• 07 Dec
    •  河内飯盛城なう晴天であったので最高の眺望を期待したのですが、すこし霞んでいて明石海峡大橋がかろうじて肉眼で見える程度です。お城は規模、遺構とも申し分ない名城です。画像は御体塚丸東南の石垣垂直に近い積み方なので崩れそうです。やはり織豊とは違うな~ 

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  • 24 Nov
    • 大石

      近江妙見山城なう主郭・西郭・北郭は岸をしっかり立てて、主郭は南北に横矢を掛けた土塁が。南の虎口は出桝形にみえ、思ったより新しい時代かもしれません。 いやそれよりも北西尾根は遺構なの?畝状竪堀みたいな自然地形ってあると思う?

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  • 15 Nov
    • 玄技

       五年半前書いた記事である。今日このときと同じ画家=長谷川潔氏の、たぶん同板の絵が 『開運!なんでも鑑定団』に再登場した。 そのときもぼくはいたく感動したものだ。ちなみに今回は半世紀ほど前5万円で買った作品が250万円という評価を受けた。 まあ、金額は目安で、キャッチ-さが出ればいいわけで、ぼくとしてはあまり意味を為さないのだが。 自分が好きな作家が評価されることが凄く嬉しい。  

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    • 大日

      昨季まだ清書ができていない城がたくさんある中、先週行って来た近江黒津 (大日山) 城の清書にかかっております。 琵琶湖が京へと流れ出す瀬田川一帯を抑えた山岡氏が、瀬田城を築く前の居城だといいます。瀬田から半里ほど南でしょうか。瀬田川と大戸川に挟まれた比高40m程のほぼ単独丘陵にあり、いまは大日堂が建っています。大日堂が建つのがⅠです。ぼくはまずここから西へと歩き、西端Ⅵから縄張図を摂りはじめました。Ⅵは瀬田川に面して西は崖となり、東には土塁のような高まりもあります。Ⅴ・Ⅳ・Ⅲは削平地なのですが、そう明瞭に岸や土塁を廻らせている感じではありません。 Ⅴと土壇Eの間、土壇B・D間は堀があったのではないかと思われますが、後世埋まったのかもともとそう深くなかったのかはわかりません。 最初、ざっと見てからⅥ郭から図を摂りはじめたのはここが瀬田川とその断崖を後堅固と見立てた “主郭” ではないかと思ったためです。しかし西へと摂り進むうち考えが変わってきました。 Ⅱを主郭に比定したいと思います。土壇(櫓台) A・B・Cに囲まれ、東西の入り口は喰違い虎口にも見えます。ただここも曲輪面が北へと下っていてまったく平坦というわけではありません。 その西は50mにわたって南北に横堀のように見える遺構 i があります。その南下がったところにはKもあり、二重に横堀が廻っていた可能性もありますが、Kの北は現状では堀らしきものは見えませんでした。 ひょっとすると横堀 i はⅡの南を廻っていて、大日堂が建てられたときに破壊されたのではないかと憶測します。理由はⅡの土壇Cが大日堂によって明らかに削られているからです。先にお堂があってあとで城ができたならこうはならないでしょう。 というわけで現状の曲輪Ⅱの土壇や横堀 (だとしたら) をみると、山岡氏が瀬田城に移ったあとも城として機能したのではないかと感じました。 

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  • 10 Nov
    • 畏敬

      西股総生先生は、ぼくもいくつかの城の踏査をご一緒させていただいたことのある方である。賤ケ岳城砦群・堂木山にて 中央が西股先生著作も何冊か読ませていただいたが、おもしろく且つ分かりやすく、自説も理が通っていて慧眼に目を見張ることも多い。 摂られる縄張図は綺麗で遺構評価は的確で、かつ早い。これは先生の城を見る眼の確かさに他ならない。 それなのに人を分け隔てしないご性格から、特に若い城好きの方からの人気のたいへん高い、尊敬する研究者のおひとりである。 その西股先生、今回の大河ドラマの 『軍事考証』 というお立場から、また日頃のお考えを上記ブログにて話されていてぼくも大変楽しみにしている。 そのなかに、おおきく我が意を得た言葉があった。わざわざぼくごときが紹介することもないと思うが敢えてご紹介させていただく。 僕は、失われた遺構を惜し むより、歴史の荒波に耐えて生き残っている石垣や堀をこそ、いとおしいと思う。駿府城には、天守再建の動きもあるようなのだけれど、上物を建てたがる人た ちって、いま目の前にある本物の駿府城の価値と魅力、ちゃんとわかっているのかなあ…。 名古屋市長をはじめ、ウワモノにコダワル方々にぜひ噛み締めて戴来たいと思うのですがいかがでしょうか…。 PS.書き忘れたが、本丸と二の丸の間のいわゆる内堀が埋められた(石垣も崩された)例が駿府のほかにあと二つ存在する。ボクの記憶の範囲でだが・・・ 出羽山形城と豊後府内城である。どちらも県庁あるいは市庁の用地となったためで、駿府含め三つともいまになって改めて発掘していることは時代の流れか…。

