![根多帖別冊 by えすくおやじ-清正公具足](https://stat.ameba.jp/user_images/20111128/03/esqi-oyaji/92/81/j/t01540448_0154044811638770510.jpg?caw=800)
![好きな歴史上の有名人は?](https://stat.ameba.jp/common_style/img/home_common/home/ameba/allskin/ico_kuchikomi2.gif)
地元の英雄・大友宗麟…“好きな”人物でわないな…
故郷のまちを拓いた 加藤虎之助清正 セイショコ様 は、身の丈六尺三寸 (=190cm・なんだ、ダルビッシュとおんなじくらいか、なんて思うなかれ、独眼竜が158cmの時代であることを忘れてはいけない。) 異国では 『鬼上官』 と恐れられた。
民政家としての評価は、豊臣大名のなかでは石田治部と並び称されるほど高い。ホンマに、このふたりが仲良く豊家を盛り立てたなら、日本史はよほど違ったものになったにちがいないのだが…
“城造りの名人” という評価には、ぼくは疑問がある。 確かに熊本城は見事だが、かれの築いたのは熊本城と肥後国内 (と豊後飛び地 ① ② ) の支城のみである。 むしろ、水路や道路の建設にその、師匠である猿太閤譲りの土木マニアぶりが活かされていると思う。
武将としては、戦歴を見ても優秀であり、『勇将』 と呼ぶに相応しい。
しかし、福島佐衛門太夫もだが、“石田憎し” という一個の感情で恩義ある主家を滅ぼし、しかし旧主君の遺児は護りたい、それで自分の家も将来のことを処置せず次の代で滅びるなど、海音寺潮五郎氏のいわれた 『師団長格の軍人なら理想的な将軍、民政化としては尤も理想的な知事、しかしそれ以上の器量は無かった』 ということであろう。
知事=大名と天下人クラスでは器が違うということである。
家臣を可愛がる=適正な人物評価も魅力のひとつであろうが、それを次代に伝えられない或いは同僚 (具体的には石田治部少) に活かせない、好き嫌いに走るところは、黒田吉兵衛と被る・・・
画像:蛇の目紋長烏帽子形兜 白檀塗蛇の目紋蒔絵仏胴具足
三千石から一躍二十五万石の大名になり、武具も揃える事が出来なかった主計頭に、猿関白は改易した尾藤甚右衛門 (知宣=旧・羽柴四天王) の調度一式を与えたという。
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