高遠城 | 根多帖別冊 by おしろまん

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おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~

さて、まだ5月GWの信州のお話を続けております。

もし一人ならばJRとバスを乗り継ごうと思っていましたが、

地元・江戸川氏のご案内により、諏訪上原から杖突峠を越えて高遠へ超ショ-トカット。

CS立体図のcから入ってpにクルマを停めました。

 

ここもある程度想像はしていましたが、それを上回る選地と土木量でした。

たとえば三ノ丸Ⅲの北西は大きく三段になっているとかどの図面にも描いていません。

南北朝期に高遠氏によって築かれたといいますが、別の場所との説もあり。

武田大膳大夫晴信が侵攻して拠点としたのはここで、そのときの大手はc

全体的に舌状台地…というには高い比高の台地を堀切でブッた斬っています。

織田家の甲州攻めの折は三位中将五万の軍に攻められます。主将は諏訪四郎の弟・仁科五郎、守備は二千。

諏訪勝右衛門の妻・はなの奮戦などもあったが衆寡敵せず激戦の末落城。

 

江戸時代には鳥居氏~保科氏~内藤氏の居城となります。

城下町を東麓につくったからか、大手をd地点に移しました。↓

大手d・搦手c・二の丸門b・本丸門Aには石垣が使われたようです。良好に残るのは上画像くらいかな。

各曲輪間の堀はなかなかの規模です。暖かかったのでシマヘビくんもお散歩。

Ⅳが南曲輪、Ⅴが笹曲輪、Ⅶが法幢院曲輪

あれ?たしか勘助曲輪ってのがあったな?と思ったのですが、どうも駐車したPが旧高遠高校のグラウンドで、昭和23年に造成されて更地にされてしまったらしいです。

是非とも掘り返して旧状に復して欲しいものです。