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  • 07 Nov
    • 黒津

      近江大日山城なう今シーズン初の縄張図摂りはこちらから。 遺構が全体的に緩く評価に苦労しますが、いいお城です。西の瀬田川に面した曲輪から摂り始めたのですが、「ここホントに城なのかぁ?」 状態から段々と遺構が明瞭になっていき最後は♪きゃ~っほるんるん♪きゃほる~んるん♪ でした。 今季もいいゾウリムシいっぱい獲るぜ~!

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  • 02 Nov
    • 破壊

      ネットでは、ほぼ出回っていない城山城国綴喜郡田辺城 (現・京田辺市) どこかで、発掘により石造りの虎口が出土したという記事を読んで気になっていたのです。京田辺駅にほど近い中央図書館で情報収集しようと思い行ってみると、『京都府中世城館調査報告書』 をみつけ、当該箇所をコピー。ただ、発掘で出土ということはよほどのことがない限りその遺構が破壊されるという前提です。悪い予感が。 バイパスの拡幅によって石造りの虎口を含む北側の曲輪の東半分は削り取られてしまったようです。悪い予感は当たってしまいました。 1997年のことと言います。残った曲輪の北~西~南は切岸を立てています。画像は南の切岸 その更に南も曲輪らしきものがありますが、発掘で出土したような先進的な感じは薄いです。 取り敢えず詳細はまたの機会に… 

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  • 21 Oct
    • 想幸村

      某国包装教戒の大概鑼麻 『絛駄丸』 はおもしろい。三谷幸喜氏による演出が生きている。 それは認めたうえで一言物申したい。 主人公である、“真田幸村” として名の通った源二郎のち左衛門佐信繁 当然 “幸村” は後世の 『難波戦記』 から創作された名称で、史実ではない・・・と言われてきた。 しかし、ぼくもそのまえは今回のドラマのように大阪入城前後に “幸村” を名乗った可能性はあったのではと思っていた。 先月、小田原で行われた 織豊期城郭研究会 で、ぼくの敬愛する方々が 「幸村でええやん」 と言っていたという話を伝え聞いた。まあ、ぼくらより前の世代はそれでいい。なんせ思い入れが違う。 しかしながら フツ―に考えれば 『難波戦記』 筆者が松代真田家を憚って正式な諱である“信繁”を使わなかったということだろう。松代真田家としてはそのあとで、「あれは伊豆守の弟だ」 と追認しただけのことだと思う。それをもって源二郎=左衛門佐が “幸村” を名乗った証拠にはなりがたい。むしろ公式な場以外に使用しない諱をやたらと使っている時点で左衛門佐が “幸村” という名 (諱) を使ったということは怪しいとみるべきではないだろうか。画像は大坂城二の丸南の堀と六番櫓 諱 (いみな) に関してはこちら。現在とは感覚が違う。『新撰組!』 や 『清州会議』 でそこらへんをしっかり描いた三谷幸喜氏が今回中途半端にしか顕せていないことが残念でならない。

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  • 01 Oct
    • 断岡城

      あっというまに10月ですね。プライベートで大きなことがありこちらの更新が全くできませんでした。 それに関連するのですが、大分県竹田市で行われる山城サミット、参加できなくなってしまいました。 まあそれ以前にこの日は esq の “つどい” がある日なので、こちらに行きます。何で被るかなぁ

