ツイッターのフォロワーさんで、若いながらキレイな図をかかれる方がこちらの城の図面をかかれていたのをみて興味を惹かれ行ってきたのが小野市(播磨国加東郡)の池尻城。
ネットを探しても詳細の不明なお城
「三木城の別所氏の臣・某の城とされ、天正の三木合戦の折羽柴筑前に攻められ落城した」
と、定型文が流れてくるのみです。
確かに三木城から大村越峠を使えば3km程と至近で、別所氏が加東郡に出るのに適した場所であるといえますし、逆に三木城を攻める側にとっても要地であったことでしょう。
Ⅰが主郭でしょう。西北のⅡ郭からの土橋とそこからの入り口bは枡形状にみえ、南東の土塁aとその外の堀cは見応えがありますし
南の帯曲輪にも低いながら土塁があるようでもあり、cの延長の横堀のようでもあります。
お隣・加東郡東条の屋口城や念仏城にも横堀があることからこれも横堀のような気はしています。
城主館があったとの伝承がある西北麓の大歳神社からの登城口をまもっているようです。
しかしながらその他の曲輪は削平も岸立ても甘く、臨時或いは未完成なのかな、とこの手の遺構をみたとき必ず考えてしまいます。
あと気になったのが、尾根続きを扼す曲輪Ⅳ・Ⅴに土塁らしきものd・eがあること。
「らしきもの」と言いましたがまあ明らかにお城の防御遺構でいいのですがこれ、ボクが近年調査対象にしている丹波国赤井氏の城砦群にみられるものに近いのではないかと。
いずれにしても現状の「緩い」遺構がしっかり図示できていればいいなと思うちょります。
あと図のバックに使っている等高線は 埼玉大学のWEB等高線メーカー⇔リンク を使用させていただいてます。コンタも選べるし見事に図と地形がピッタリです。