道垣内弘人・佐久間毅「有斐閣法学講演会 法律学の学び方2[対談]民法の学び方」法学教室374号56頁

「道垣内 (前略)私が佐久間さんの本で特に良いところだと思っておりますのは、民法の条文や判例について内在的な説明を施そうとしているところなんですね。佐久間さんのお考えとしては、その判例や、あるいは、条文に定められている要件や条文の文言に賛成でないところもたくさんあると思うのですが、それを、理論的に妥当ではないとか、私は反対だとか言って、一刀両断に切り捨てるのでなくて、どうして当該判例はそういう立場を採っているのだろうか、あるいは、どうして民法の条文はそうなっているのだろうか、どうしてこのような文言を用いているのだろうか、というのを、きちんと検討して、説明する。その上で、賛成・反対はあるのですが、まず内在的理解を試みる。この点が、佐久間さんの本のすばらしいところだと思っているのです」


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道垣内先生のご指摘に同感です。

佐久間先生の本は、判例・通説の立場が的確に紹介された上で、なぜ判例や通説が、そのような立場を採っているのか、ということが極めて丁寧に説明されている点が、最大の特徴であると思います。

私も、佐久間先生の教科書を読むことで、判例や通説の内在的理解をすることが出来ました。



論文試験合格者のほとんどが最終合格でした。


平成23年司法試験予備試験口述試験(最終)結果(法務省ホームページ)

http://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/jinji07_00053.html


平成23年司法試験予備試験口述試験の結果(法務省ホームページ。pdf)

http://www.moj.go.jp/content/000080849.pdf

 

以下では、受験者、合格者の内訳が出ています。

 

参考情報(法務省ホームページ)

http://www.moj.go.jp/content/000080863.pdf


以上のデータからは、合格者の多くは、

 

・優秀な学部生
・旧試験の延長組
・新司法試験三振者の受験資格の回復目的組

 

で占められている可能性が極めて高いです。


高校生も受験生の中にいました。
最終合格者はいませんでしたが、短答合格者が1人いました。
ただ、定時制高校などの学生さんも、
「高校生」であることには変わりないので、
必ずしも大学生より年下、とも限りません。

この100名強の方が、早ければ来年の司法試験(※)に参入します。

この方々が司法試験にすんなり通るかは分かりませんが、

少なくとも、短答試験が弱い、ということはあり得ないと思います。

なぜなら、司法試験と予備試験の短答試験はほとんど同じだったことからすれば、

予備試験の短答試験を通過した人が、司法試験の短答は全くダメ、ということは考えにくいからです。

また、詳しいデータは明らかになっていないので、断定はできませんが、

仮に今回の100名強の予備試験合格者が、

短答試験の強者(8割以上は当たり前)であれば、

その方々が司法試験に参入すると、

短答の平均点を上げる効果をもたらし、

それがひいては、短答の「足切り点」の上昇につながる可能性もあります。


来年以降、司法試験を受験される方々は、そのことを考慮した上で、

今後の受験戦略を立てていくことが必要となります。


※「新司法試験」は、旧司法試験の終了に伴い、「司法試験」に改名されたようです。



全科目、かなり踏み込んだ記述が見られ、また、新司法試験との関係も意識されています。

ガイダンスは相当、充実したものになったと思われます。


2012年度司法研究科合格者向けガイダンス配付資料(同志社大学法科大学院)

http://law-school.doshisha.ac.jp/00_info/111024_jugyoujunbi.html


特に、刑事訴訟法については、新司法試験を受験予定の全ての方が、必読と言っても良いかも知れません。

作成が古江先生であることが、すぐ分かる内容ですね。


以下、引用。


「入学までの準備
・いわゆる純粋未修者は,入門書から刑事訴訟法学の世界に入ることもあり得てよいが,入門書は,所詮学部1,2回生のためのものであり,諸君は,法律実務家になる覚悟でロースクールに入学するのだから,入門書ではなく,いきなり概説書(基本書),例えば,後記【5】の田中開・寺崎嘉博・長沼範良『刑事訴訟法(第3版)』(有斐閣アルマ)などを読んでみてはどうだろうか。1Lは,「刑事訴訟法講義」が秋学期に配置されているので,入学後の夏休みに読まれることをお勧めする。
法学未修者であっも刑事訴訟法を学んだことのある者は,入学後の夏休みには,定評のある概説書を熟読し,秋学期の刑事訴訟法の講義に備えていただきたい。
・法学既修者は,入学するまでの間に,定評のある概説書を熟読し,入学後すぐに始まる「刑事法演習Ⅲ」に備えていただきたい。「刑事法演習Ⅲ」では,教科書は,特に指定しないので,これまで使用していた概説書を用いていただいて差支えない。また,後記【5】の法学教室の連載である酒巻匡「刑事手続法の諸問題」は,概説書では触れられていない基本的かつ重要な問題について理解するために不可欠な文献であって,明年4月の入学までに読んでみられることを強くお勧めする」