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  • 10 Sep
    • 郡主馬展

      先週日曜日、高槻市しろあと歴史館で開催されていた 『郡主馬』展が最終日だったということで行って来ました。郡主馬は三島郡ユカリの武将で、家系の一つが高槻藩に仕えたということです。本人は豊臣家に仕え、大阪の陣では旗奉行を務め夏の陣で自害しました。間違ってっも今の堆衙ドラマに出るような人物ではないですが、展示内容は大変興味深いものでした。 ボランティアの方の解説もとても興味深くお伺いいたしました。 兜の前立てって、家紋とか文字とかだけじゃないんですね。徳川旗本とか、某家中とかの合印が付けられることがあるということでした。目から鱗。

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  • 28 Aug
    • 夏休宿題絵

      アップするの忘れてました。ばかごの宿題に附き合ってお絵描きしてまいりました。7月31日のことでありました。 城郭研究センターの南、兵庫県立歴史博物館の窓に映った姫路城。むずかしい・・・

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  • 16 Aug
    • 中山付城噺

      えっと、今月岐阜市で行われた『城郭研究セミナー』、主催するのは 中世城郭研究会です。取り敢えずセミナーの内容についてはまたにして報告が・・・ 中世城郭研究会ではこのセミナーにあわせて毎年会誌『中世城郭研究』を発刊しています。今回30号。ここに今回私の友人・山名氏城址保存会の谷氏と、無所属・盛永氏が報告を挙げられています。 盛永氏の報告は『若狭堂谷山城の立地についての一考察』として堂谷山城や近隣諸城(芳春寺中山砦・佐柿城・大倉見城)の縄張を掲載してます。あ、以下本人から訂正があります。買われた方は訂正してください。 P176の3行目 「つまり、堂谷山城は、若狭武田氏が築いた可能性が高くなる。」は文面から見て不自然なのがお分かり頂けると思います。削除してください ということです。読むと、堂谷山城は朝倉氏の特徴があるという流れなのに上記一文があるのでおかしいですよね。 同じこの本の中で、盛永氏の報告と、城郭談話会・高橋成計氏の論考とで、芳春寺中山砦の評価が全く異なっていることがおもしろいです。ぼくは上記ブログで盛永氏(もとは村田修三先生や高田徹氏の説)を支持したのですが、高橋成計氏のお話もお聞きし、こちらも興味深く感じました。 また、成計さんとお話になる村田先生のお話もお聞きし、それもおもしろかったです。 そのときに成計さんが言われた 「こうやってみんなで話ができることがいいよね」 のひとことが即妙でした。

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  • 08 Aug
    • 美濃加納城

      城郭研究セミナーで岐阜市に来ています。セミナーは二年ぶり二回目 朝イチで宿舎の近くの加納城にお散歩。・・・開園7:30からって何?二年前も名島城に朝駆けしたのですがそこも朝入れませんでした。 セミナーや加納城詳細はまた後程・・・

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  • 26 Jul
    • 熊本応援焼酎

      ぼくがオオイタに居たころ、職場の先輩・小倉さんから 「こん焼酎はうめ(美味)ぇんじゃぁ」 と教えてもらったのが、『白水』 という焼酎だった。 「日本酒に比ぶんと悪酔いしにきぃ(難い)んじゃぁ」 と小倉さんと二人で、翌日仕事なのに一升空けて翌日辛かったのはいい思い出だ。 それ以来、愛飲している。福岡にいたころから紙パックが出ていることを知る。 先週、近所の行きつけの酒屋に行ったら、下のようなポスターがあった。 漠然と熊本の焼酎を飲むことで少しでも役に立てないかと思っていたのでちょっと嬉しかった。 当時好きだったのは【麦】ではなく【米】だったのだが・・・近所の酒屋さん、【米】置いちくれんかのう・・・

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  • 16 Jul
    • 広澤克実虎噺

      広澤克実氏は、ぼくのなかではスワローズの強打者としての印象が強い。 しかし、FAでジャイアンツのちタイガースでもプレーし、お立ち台で 『六甲颪』 を唄ったことで知られる。 いまでは、タイガース戦を完全中継するサンテレビで解説者として拝見することが多い。 昨日知ったのだが、アメブロをされているのか。昨シーズン終盤、まだ去就が定まっていなかった金本氏と一緒に解説をされていて、金本氏の不勉強さを際立たせる解説で好感を持った。 上記記事は一ヶ月くらい前のものだが、このほかの記事も良いものが多い。 オールスター前最後の試合の解説も観たが、なかなか妙を得ていた。 「結果的にタイガースは勝ったが、贔屓目なしに見れば5位対6位の試合だ」 こういうひとでも入閣すれば客観視できなくなるのだろうか。

