昨年正月、下土井城に行って縄張図を摂ったとき、図解近畿の城Ⅰ と縮尺が違っていたので
二週間前再度確認に行ったことは述べたが・・・
その、図解近畿Ⅰ に 「屋口城のように曲輪の序列が明確になる戦国末の…」 と書かれていた。
その屋口城ってなに? どこ? という疑問が湧いたのは当然のことであって、それが先日書いた 東条城といわれる豊地 (といち) 城の近くであったら、これは行くしかないでしょう!ということで土曜日に行ってきました。
まず屋口城
豊地城の詰城といわれる山城です。そうはいっても比高は50m程なので丘城といっていいかもです。
ただ、確かに横堀は見事で切岸も鋭く立てています。全面ではないですが要所には土塁もあります。
そこから600mほど北に豊地城の遺構もあります。
驚いたのは長さ50m、高さ5mの土塁が残っていることです。どうもここが主郭南面の土塁らしいのですが、ぼくは疑問を感じました。
詳しくは縄張図清書後精査記事挙げます。
この豊地城・屋口城に西の小田城を併せて 『東条城』 といったのかな、という気がしています。
小田城についてもこの日行ったので後日挙げます。