法科大学院の未修コース入学予定者に入門書が薦められることが多いですが、確かに入門書は、あくまで入門書に尽きるので、別に最初から入門書に限る必要はないのかも知れません。刑事訴訟法については、有斐閣アルマから始めれば、それで良いと思います。


なお、ガイダンス資料では、任意捜査の限界について、「必要性・緊急性・相当性」の3要件並列型ではなく、比較衡量の上、処分が相当であったかを判断する構造となっています。実は近時、この理解の方が多数であります。昭和51年決定を正確に読むと、後者の理解(ガイダンス資料の通り)の方が適切であると考えています。


11月24日。


第2回 法学会講演会のお知らせ (同志社大学法学部ホームページ)

http://law.doshisha.ac.jp/topics_news/2011/11/03001848.html


演 題  「詐欺罪に関する近時の動向」
講 師  東京大学大学院法学政治学研究科教授 山口 厚 氏
日 時  2011年11月24日(木) 13:15~14:45
会 場  新町キャンパス臨光館301番教室


中田裕康『債権総論[新版]』(岩波書店、2011年)


「初版はしがき」より(ⅶ頁)


「債権総論は、むずかしいといわれる。たしかに、『債権』という権利について、その内容や効力などを検討するという抽象的な議論は、日常生活とは距離があり、もともと、わかりにくい。学説のむずかしさもある。かつては、我妻栄『新版債権総論』に代表される通説があったが、その後の学説は、通説を批判し、その前提を問い直すことによって発展した。それは進展ではあったが、ともすれば、議論が多層的かつ精緻な、つまり複雑なものとなり、また、ときとして、その内容が独自の概念に凝縮されることもある。その結果、その成果が研究者の狭い社会の中でしか共有されていない状況に陥っているのかもしれない。さらに、多数の判例と特別法の出現、高度な実務の発達、国際的な動向の影響など、情報量が著しく増加し、その吸収がたいへんだということもある。このような事態のもとで、学生のなかには、さらには法曹界においてさえ、近年の学説の展開に関心をもたない人々が見られなくもない。


 しかし、他方、裁判の場はもとより、先端的な取引実務の場においても、新たな問題の解決や新しいシステムの構築にあたって、債権総論にかかわる理論的検討が求められることは、決して稀ではない。そして、なによりも、民法(債権法)の改正が予定されている現在、それを正面から取り組み、よりよい民法の構築に向けて力を出し合うためには、この領域における実定法(制定法・判例)と学説の現況を把握することが必要となる。そうだとすれば、むずかしいといわれる債権総論を少しでも平明に伝えることは、大学でこの分野を研究する機会を与えられている者の責務であろう。優れた体系書・教科書が多くあるなか、筆者かその驥尾に付したいと考えたのは、このような気持ちからである」




中田先生らしい「はしがき」だなと思いました。そして中田先生の本を実際に読んだ人であれば理解できると思うのですが、「平明に伝える」というはしがきでの言葉が、本の中でしっかり実現されています。従来の議論、判例を正確に紹介し、また、水準を落とさず平明に伝えようとしていることが、読んでいて理解できます。その意味で私は、債権総論のテキストの中で、中田先生のを推薦します(より基本的な本としては、渡辺達徳・野澤正充『NOMIKA債権総論』(弘文堂、2007年)を推薦します)。




中田先生は、「精緻な議論を展開すると、学生や実務家がついてこないジレンマ」を的確に指摘しています。私もよく感じるのですが、「有力説」というのは、議論が精緻だなあと思うのですが、理解が難しい、という印象を受けます。参照がほとんどできない極めて厳しい環境の下で、答案という形で表現を強いられる司法試験受験生が、精緻な見解であるが書きにくい説よりも、書きやすい説に流れるのは、自然なことだと思います。「それはけしからん」というのは簡単ですが、試験に合格することで結果を出さなければならないプレッシャーを受けている学生・受験生のに、そのようなことを言うのは酷ではないかと思います。特に、判例が昔に比べて莫大に増え、学説が百家争鳴となっており、それを的確に整理するのは、時代と共に難しくなっているわけです。現に教科書は時の流れと共に、厚くなっています。




