根多帖別冊 by えすくおやじ

えすく (=esq&絵好く) おやじです。

絵を描いていますので、そちらをメインにしたいのですが、城関係がやたらと多いブログとなっています。
お読みいただければ幸いでございます、そして・・・

ブログ内容に即した、皆様の素敵なコメント募集中でございます~


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四大メジャーのひとつ、全米オープンが先週行われた。

 

日本人選手はまあ、通常通りの成績に終わったわけだが、今回会場になったペンシルバニア州オークモントに面白いものが映っていた。

う…畝状竪堀やん。

こんなんが、18ホール中三つくらいある。

 

で、横堀のようなハザードもある。これらのハザードはほかのゴルフコースで見たことがない。

ゴルフコースの場合、基本一方向のみからピンへのアクセスとなるため、全方位から主郭を守るための中世城郭の畝状竪堀や横堀とは90度ずれる形となる。

 

そうはいっても、平面図(縄張図)を見ると、似通っていて面白い。

こんなことを思いながら中継を見ているのってぼくくらいなのだろうなぁ~。

 

 

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城の名前についてここでいくつか書いてきた。

若狭国国吉城は戦国から江戸期初頭にかけては国吉城とは呼ばれていなかった、とか

河内国私部城はその名前では史料に出て来ず、交野城であるとか

播磨国明石郡の城は戦国期の枝吉城、織豊期の船上城、元和以降の人丸山もすべて明石城と呼ばれたのではないか。

これは肥後国八代郡の古麓城、麦島城、松江城(現八代城)も同じで「八代城」であったと考えている。

そこでふと思った。

大友宗麟が一時期本拠とした豊後国丹生島城は、織豊期太田氏を経て、江戸期には一鉄を祖とする稲葉家の居城であった。そのとき丹生島城とは言わず 『臼杵城』 と呼んだ。

慶長六年に日田を追われ、南海部郡二万石に移った毛利伊勢守が塩屋八幡山に新規に築城した城は 『佐伯城』 と呼ばれた。

織豊期に杉原~細川(松井) の居城で、江戸期には徳川譜代の居城となったのは 『木付城』

このうち 木付 は木付氏の居城であったことが長く、この名称は妥当であるといえる。

臼杵 と 佐伯 の呼称は、城自体に大友家臣の臼杵氏・佐伯氏はほぼ関わっていない。

臼杵城のある土地は臼杵氏の本貫地であった(城は丹生島城の西半里の水賀城)し、塩屋八幡山にも佐伯氏(本城は塩屋八幡山の西一里の栂牟礼城)の砦があったので全く関係ないわけではないがそれぞれの名を冠するには弱い。

思うにこれは上記○○郡の中心城郭=○○城 が使えないからではないだろうか。

臼杵城も佐伯城も海部郡である。そもそも豊後の海岸線の大野川河口から南端・波当津浦までは海部郡である。

と、ここまで書いて気付いた。『臼杵』『佐伯』『木付』は、大友系氏族の名 というよりは “庄” の名ですね。 

庄の名を氏として使ったのですね。大友系の部将の名が近世以降の城名~まちの名前になったのかとおもい無駄なことを書き連ねてしまいました。

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