さて、今回はまたおじさんの少し昔話を。


私は30数年前、日本の高校受験を経験しました。

 

海外の中学に通いながら、父親の「5年で帰任するからな」という、今思えばずいぶんざっくりした“約束”のもと、ほぼ帰国タイミング=高校受験が決定。

当時の私は、とにかく「早慶に行くとカッコいいらしい」という、今聞くと恥ずかしくなるレベルの“イメージ受験”。
 

先輩も行っている。雰囲気がいい。スポーツしたい。もう受験勉強したくない。
 

──そんなふんわりした理由で志望校を決めました。

 

帰国子女枠ではありましたが、試験内容は日本の受験生とまったく同じ。
ただし競争相手は世界中の帰国子女。

 

そして当時の欧州といえば、ロンドンとデュッセルドルフが桁違いの進学校タウン。
日系の塾が常駐し、受験エリートたちが仕上がっていく魔境でした。
 

一方、私の住んでいた国は英語圏でなく、塾も夏期・冬期講習に1~2週間日本から出稼ぎ授業に来てくれる程度。


「帰国子女=英語に強い」という固定観念に、私は微塵も当てはまりませんでした。

当時の倍率は、

 

・慶應高校:約5倍

・慶應志木:それより高め(募集人数が少ないため)

 

偏差値も志木は70超え。
“気合いと根性では突破できない壁”というやつです。

 

そんな志木の受験本番。
最初の教科が数学。
これがもう、笑ってしまうほど分からない。

 

問題をざっと見渡して、「解けそうそうなものが一つもない」という衝撃。
 

開始10分──いや実際は5分かもしれませんが──数学を得意科目にしていた自分としては身体が完全にフリーズしました。

 

冷や汗、動悸。

あー、いますぐ教室を飛び出して帰りたい。
 

どうにか気持ちを立て直して解きましたが、手応えはゼロ。30点取れてるかどうか、そんなレベル。

 

英語と国語は可も不可もなく終わり、帰り道は友人とゲーセンに寄って現実逃避。
(そして塾の先生から烈火のごとく怒られる。なにせ志木がトップバッターで、このあと受験が続くのですから。)

※日本に帰国後、寮がある塾に1ヶ月ちょっといました。

 

 

ところが、人生とは摩訶不思議。

 

結果は、、

 

慶應志木、まさかの正規合格。

 

 

一次試験の番号を見つけた瞬間は、文字通りの青天の霹靂。
二次の面接も面接官の反応が妙に良く、これは「バチッとハマった」という感覚がありました。

 

一方、慶應高校は補欠合格(当時のB)。
 

とはいえ数日後には繰り上げの電話が来ました。

 

実は私は、志木に通う気満々でした。
二次試験に付き添ってくれた母が、同じく受験生の母親と異様に仲良くなり、

 

「今日知りあった子のお宅の部屋が余ってるから居候させてくれるってよ!」


という子どもには判断不能な“母同士の謎ネットワーク”がすでに完成していたのです。

 

当然、志木には入学金を振り込んでいました。
しかし、慶應高校の繰り上げを聞き、
「自宅から通える」という現実的メリットに勝てず、進路変更。
幸い、入学金は転用できたと記憶しています。

 

当時の受験を通して学んだことは、こなだのWSのドジャースじゃないですが、9回になっても

 

受験は最後の1秒まで何が起こるか分からない。だから諦めてはいけない。

本番で心が折れかけても、もう一歩だけ前に進む。
その一歩が、人生の扉を開けることがある。

 

 

長くなったので、今回はここまでにします。
 

次回は、最近また話題になっている大学の入学金“二重払い問題”について、
娘の体験も交えて書いてみようと思います。