「」を少々 | 上原和音の似非随想 -Esse Essay-

上原和音の似非随想 -Esse Essay-

心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく書き連ねるつもりの、エッセイじみた企画をば。あやしうこそものぐるほしけれ。

かぎかっこはおそらく昔の日本語にはなくて、明治辺りで作られるか輸入されるかしたんだと思いますが、今となっては欠かせないツールですね。

会話を表すのが代表的な用法かと思います。

昔は会話を庵点(いおりてん)というので表してたそうです。

わかりますかね、古文で文の上にあるぐにゃぐにゃっとしたやつのことです。

変換で出ないんですけど、



をもうちょっと平たく伸ばしたような感じです…。

でまぁそれはそれとして、「」には会話の他にもう一つ大事な用法がありますね。

ぱきっと説明するのは難しいですが、具体例を示しますと、

オリエント急行の殺人




オリエント急行の「殺人」

には看過できぬ違いがありますよね、ということです。

これ、アガサ・クリスティの小説を実際に読むと「殺人」という風にかぎかっこを付けたくなる気持ちが分かると思います。

だってあのストーリーを読まされれば誰しも一度は…いや、ネタバレは避けましょう、とにかく、かぎかっこは記号のくせになかなかすごい奴なのです。


他にも何でもできますよね、「人工衛星」とか、「国民の生活が第一」とかね。


いや、毒を吐くつもりはないんですけども。


はい。


まぁ、今回はそんなかぎかっこに関する「考察」でした。