院長のおれ流 | 「人の痛みがわかり、患者さんを身内の如く」を心がけている歯科医院です。

「人の痛みがわかり、患者さんを身内の如く」を心がけている歯科医院です。

医療の基本がお互いの信頼関係の構築と考えています。
患者さんの素朴な疑問に「傾聴する」姿勢が最も大切と考えています。
「相手を思いやる気持ち」を大切に、
前向きに研鑽を積んでいきますので、皆さん御教授の程、お願い致します。

今日は趣向を変えて我が家の子育て、教育方針についてお話致します。

当然自由業である以上家族には、子供の頃から大変迷惑をかけています。

妻は歯科業界とは全く別の幼稚園の先生でした。

結婚前は男なら誰でも言うセリフ?

「あなたには苦労は掛けません。牛馬車を引っ張ってでも幸せにします。」

等と、今思えばよくもまあ言えた物だと思います。

診療報酬請求事務(レセプト)の手伝いも教えてさせました。

今でこそ、毎日受付がレセプトコンピューターに一人ずつ入力するので、月末締めは、自動算定、

打ち出しもひとりでに出来ますが、昔は所謂手書きで診療行為一つずつ記入し横計、縦計を

一枚ずつ調べ、カルテとの突合を、何枚もし、社会保険、国民保健に分けて仕分けをして、

最後に閉じて終了となります。

子供がまだ、上の子が幼稚園、下の子が2歳ぐらいの時でも、子供が病気で母を慕っても、

そういう時に限って、スタッフの人が休んだりするものでした。

子供がおたふく風邪で顔がはれ上がり、さぞや、痛いだろうに、本人も、小さい時から、

感覚的にここはいくら甘えたり、泣いても、母は病院に仕事に行く事を小さい時から、肌で

覚えていました。

母は後ろ髪をひかれる思いで必死に医院を死守してきました。

歯科医院というと傍目には、きれいで、力仕事が無く楽に見えますが、

一日中、中腰の立仕事であり、当時の患者さんの来院数たるや、凄まじい数で、体力的にも、

精神的にもきつくて、なかなか、長続きは難しい時代でした。

今、子供に手を掛けすぎる親御さんが多いと聞きます。

駅まで歩いていけれる距離なのにすぐに「送ってー」「雨に濡れるのいやじゃん」・・

といわれ送らせる子も多々あると聞きます。

我が家は、小さい頃から、「自分の事は自分で」「頼りたい時に親はなし」「最後に頼れるのは自分」

の家風と、教育方針で貫いて参りました。

その分、母親も、手足足取り等はできず、幼稚園になると「運動靴は自分で洗おう」

と言う具合にステップアップしていきます。

上の長男は正に「人を頼りにすることはあっても、あてにはしない」自立が早く、

今は100分掛けて中高一貫の私立高校にかよっています。

下の娘もカトリックの私立女子校に通っています。

彼女が中学受験合格したのを気にそれまでもたびたびお手伝いはしていたものの、

00チャン、デーーと称して、彼女の出切る手料理を作らせることにしました。

サンドイッチ、ラーメン、チャーハンなんでもいいのですが、いずれ母となったときの予備校みたいな物

です。

ただ、母の無念さはわが子を抱いたり、温めながら寝たりという機会はほとんど無く、

ただひたすら私の至らない点をフォローして、とにかく患者さんの為に、迷惑を掛けないためにを

念頭に幾ばくかの犠牲もしいられました。

私も、バブルの全盛期、世は正にうかれ、いけいけどんどんの風潮でした。

ご他聞にもれず、私も、母子家庭と言われる如く日に日に外出でした。

ある時、4歳の長男が、私が出て行くのを見とどけるや否や、「お父さんは今日も飲みに行ったの?」

だったそうです。

このブログでいかにも私は生真面目で、緩むことも無い人間像に思われがちですが、

実に良く働いたのですが、実に良く、良く遊びました。

でも当時のスタッフに対して、業者さんに対しての、医院を取り巻く人たちに支えられて

今ここに至り、「患者さんと同じ目線で、人の痛みが解る歯科医師でありたい」

等と、一人前の事を少しは言えるようになったのも、昔の失敗の積み重ねから肌で感じ、

自分なりに、人まねでない優勝監督の落合監督の「俺流」を貫き通してきたからかも知れません。

子供の頃に何もして上げれなかった私は両者中学受験の時から、今までの「窓に明かりが♪」

では無いですがつぐないのつもりで、大いに関わり、中学の父兄懇談、文化祭、運動会、説明会・・

塾選定委員でもあり、絶えずかかわりをもつようにしています。

深夜まで勉強しているので、なにげなく覗き「どうだ、調子は?食べにでも行くか?」

と深夜のおはこ「デニーズ」友の会の会員の様に連れて行き、今の悩みを押し付けではなく、

聞き役に回り、又、討論しながら、親子の絆を強めたいと考えています。

私の親も会計事務所で自営業でしたので、決算の折には、父の顔さえ見たことも無く育ち、

当然後継ぎにもかかわらず、全く別の方向に行って大変な親不孝をしたものだと思います。

長男もはっきりとは言いにくいらしく、本音は歯科医院は継ぎたくない模様で、医師の道に

進みそうです。

自分が勝手に家を飛び出て、息子にお前は・・などとはとても言えません。

結婚相手も、親が進める、資産家のお嬢さんを取らずに、「お互いが一から始めようよ!」

と若気の至り?だったかも知れません。

今でこそ、妻であり、スタッフであり、業者さんであり、技工士さんであり、すべての人に対する

思いやりや、相手の身に成り、立場に立てる人間になりつつあります。 http://www.mizutani9620.com