「一夜城」というと、城攻めに於いてヒトヨ…というか短期間のうちに立派な築くことで籠城しているひとの度肝を抜く、主に羽柴筑前が得意とした戦法のひとつであります。
美濃攻の墨俣一夜城や九州攻の際の益富城、また小田原攻めの際の石垣山一夜城が有名です。
今回、えどっちさんに紹介して頂いたのは伊那市の天竜川から高遠へ至る、甲斐武田氏掃討戦の際高遠城を攻めるため三位中将が築いたとされる「一夜の城」です。
土塁が北と東にそれぞれ50m残ります。全く知らなかったため感動しました。
上・立体図 ひなたGISより 下・上図の+カーソル付近から東をみる
↓東側の土塁 開口部には石積みも
この城の東の道路を拡幅するという話があり、そのため発掘調査が行われたようです。
その結果、薬研堀や16Cの陶磁器などが発掘され、「三位中将が一夜で築いた城」という線は真実とは違うかな?というのが現在の定説のようです。
周囲には国衆の砦や居館があり(立体図の上中央も「黒河内の城」)、そのうちのひとつを三位中将が接収し高遠攻めの本拠に利用したのでしょう。
ところが猛将仁科五郎の守る堅城高遠は予想に反して早く陥ちたため、「三位中将にとって一夜の城」となったのではないでしょうか。
いまのところ拡幅・破壊の兆候はないですが、これからも残してほしいと切に願うのみです。