あけましておめでとうございます。
本年も当blogをどうぞよろしくお願いいたします。

当blogをごらんになっている皆さんにとって、すばらしい2009年でありますように。

今年はすべての人にとって、「逆転」、「回復」となるような年に。


早いもので、2008年も最後の日を迎えました。

当blogをごらんになっているみなさまに御礼申し上げます。


今年は金融危機はじめ、大変な年でありました。

残念なことに、来年を前にしても、先行きは不透明です。


この雰囲気を改める必要があります。

今こそ、逆転の発想、雰囲気の逆転が求められていると私は思います。


そこで、来年は「逆転」をテーマにしたいと考えています。

来年もよろしくお願いします。また、皆様方にとって、すばらしい2009年になりますように。

講義 民事訴訟 』の第2版?でもないような・・・。それとも、論点本?


藤田広美『解析 民事訴訟』(東京大学出版会)2009年2月発売予定

http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-032348-2.html


好評を博した前著『講義 民事訴訟』で明らかにした「訴訟審理の基本構造」および「訴訟手続の基本プロセス」を踏まえ,理論上の問題点を含む重要なテーマについて分かりやすく解説する.長年の裁判実務の経験に,弁護士活動の実務が加わり,さらに一歩踏みこんだ民事訴訟テキストが実現.上訴についても論述する.

語り口は、学習者向けのような気がしました。

憲法の事例問題を考える際のヒントがあるような気がします。


青柳幸一「人権と公共の福祉」『新・法律学の争点シリーズ 憲法の争点』(有斐閣・2008年)69頁。

1 公共の福祉は正当化理由ではない

 人権制約の問題として『公共の福祉』を論じる際には、まず基本的に次のことが確認されなければならない。それは、『公共の福祉』は、人権制約の正当化根拠にはなりうるが、正当化理由とはならない、ということである。人権制約の正当化根拠である『公共の福祉』の『公共』性の積極的定義を目指した検討が求められる。

(中略)

 『人権相互の矛盾衝突』の文脈を超える規制根拠・理由の検討も必要である。その例としては、未成熟な子どもの保護を理由とする図書規制に見られるようなパターナリズムに基づく規制、2000年11月に制定されたヒト・クローン技術規制法にみられるような『人の尊厳』(『人間の尊厳』)に基づく規制等がある。これらの規制根拠・理由についても、その意味・内容を詰める必要がある。

 2 事実の徹底的な検討の必要性

 人権制約の問題は、本来的に具体的・個別な問題である。なぜなら、各人権の性質・内容・歴史的沿革は様々であるし、各人権に対する規制も特定の社会的・政治的状況のなかで課せられているからである。それゆえ、それぞれの人権制約の正当化理由は、必然的に個別的・具体的に検討されなければならない。人権制約法令の合憲性審査基準論は一定の意義を有するが、重要なことは、審査基準の『あてはめ』ではなく、当該人権を制約するための説得力ある正当化理由の個別的・具体的な検討である。

 (中略)

 学説が採る『三種の基準』論(ESP補足-厳格審査の基準、中間審査の基準、合理性の基準)においても、何が『必要不可欠の目的』あるいは『重要な目的』であるのか、目的と手段の実質的関連性とは具体的にどのような関連性なのか等、より詳論する必要がある。経済的自由の規制法令の合憲性を比例原則によって審査するにしても、手段の適合性や目的と手段の関連性等を事案の内容に即して個別的・具体的に検討することが必要である」


刑法の代表的判例集。


西田典之=山口厚=佐伯仁志『判例刑法総論 第4版』(有斐閣)

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/4641042381


西田典之=山口厚=佐伯仁志『判例刑法各論 第4版』(有斐閣)

http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/4641042373


手に取って頂くと分かりますが、刑法の条文数からしてみれば、とんでもないボリュームといってよいと思います。2冊で1000頁を超えています。


とは言っても、第一線の刑法研究者(1人は現役新司法試験委員)が、学習者にとって必要と判断されて編纂しているのですから、「無駄に厚い」と無視するわけにはいきません。時間制約の中で、全ての判例を押さえることは難しいのかもしれませんが、学習者が押さえるべき判例が収録されているとみるべきでしょう。


刑法というと、結果無価値か行為無価値か、誰の見解に乗っかるべきか、ということが強調されがちです。しかし、刑法も法律であることには変わらないのですから、条文と共に、判例の立場をしっかり押さえることが大切なのだと思います。実務や判例は、結果無価値だ、行為無価値だなど意識してはいないと思います。その意味では、他の法律科目と変わらないのだと思います。


ただ、刑法、刑事訴訟法は、罪刑法定主義、強制処分法定主義という基本原則が支配している領域であります。その意味では、それらの原則を踏み外すような答案には、即座に採点者の印象を悪くする危険があります。新司法試験では、将来の法曹を受け入れる裁判官、検察官が採点者としておりますが、そのような方々にとって、基本原則を大きく踏み外すような人に実務家になってほしくないと考えるのは自然でしょう。その意味では、ダイナミック、アクロバチックな答案よりも、条文・判例に沿ったオーソドックスでシンプルな答案が、相対的に浮かび上がってくるような気がしています。

今さら、という感はありますが、刑法を学ぶ上では、まず最初に読むと有益です。


山口厚『刑法』(有斐閣・2005年)「はしがき」1頁

「刑法解釈論を学ぶにあたり、学説が前提としている解釈論の基本枠組みや通説・判例の基本的な内容は、刑法解釈論に関して最終的にいかなる立場を採るにせよ、正確かつ適切に理解されていなければならない。その上で、それぞれの解釈論が形成・展開される必要があるといえよう。現在比較的多く見られる刑法学習者の態度は、解釈論の細部や末端の枝葉のレベルにおいて、その結論をひたすら暗記しようとするものでないかと懸念される。ことに、刑法解釈論においては、結果無価値論と行為無価値論など見解の対立が厳しいとの理解から、解釈の展開において一貫性を欠いてはならないとの思いのあまり、特定の学説を、その具体的な結論のレベルにおいて、間違えなく覚えようとする態度が生じることになるものと思われる。学説が常に論理一貫しているわけではないことはともかく、そうした学習態度は望ましいものではない。なぜなら、そこでは、問題解決に至る考え方の道筋が十分に理解されず、単に結論だけが重視され、その結果として、応用力が育たないことになるからである。刑法解釈論を適切に学ぶためには、あくまでも段階的な学習が必要なのであり、まず、枝葉に分かれる前の、いかなる見解も前提としている、基本的な理解を身につけることが肝要である」


要は、大多数の人たちが議論の基礎としている部分(条文、判例)を、まずはしっかり押さえることが大切、ということなのでしょう。