Vol.1
久しぶりの京都駅。
烏丸中央口PORTA入口付近から、藍色の夜空を見上げる。
上弦の月が寄り添うように、京都タワーのてっぺんにくっ付いている。京都で一番背の高い、同級生。それが京都タワー。
どのみち、今回のUターンだって、誰にも知った人には会えないだろう。いや、会いたくない。
ただただ90歳を越えた父親の、健康状態悪化のために、私は一旦帰るのだ。
【膀胱がん】なんて、またあの母親の大げさな愚痴❓。それが本当なら『帰ってくるな』なんて言わないで欲しい。
いつも、あの母親の云う事は矛盾していて感情を吐き出すだけだ。任せておける訳がない。
心理的に父を追いつめて、余計に気力を削いでるのでは❓
自分の父親の最後は、自分が看とる。
それが、好きなように生きた娘の感謝の恩返し。何にも要らないけど、何か恩返ししておきたい。
いつまで滞在なんて決められない。できるだけ長生きして欲しいし、小康状態になれば、また働きに出よう。
そんな風に思い巡らせながら、電車と新幹線を乗り継いで、ぼんやり移動していたのだ。
『私は一生、反抗期』と投げかけた言葉通り、とことん父の望む道を避けて通って来た。
母に至っては理解さえできていない。娘の食物アレルギーさえ知らなかった、ただ絵に描いたような家庭を望んでいる、女性。
母より父の方が、思春期には理解の深い対話を作っていた。なぜ私は学校の教師には成らない成りたくないかを、時間かけて話し合いしていた。
だから用意された環境の、その先にあるルートを歩かなかった。18歳で故郷を出る前から決めていた事だ。
バスケットボール部の顧問として、土日祝日こそ忙しく近畿大会へ毎年引率する、父。問題児のために東奔西走していた、父。
校長として、最後は田舎の象徴な中学校で穏やかに過ごした、父。再雇用で、新任教師の講師として非常勤で勤める、父。
途中から、友人知人ご近所の情報でしか知らないが、
「もう1年くらいや。最後は帰って来てくれや。。。」
と、初めて父が受話器越しに弱気を吐露してくれた。
私は追い出されたんだ、と思い過ぎていた。
折り合い悪い母でも、私よりも傍に居てほしいという事実に、ストレスで逃げ出したが、自分の意志で看取りたい、最後は恩返ししたい、という気持ちを初めて、貫いた。
お父さんだけは私が守る!
何にも見返りなんか要らないけど、面倒見れるのは私だけや!
あんなに気落ちしてたら、いくら最先端医療の恩恵を受けても、生命の延長は困難かも。。。
私の笑顔や前向きな言葉や身の回りの世話を手伝うことで、いくらかでも、元気な笑顔を取り戻してはくれないのか。。。
もう少しでも、永く生きて笑顔を増やしたいと、志してはくれまいか。。。
眠りについた父の姿に少し安堵してから、私はため息をひとつついた。
ふと、京都駅八条口側から山陰線嵯峨野線へ移動する時、何気なく思い出した事、反芻してみた。
二十代半ばで首都圏へ上京してから、今までその直前約1年間をフラッシュバックした事がなかった。
私の人生の岐路は確かにあの頃だった。
長い付き合いの元カレ、島浦伸也と音信不通になってた時。
もっと手広い範囲の多言語を扱う事業に携わるため、京都を出て行く事を既に決めていた時でもあった。
「信哉さん、ごめんね。。。」
なぜ、今思い出したりしたのか。。。❓
「伸也より前に、出逢ってたら、好かったのにね。。。」
その足で、施設内見に訪れた介護ホームの最上階から、京都駅より南側徒歩10分以内の、灯りが消えた街を、見つめる。
あの辺一帯は、夜9時過ぎると真っ暗闇で、公共の水道も電気やガスさえも配備されない街だった。
「嶋村信哉さん。貴方が崇仁地区出身だから、付き合わなかったんじゃない。もう出て行く事を決めてたから、失恋のすぐ後に出逢ったから、まともに受け止められなかった。。。」
「余計に傷つけたよね。。。ごめんね」
やり直したいわけでもなく、なんで恋愛とも言えない出会いを思い出したかも分からず、何か得心が行くわけでもない。
ただ、今ふとその縁を思い出したのだ。
人間は人生の終末には、案外、そんなすれ違いの縁を思い出すのかもしれない。
一緒に歩いたメインの相棒は見届けてくれるけど、歩を止めて振り返った時には、そんな取りこぼして来た出会いを、思い出す のかもしれない。
ベッドの上で、少し血色の良くなった父に、訊く。
「お父さん。私ね、この頃ね、付き合ってもいないすれ違いの男性の事、思い出すのよ。
あとね、出向先の近くのコンビニ店員は、前歯を矯正中だったとか。友達の飼ってる保護猫は、生理に成って初めてメスだと判明した話、とかね。
自分の生き方には、なんてことない事例ばかり思い出すのよ。
お父さんも、そういう事ってある❓」
父はわずかに口角を上げて微笑む。
「人生を上手く歩いて、やっと落ち着いた証拠や。
今がピークかもしれん。心しとけ」
「なんでそんなん、分かるのん❓」
眼を閉じて、また静かに告げる、父。
「わしは、もっと大事な出逢い、思い出した。
お前の母親と付き合う前に、プロポーズして
フラれた、別の女性がおったんや」
「なんでフラれたん❓」
「好きやけど、結婚はせんって言われた。
あ、、、好きやから結婚は、しとうないやったかもしれん」
「随分へヴィーやな。
あ、でもその女性の気持ち、分かるわ、何か」
「そやろ。お前はあの人に似てる。
アイデンティティーの問題や。
そやから、うちの奥さんはお前が好かんのや」
「なるほど。その人、何する人❓」
「陶芸家や。福井県に居る」
「そっか。。。」
父との会話はそこで途切れた。父はなんだか心残りを無くす為に、喋っていた気がした。安堵の眠り。
私はようやく還暦で、まだまだ健常者だけど、いよいよ終活するとなれば、誰を思い出すのだろうか。。。
付き合ったら長いので、数えるほどしか居ないけど、全部本気で惚れてるので、全部思い出すのかな❓
それとも女性は、取りこぼした通りすがりの出会いを思い出すのかな。。。私みたいに。
「ごめんね、お父さん。
ひょっとしたら、最大の後悔なのかも。
結婚なんか考えずに、ずっと仲良く居れば良かったのかな❓
そしたら私は生まれてないし、多分、母親の事は新任最初の生徒達として、ふと思い出すだけなのかな❓」
眠っていたはずの父の奥まった瞼から、涙が伝い零れ落ちた。
「あの人は、生まれて来る時代が早すぎたんや。。。
お前らが受け止められる事も、うちの奥さんにはパニックじゃ。」
「たしかに。あの母親は許容範囲が狭い。
けど、一生懸命頑張ってるから、守ってやりたかったんやろ❓
適当にやっても、結果を出したら褒められるのは、仕事。
出来なくっても、やろうと努力してたら褒めてくれるのが、家族に成る人や。
それはそれで、必要以上に後悔してもしゃあないって。」
「後悔はしとらんよ。。。ありがとう。生まれて来てくれて」
ーーー to be continued.