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  • 10 Jul
    • 播磨下土井城

      山城に登るには辛い季節なので、冬場に登った城を清書するシーズンです。赤穂郡(現・相生市)下土井城を書いてみました。  まあこの城、比高100m弱ですが、山は結構急峻です。尾根先端に横堀を派生させる特徴的な竪堀と、尾根続きに三連続の堀切を設けています。上:北東三連堀切のいちばん内側の畝 下:南西横堀からT字に落ちる竪堀部その間を削平して三連の曲輪を作っていますが、削平は甘く、どれが主郭かわからない求心性の無さ。 ボクは、両端に低い土塁があるので中央の曲輪が主郭と思うのですが、まあどーだっていいですね。  

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  • 05 Jul
    • 三原乃桜山城

      やっとまともにリプログできる記事を見つけたので、嬉々として書きます。 備後国三原市・三原城のすぐ北に聳立する山城、桜山城です。 詳しいことは星ケ嶺さんのページをご覧ください。ぼくの当日記事は⇒こちら 過去記事は⇒こちらほしさんの記事にあわせて縄張図清書してみましたが、不確かな部分が多く、暫定ということで…ということで確認を氏にもう一回行きたいですね。

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  • 26 Jun
    • 城郭的高爾夫場

      四大メジャーのひとつ、全米オープンが先週行われた。 日本人選手はまあ、通常通りの成績に終わったわけだが、今回会場になったペンシルバニア州オークモントに面白いものが映っていた。う…畝状竪堀やん。こんなんが、18ホール中三つくらいある。 で、横堀のようなハザードもある。これらのハザードはほかのゴルフコースで見たことがない。ゴルフコースの場合、基本一方向のみからピンへのアクセスとなるため、全方位から主郭を守るための中世城郭の畝状竪堀や横堀とは90度ずれる形となる。 そうはいっても、平面図(縄張図)を見ると、似通っていて面白い。こんなことを思いながら中継を見ているのってぼくくらいなのだろうなぁ~。  

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  • 23 Jun
  • 21 Jun
    • 豊後海部郡城名

      城の名前についてここでいくつか書いてきた。若狭国国吉城は戦国から江戸期初頭にかけては国吉城とは呼ばれていなかった、とか河内国私部城はその名前では史料に出て来ず、交野城であるとか播磨国明石郡の城は戦国期の枝吉城、織豊期の船上城、元和以降の人丸山もすべて明石城と呼ばれたのではないか。これは肥後国八代郡の古麓城、麦島城、松江城(現八代城)も同じで「八代城」であったと考えている。そこでふと思った。大友宗麟が一時期本拠とした豊後国丹生島城は、織豊期太田氏を経て、江戸期には一鉄を祖とする稲葉家の居城であった。そのとき丹生島城とは言わず 『臼杵城』 と呼んだ。慶長六年に日田を追われ、南海部郡二万石に移った毛利伊勢守が塩屋八幡山に新規に築城した城は 『佐伯城』 と呼ばれた。織豊期に杉原~細川(松井) の居城で、江戸期には徳川譜代の居城となったのは 『木付城』このうち 木付 は木付氏の居城であったことが長く、この名称は妥当であるといえる。臼杵 と 佐伯 の呼称は、城自体に大友家臣の臼杵氏・佐伯氏はほぼ関わっていない。臼杵城のある土地は臼杵氏の本貫地であった(城は丹生島城の西半里の水賀城)し、塩屋八幡山にも佐伯氏(本城は塩屋八幡山の西一里の栂牟礼城)の砦があったので全く関係ないわけではないがそれぞれの名を冠するには弱い。思うにこれは上記○○郡の中心城郭=○○城 が使えないからではないだろうか。臼杵城も佐伯城も海部郡である。そもそも豊後の海岸線の大野川河口から南端・波当津浦までは海部郡である。と、ここまで書いて気付いた。『臼杵』『佐伯』『木付』は、大友系氏族の名 というよりは “庄” の名ですね。 庄の名を氏として使ったのですね。大友系の部将の名が近世以降の城名~まちの名前になったのかとおもい無駄なことを書き連ねてしまいました。

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絵好く(esq)おやじ

自己紹介:
絵と城とesqが好きなオヴァフォーおやじです。 よっろしっくね♪

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