司馬遼太郎 「歴史と視点ー私の雑記帖ー」 に掲載されている短編 (エッセイ) に
『豊後の尼御前』というものがある。
豊後の武将・城・そして大友宗麟を考えるにあたって何が解り易いかを考えた際、これを思いついた。
小生が生まれ育った大分県では大友宗麟というひとは “大英雄” である。小学生の時に買ってもらった 「大分の先人たち」 という本にも 『世界をひらく』 という項目に 重光葵外相とならんでいた。
ところが司馬大人にいわせれば、これは大きな間違いである。
「大友宗麟は戦国期においては南蛮人から大砲を手に入れた最初の人物として知られるほか、後世にとってさほど魅力を感じさせる人物ではなさそうである。」
・・・相当に手厳しい。
大分県人は大友宗麟という人に対する認識の、地元以外の眼を知るために上記エッセイを読むべきだと小生は思う。また「信長の野望」シリーズでの評価も宗麟は過大である。このゲームで宗麟を認識した人は改めるべきである。
司馬大人は、自分で小説を書くにあたってよほど気に入った、心映えの涼やかな人物でないと~特に晩年は~書かなかった人である。
“へんこ” といっていい。
小説家であれば、そういう欠陥のある人物のほうが小説にはし易いはずである。
島津四兄弟の将領としての器が宗麟よりはるかに上回っているとして、小説になったという話は殆ど聞かない。
白石一郎 「火炎城」 は小生が読んだ、宗麟を主人公にした小説のはじめである。ちなみに白石先生は宗麟の息子のことも短編 「凡将譚」 (文春文庫「島原大変」に収録) で書いている。これは佳作である。
“狐狸庵”遠藤周作先生の 「王の挽歌」 は、もっとダメダメに書かれている。狐狸庵先生はクリスチャンであるのでその視点でもって書かれている。
PHPから出ていた本は・・・バカげていて語る気にもならない。
佐伯の御手洗一而氏の書いた 「大友宗麟」 は、時間があったら読みたいが、大分以外では手に入りにくいようである。