ATの原理<7>心身統一体 その1 | 音楽家のためのアレクサンダー・テクニークレッスン〜フルート奏者嶋村順子

音楽家のためのアレクサンダー・テクニークレッスン〜フルート奏者嶋村順子

♪アレクサンダー・テクニークを演奏に生かすレッスン♪
~ココロを自由に、カラダも自由に、自分らしく生き、演奏する~
アレクサンダー・テクニーク教師&フルート奏者の嶋村順子です。
演奏者の心理的・身体的問題を解決する方法を探求しています。

 

アレクサンダー・テクニーク(AT)の7つの原理というタイトルで書いてきたこのシリーズですが、

今回が最後の7つめ「心身統一体」というお話です。

 

これは、「人間の心と身体は分けられない」という考え方です。


人がどこか調子を崩したり、不具合が生じたりしたとき、

たいていはその原因と思われる部分を推測し、

その部分に見合った処置をしてくれる医療機関や施術、

カウンセリングなどにかかるのではないでしょうか。


これまでの長い年月、

科学や医学の分野には「精神的」「身体的」という区別が根強くあって、

さらに身体の各部の専門性が細分化されて探究・研究されてきました。

その専門性による恩恵は、

病気の治療や薬の開発、不調の原因究明に役立ってきたことに間違いありません。

でも、別の視点を持って考えてみたらどうでしょうか。

 

不調に至る以前に、自分の身に起こっていた精神的な状況が

身体的な機能に影響してはいなかったか。

気づかずに、もしくは気づきながら心の奥で決めていた

「こうしなければならない」「そうすべきだ」

という自分の定義に従って活動しているうちに、身体に不調が出てきたことはなかったか。


身体を休める必要を感じているのにそれを意識的に無視したのではなかったか。

自分の能力や実力が不足していると考えて、抑圧的な身体の使い方を続けてはいなかったか。

他者との人間関係によって気分や体調がすぐれなくなったりしたことはなかったか。

などなど。。。


思い返すと

体の不調には結構「メンタル」な条件が影響しているのではないかと思います。


 

私たち人間は機械ではありません。

機械よりずっと複雑で繊細で優れた機能を持っていますし、

機械にはない「精神的な要素」が、

その機能の状態にはかならず密接に関係していることは確かです。

単なる修理(単純な治療)では回復できないケースは多くあると思います。


世界的に有名なアレクサンダー教師で、

毎年BODY CHANCE(私が通うATの学校です)に講師として来日する

サラ・バーカー先生の著書「アレクサンダー・テクニーク入門」の中の一節を紹介します。
 

 

自らの研究と観察の中から、そしてその後の指導経験から、

アレクサンダーは次のような結論に達しました。

それは「からだと心は分かちがたくひとつにつながっている」というものです。

それらは、ふたつでひとつなのです。
 

人間というものは、いわば心理的肉体的な有機体であるので、

それをからだと心というふうに切り離せるものではありません。

 ところが不幸なことに私たちは、長い間ことばを分けて使ってきたために、

 心ではないからだが、そしてからだではない心が、

 実際にあると思い込むようになっています。
 

 「健全な肉体に健全な精神が宿る」などともっともらしく言うときは、

 精神的なものが何か肉体的なものの中にあることを頭の中で想像しているのです。

 しばしば禁欲的な不安感から、わたしたちはその肉体的部分を、

 心や、それよりもっと高いところにあるものと比べることによって、

 なにか劣ったものだと思う傾向があります。

 

 このように自分を精神的な部分と肉体的な部分に分けて考えると、

 いつまでたっても問題が解決されなくなることがあります。

 つまり問題は、あらかじめひとつのものをふたつに分ける所に起因するものですから、

 「脚がうずく」「頭がいうことをきかない」などと

 責任をどこかに押し付けるかわりに、何が問題の解決を妨げ続けているかを、

 自分のしていることの中から見つけ出すこともできるはずなのです。

                            (サラ・バーカー)

 

 

ATでは「頭と首を楽で自由に動けるように」という言葉をよく使っていますが、

そもそもどうして頭と首は自由でなく固まっているのでしょうか?

人間って、もともとそういう生きものなんでしょうか?

違いますよね。

歩き始めたばかりの小さな子供を思い出してください。

あんなに頭でっかちで全身の筋力などまだまだ弱々しい彼らの歩き方を。

あれこそが頭と首が楽で、

頭が自由に繊細にバランスを取りながら脊椎の上にふわっと乗っかって、

頭が行きたい方向に身体全体がついて行って、

何とも軽やかに、たたたっと歩いています。

 

私たちの首が固まるのは「固まる」ではなく「固めている」のです。

自分でやっていることなんです。

 

<本番でアガルこと>→ http://ameblo.jp/espressivo1214/entry-11251298451.html

という記事で実はすでに「心身統一体」について触れているのですが、


 

人が首を固めるのは「恐怖」が原因です。

「メンタル」で何かを恐れた結果、

身を守る原始的な反射が起きて首を固めているのです。

 

だから、この「恐怖」の正体を自分で分析して解決する思考力が必要になります。

 

ATで最優先する「プライマリー・コントロール」

つまり人間が最も楽で効率的に動ける状態を意図するのも「思考」です。

「思考」は脳のやっている仕事です。

「心は脳、思考のあらわれ」とも言われています。

 

人間のあらゆる活動においても、

身体的なものと精神的なもの、つまりカラダとココロはつねに一緒に働いているのです。

 

ですから、

アレクサンダー・テクニークは

「心身統一体」という概念に基づいて行われるのです。