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夫と死別しました

夫と死別して胸にわくさまざまな思いを
言の葉にしておこうかと思うようになりました

桜の花と共に飛んでいってほしい空の向こうへ 

私は東京の山の手、夫の実家は東京のはしっこ、のんびりした川のそばだった。

 

都会っ子で育った私は、姑のした苦労の100分の1も知らなかったと

言っていいだろう。

当時、鶏を飼っていたので、茶ガラから生ごみまで乾燥して鶏にあげといてと言われてギョっとしたっけ。

 

のちのち儀叔母に、義母の一家の暮らしをきくようになって

日本の女の世代差があまりにすごいことに茫然とした。

 

戦前の暮らしは家制度で家長が了承しなければ転居も引っ越しもできず、女に参政権もなく、足入れ婚といって、親同士の話だけで、否応なく女学校をでたら知らない家に嫁にだされるのである。

 

カオス。満州の引き上げの記録は門田陸将さんの「この命 義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」に詳しい。

儀叔母が言うには、コーリャン畑の真ん中を天井がない貨車に乗って

弾丸の飛び交う中での引き上げだったとのことだ。

 

義母は字とか本とか大嫌いだったが、私は字と本を愛しており

この儀叔母と気があってよく電話で話していた。

 

義母は女学校に行っていたのでおいていかれたのだが、何かというと

それが恨み言だった。行ったらひどいめにあっていたんだけどね。

 

義母は洋裁の修行をして東京にでてきて義父と結婚した。死ぬまで

洋裁、折り紙、こまごました手芸を趣味としてすごした人だった。