箸休め的な気になった話題です。
最近のニュースで、ドイツのシュヴェービッシュ・グミュントの市長が、2025年10月から学校で生徒による清掃の時間を設けると提案し、世論を二分する騒動に発展したそうです。
私は小中学生時代に、そして社会人になってから西欧のある国で生活していました。
このニュースにはデジャヴを覚えました。
「清掃員の仕事を奪うのか」
「子どもを無給の清掃員扱いするのは人権侵害だ」
「子どもは学習に集中させるべきだ」
まったく同じ議論を、私も現地で何度も耳にしました。
駐在中、日系企業として河川周辺のボランティア清掃を企画したことがあります。
そのとき、不参加だった現地幹部社員のひとりが言いました。
「私が出したゴミではないのになぜ私が参加する必要があるのか?」
もちろん強制はしませんでしたが、その言葉が今でも印象に残っています。
(日系企業だったかもしれませんが、)家族連れで楽しそうに参加してくれた社員も多く、文化や価値観の違いを肌で感じた瞬間でもありました。
サッカーの国際試合のあと、日本人サポーターがスタンドを清掃する姿が世界で称賛されることがあります。
日本人にとっては特別なことではなく、「使った場所をきれいにして帰る」という、
ごく自然な習慣にすぎません。
何が言いたいのかというと、、
もちろん文化は違うし、正解もひとつではありません。
一方で日本で学んだことが、必ずしもグローバルスタンダードではありません。
けれど、日本人の「清潔にする心」や「共同で環境を整える姿勢」は、世界に誇っていい価値観だと思います。
同時に、彼らの考え方や文化も尊重したい。
ただ、ヨーロッパでは現実として、清掃の仕事を担っているのが移民やマイノリティの方々であることも少なくありません。
その光景を目にするたびに、
「労働と尊厳のあいだにある線」は、国によってこんなにも違うのか、そんな複雑な思いが胸に残ります。
文化は違っても、
「きれいにすること」
自体には、どこの国でも静かな力がある。
それを教えてくれたのは、日本で過ごした日々だったのかもしれません。