なお、「少数(有力)説で書いても、採点では影響がない」と言われ、これはその通りだと思うのですが、実はこの前提には、「少数(有力)説を、正しく説明していること」という前提が付け加わるのだと思います。しかし、「少数(有力)説を、正しく説明すること」が、実は難しいことが多いのです。仮に少数説を採った受験生が悪い点数をとったのであれば、それはその説をとったからと言うよりも、その説を正しく説明できなかったから、という可能性が高いように思われます。また、ときたま論文の中で、「自説を批判する○○教授は、自説を誤解している」というものが見られますが、これは誤解している方が悪いのか、誤解されるような説明をしている方が悪いのか、分からなくなることもあります。




なお、議論が精緻すぎて、学生や実務家が付いてこれない具体的な一例として、思い浮かぶのは、不当利得の類型論ではないかなと思います。不当利得の類型論は日本を代表する民法研究者が、精緻な議論を展開しているのですが、その内容が精緻しすぎて、学界の外では、もしかしたら学界の中ですら、共有されていないのではないか、という感を受けています。

内田貴『民法改正-契約のルールが百年ぶりに変わる』(ちくま新書)


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債権法改正の議論状況を知っている人であれば分かると思いますが、民法改正についてはまだ検討段階です。改正が決まったわけではありません。例え法制審議会が改正にゴーサインを出したとしても、立法部門が法律案を通すかは全く未知数です(民主党も、自民党もまだ態度決定はしていないのではないか、と思われます)。したがって、本書の副題に「契約のルールが百年ぶりに変わる」とありますが、まだ決まったわけではありません。その意味で副題は、ミスリードだと思います。


個別規定の手直しや、明文化のみならず、民法(の財産法部分)を、契約法を中心とするルールに組み替える方向性が強くにじんでいます(230頁以下)。その意味で、仮に内田先生の言うとおりの改正となれば、民法の位置づけは、大きく変わることになると思われます。しかしこの点については、特にドイツ法を中心に研究されてきた研究者の先生方や、伝統的な民法学の下で勉強してきた実務家の先生方からは、反発のあるところではないかと思います。


本書では、改正の必要性が詳細に論じられ、また改正に反対する実務界への反論も書かれています。内田先生の立論には説得力を有するのですが、仮に改正されれば、そのルールを使うのは法曹実務界です。どんなに立派なルールを作っても、「現場」が対応できなければ、混乱を招くだけです。仮に改正ということになっても、反対論の強い実務界への粘り強い説得のプロセスは、不可欠と思われます。


民法改正に関する法制審議会の審議は続いていますが、会社法の例を見れば分かるように、法制審議会での提案が、必ずしも条文に盛り込まれるとは限りませんし、法制審議会が想定していなかったルールも条文案に盛り込まれる可能性もあります。会社法と同様、条文化の作業は、法務省の官僚(検察庁(検事)や裁判所(裁判官)からの出向者も含む)と、有名法律事務所の弁護士(形式的には、法務省への出向という扱いになる)によって行われると考えられ、今後出される条文案が何より重要と思われます。


あくまで現行のルールの理解を問う国家試験(司法試験、司法試験予備試験)の受験生は、現在の議論を詳細にフォローする必要はないと思いますし、それより現行法のルールや解釈の理解に力を注ぐべきだと思います。しかし、全く無関心と決め込むのも得策ではないと思われます。仮に改正されれば、法曹三者は、改正内容に対する賛否を問わす、改正法のルールによる事案解決に迫られます。本書などを読むことを通じて、債権法改正の動向に関心を持った方が、長いめで見れば得策と言えるでしょう。


なお、内田先生は「ルールはルールブックに書くべきなのです」(本書111頁)と述べています。こけに対しては、あくまで法典は必要最小限とし、後は「(市民)社会」の解釈の発展に委ねるべきだ、という批判もありうると思います。しかし、「解釈の発展に委ねる」というのは、結局、裁判官や法律学者が力を持つことを意味します。私は、立法権者である政治家が絶大な権力を持つ社会が望ましいとは思いせんが、他方で、一般市民社会から遠く離れた場所にいる、裁判官や学者が、絶大な力を持つ社会も、決して望ましいとは思いません。裁判官や学者は、市民に責任を負わないからです(政治家の無責任体質が昨今問題になっていますが、政治家についてはいざとなれば、選挙で落とすことができます。特に小選挙区制の下では、それがより可能になったと思います)。さらに、現実論として、ルールを書き込むということを100パーセント実現することはできないかもしれませんが、立法に際しては、「ルールはルールブックに書くべき」という目標を、常に持ち続けるべきだと考えています。