ヒトが死ぬ時 | えっせの自分探し

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ヒトが死ぬ。

それがいつなのか、なにが原因なのか、その時どれだけ悲しんでくれる人がいるのか、独りぼっちで死んでいくのか。

それは、本当にその人の運命だと思う。

神様というものがもし存在するのなら、その神様が決めたことに従うしかないと思う。

仕事柄、自殺未遂で病院に運ばれてくる人と接する機会は少なくない。

けれど、病院に来てしまう位の人なので、だいたい運びこまれたときはどんなに具合が悪くとも、復活してしまう。

(病院に来ない人、というのは、つまり救急車に乗せてもらえないような人。救急車というのは、蘇生の確率がなければ乗せてもらえないものだから)

だいたい、人はそんなに簡単には死のうと思って死ねるものではない。

首を吊ったって、無意識に暴れて首のロープが外れてしまったり、手首を切るなんて問答無用。

薬をたくさん飲んでも、一気に血中濃度が上がってしまうと、これまた無意識に薬を吐き出してしまう。一酸化酸素中毒も一時期はやったが、あれも早く発見されてしまえば、後遺症だけしっかり残って、生き続けることになる。

飛び降り自殺しても、どこかの俳優さんのように信じられない高さから「飛んで」も生き残って、社会復帰を果たす人もいる。

かと思えば、もっと生きたい、生きて欲しいと懇願されながらも、その日が来ると、亡くなってしまう人もいる。

誤って、ほんの数メートルの高さから落ちた人でも、打ち所が悪いと、亡くなってしまう。

私もあまりの辛さに、自分で自分の命を無くしてしまうことも考えたが、きっとまだ運命で決められた時期でなければ、死ねないんだと思う。

後遺症を抱え、周りに迷惑をかけながら生きていくなら、自分が辛いのさえ乗り越えてしまえば、生きていける。そう信じている。

そして私は、必ず今の障害を乗り越えてみせる。

けれど、心のバランスを取るのが限界に達していた私は、薬に頼らざるを得なかった。

今も、薬を必要としている状態だけれど、いつか、いつか、この薬たちと少しずつお別れして、同じような思いをしている人の気持ちが一番分かる人間になって行きたいと思う。

それが出来たときが、私が「もう生きていなくていいよ」と神様から言ってもらえる気がするから。