を調べたり、それでも分からなければ友人または交番の人に聞いて、行き先をぜんぶ把握するのだから。
本当はぜんぶ知っている。
「行動できない」んじゃなく、「心が踊らない」んだ。
本当の自分なら、「心の踊らせ方」をぜんぶ知っているのだから、「行動できません」なんてことはない。
『メンタルブロック』やら、『本気になりましょう』といったものは、
本当の自分を生きる人の世界には存在しないものなんだ。
だからこそ、自分生きる人は、心地よい日常で、軽快に生きているもので。
「お前はどーなんだ?」と聞かれれば、行動が重い時もあるし、軽快じゃない時もある。
けど、以前の僕よりかは随分と軽くなったし、本音とつながる時間もずいぶんと増えてきた。
もっと言うと、お店でお金を払っても、商品を置いたまま出てしまい、「お客様〜!」と『店員さんwith商品』が追いかけてくる時もあるけどw
それたw
僕が本来の自分を思い出してく中において、重要だと感じたのは、
気合いれて本気になるんじゃなく、本来の自分を思い出すこと。
本気になるための起爆剤より、本来の自分を思い出す起爆剤を。
本来の自分を思い出すことは、才能に触れることでもある。
ということ。
人と話すことでエネルギーでてくるのに、家にこもってパソコンばかり叩いていても、
フリーとして何の束縛ない環境だからこそ発揮できる才能でも、組織の中では発揮できないのも、
本来の自分を置き去りにしているからで。
才能に触れていると、軽快に行動できるもの。
そして、本音とつながれるから。
人の数だけ才能があり、人の数だけ物語があるから。
誰のものでもなく、あなただけの物語を描いていこう。^^
本当の自分を取り戻し、新しい概念を世の中に打ち出す4ヶ月グループセッション