高見 | 根多帖別冊 by おしろまん

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おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
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高見城 は兵庫県丹波市の、氷上・柏原・山南の境をかたちづくる山塊の標高486mの急峻なピークにあり、太平記に記された仁木二郎三郎頼章 (丹波ほか四ヶ国守護で高師直亡き後の政所執事) が籠もった「佐野の城」 であったといいます。

二郎三郎はこの城で、通過する宮内大輔足利直冬の軍を見過ごしたため笑われたとか。

この急峻さを見ると、下山が間に合わなかっただけだったりして。

西より 中央最高所が高見城主郭群 その右の鉄塔のあるあたりが 中の段(S1郭群)

戦国期になると赤井氏がこの城を守ったようです。

「ひょうごの城紀行」によると下図中央の主郭群しか書かれていませんが、「中の段」 の記述があり、それを探して南側の山中を小一時間彷徨いました。まさか城遺構に鉄塔は建てへんやろ と思いスルーしてしまったのです。

↑「中の段」(S1郭群)より主郭群を望む

ただ、その時に調査が行われたようで、S1郭群はほぼ全面発掘されたようです。災い転じて…と思いましょう。

登城当日には 「これはアカンやろ」 と書いてますが…。

そのほか北側には土塁を伴ったN郭群があり、その西尾根には石積みを伴った郭もあるとか、主郭北西の北の穂壺城に至る尾根上にも数か所の砦とみられる跡もあります。また西北東の山麓にも出城があるらしいです。(未踏:全部は無理)

それらを含めると黒井城に匹敵する城郭群であったのではないかと。

赤井氏による氷上郡統治のための 西=高見&東=黒井(荻野氏)という二大拠点の築城形態の共通点かも。

 

主郭群は天険を削平しただけのように見えます。主郭東の窪みを虎口とした記事もみられますが、ちょっと僕にはそうは見えませんでした。

S1・S2には南尾根方向に土塁があり、発掘により焼土層が見つかっているとのこと。

史料によると天正七年に惟任氏配下・四王天又兵衛正孝が攻め陥としていることから、この時まで城が使用され、S郭群・N郭群といった土塁を使った部分がこの城の最終形態であったと推測いたします。