宗麟 | 根多帖別冊 by おしろまん

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おしろまん です。
絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、お城の論考を書いたりしており、城関係がやたらと多いブログとなっています。
ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~

大友宗麟が、高名なの? どんな部分が?

という質問があった。

これには解説がいるかもしれない。

豊後・特に大分では “大友宗麟”過去ログ① 過去ログ② の知名度は他とはまったく違っているのである。

大分駅前にはかれの銅像がある。かれが没したといわれる県南・津久見市にもある。彼に直接の関係がない府内城の天守台前にも胸像がある。

そう、かれは郷土・大分の 『英雄』 なのである。

大分県人は、「信長の野望」や「斬」、「天下統一」 をプレイする際には、間違いなく大友氏を選ぶ。大分県内で大友でプレイしないのは、県外出身者だと断言したOBSのアナウンサーが、いなかったとか、いないとか・・・。

大友氏が豊後を追い出され、かの地は不毛の小藩分立となり、赤猫が跋扈し、九州でも影が薄いほうから数えて2番目の名誉を賜っている。

はなしが、逸れた・・・

かれが郷土に影響を及ぼしたことといえば…やはり

キリスト教

であらふ。今でも大分の銘菓は 「ざびえる」「ロザリオ」 があるし、市内には、「アルメイダ」 という名前の病院がある。これらはいまから430年前のものなのである。

たとえ名前だけでも、いや、名前だけだからこそ、九州の僻地に、その煌びやかなる文化を導入した人物の影響力が凄かったのではないか、と感じる旧大分郡民である。

ぼくは、駅前に銅像を建てるべきほどの人物であったとは、かれの事は評価していない。

それを郷土の先人として (ほかに広瀬淡窓や帆足万里、三浦梅園といった哲人がいるのに)奉るあたりに大分県人の可笑しさを感じてしまう (何故か上から)。

大大名家が非業のうちに滅びた、という要素も判官贔屓なニホンジンの感情として理解できるが・・・。