先日の ZOOMお城会「諸説あり」テーマは『自由研究報告』
昨年もこの季節にやったらしいのですが、参加できませんでした。
ちなみに皆さん、「杉山城問題」ってご存知でしょうか?
武蔵国 杉山城(埼玉県比企郡嵐山町)は素晴らしく巧妙な縄張(構成)を持つ城で、小田原北条氏の築城技術の粋を集めている16C第四四半期の城と(縄張を書いている人達からは)云われていました。
ところが、前世紀終わり頃この城が発掘されると、出土した遺物は遅くとも16C第一四半期のもので、後北条氏との関連はほぼ無いと報告されたのです。
しかし、縄張カキの方々はそれを是とせず飽迄杉山城は後北条氏の手が入ったという言を崩しません。
で、考古や文献の人達は「縄張カキの主張する特定の城郭構成パーツによる築城主体や築城年代の想定」すべてに疑義を呈するようになったーというもの。
ちなみにこの事象は杉山城に限らず、多くの城でみられることである。
問題は、遺構の特徴によって築城主体を想定する『大名系城郭論』まで否定され始めたーことである。
ボクも、お城の縄張図を摂る身として、『大名系城郭論』のような難しいことをどうこう言うつもりはないが、築城主体によって何某かの特徴はある、と思っている。
それを、『築城主体による “クセ” 』と名付けたいと思う。
そのうちのひとつが、中世城郭研究30号『若狭堂谷山城』で書いた、若狭武田氏の城にみられる『盲腸土塁』である。
で、さっそく発表者のおひとりであらせられる小城先生が、甲斐武田氏の[ ]「 」虎口(「なんとか虎口」といっていた)を “クセ”認定していただきました。
その後の雑談ではこの「ナントカ虎口」が甲斐武田以外あるのか…という話で盛り上がりました。
画像は2017明石市の「明石の近世」という図録より
明石城、姫路城、篠山城等などに例があり、武田氏の“クセ”を徳川譜代が伝承したのではないか、と考えます。