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F1のある暮らし ~夢を実現するブログ

自分の夢は『F1を日本の文化に定着させること』と『スーパーアグリを復活・発展させること』です。 その夢の実現のため、日々実践し、そこから得られた気づきをご紹介します。 「そもそもF1の魅力って何?」という事も、読者の皆さんと一緒に考えて行ければと思います!

みなさま、こんばんは。

イギリスGPを前にビッグニュースが飛び込んで来ましたね。

マーク・ウェバーが今シーズン限りでF1を引退することが発表されました。

来年は、WEC(世界耐久選手権)のLMP1クラスに復帰するポルシェの
ワークス・マシンをドライブすることも彼の発表に先立ち明らかになっています。

ここまで明確になった事実は、
予てから流れていた噂と完全に合致するものでしたね。

現在、最年長ドライバーのウェバーが去ることで、
来季のグリッドではマクラーレンのジェンソン・バトンが最年長になる予定です。

ウェバーは2002年にミナルディからグランプリデビューを果たしています。

開幕戦は、いきなりの母国レースのオーストラリアGPでしたが、
ここで5位入賞を果たして、その非凡さを魅せつけています。

シーズンその後は、入賞はなく、シングルフィニッシュが一度という状況でしたが、
彼のキャリア構築には役立ったようで、
翌年ワークスであるジャガー(レッドブルの前身チーム)へと移籍します。

しかし、ジャガーでは入賞を賭けて戦うのが精いっぱいで、
2年間の在籍期間を経て、2005年に新天地ウィリアムズへと活路を求めています。

2005年のウィリアムズはBMWエンジンを搭載していたこともあり、
モナコで初表彰台を経験するなど順調なシーズンを過ごしました。

しかし、コスワース・エンジンになった2006年は一転、
低迷したため翌2007年に現在も所属するレッドブルへと移籍しています。

レッドブルでは、チーム力が向上していく過渡期だったこともあり、
マシンのポテンシャルに応じて、ウェバー自身の成績も向上することになります。

2009年ドイツGPでキャリア初優勝をポール・トゥ・ウィンで飾ると、
2010年は彼のキャリアでも最高の年を過ごすことになります。

この年、シーズン4勝を挙げ、
最終戦までチャンピオン候補としてレースを戦いました。

結局は、僚友セバスチャン・ベッテルがタイトルを奪取したのですが、
この年以後、コンストラクターズ選手権をチームが獲得するために貢献しました。

今季もまだ12戦を残していますので、最終年度を悔いなく戦い、
来季もポルシェでの新たなキャリアを楽しんで欲しいですね。


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たとえ危険でも、

興味深い道を進むことを

恐れてはいけない


ホンダ シニアテクニカルディレクター
中本修平

(出典:グランプリ特集 2007年2月号)




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1985年6月27日にニコ・ロズベルグは生まれました。

ニコは、1982年にワールド・チャンピオンに輝き、F1での初代フライング・フィンの
異名を持つケケ・ロズベルグを父に持つ2世ドライバーです。

2005年に国際F3000から再編されたGP2シリーズの初代チャンピオンに輝き、
その活躍が認められてF1のシートを獲得することになりました。

蛇足ながら、彼以降も含めて、
GP2チャンピオンはF1でも通用するという事を証明してきた一人ですね。

2006年にウィリアムズからデビューを果たしましたが、この時は、
ケケがチャンピオンを獲得したウィリアムズとコスワース・エンジンの組み合わせの
マシンをドライブするという事で話題になりましたね。

デビュー戦となったバーレーンでは、いきなり7位入賞を果たすと共に、
ファステスト・ラップも記録して、その非凡さを証明しています。

ちなみに、このファステストは史上最年少記録だったようですね。

しかし、その後はウィリアムズが低迷していたこともあり、
なかなか周囲が期待するような活躍ができませんでした。

パドックでもその実力が認められていたこともあり、
毎年のようにストーブリーグでトップチームへの移籍を噂されながらも
結局は2009年までウィリアムズでドライブし続けています。

この間、2008年に2度ポディウムに上がったのが、成果らしい成果でしょうか。

2009年には、メルセデス・ワークスが復活し、
ドイツ国籍の彼にとって母国のチームと契約をしました。

ミハエル・シューマッハが2度目の現役生活をするチームに選んだこともあり、
史上最も成功を収めたドライバーのチームメイトを務めることになりました。

2009年シーズンのミハエルとニコは常に比較されていたようなイメージです。

結局、この対決をニコが制し、
偉大なチャンピオンをベンチマークに益々彼の実力が評価されることとなりました。

メルセデス初年度は3度の表彰台を獲得して期待されましたが、
2年目のチームは低迷し、入賞争いするのがやっとの状況に落ちました。

しかし、3年目の2012年に苦労が花開き、
第3戦中国GPで初のポール・ポジションを獲得すると、
そのまま初優勝を勝ち取り、初ポール・トゥ・ウィンを達成しました。

ここまで、苦労した彼が初優勝に有したのは実に111戦でした。

その後もとんとん拍子とは行かず、2勝目は今年2013年のモナコで達成。

今年は、ルイス・ハミルトンとのチームメイトバトルの結果もあり、
年々評価を上げて来ながらも、なかなかブレイクできずにいるニコ。

マシンさえあれば、
2009年のジェンソン・バトンのように爆発すると思うんですけどね。


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みなさま、おはようございます。

今シーズン、自身のF1キャリア初の移籍を実施し、
マクラーレンからメルセデスへとチームを移ったルイス・ハミルトン。

カート時代から所属しているマクラーレンを離れることで、
ハミルトンにとっては大きなブレイクスルーになったのかもしれません。

移籍が発表された際には、マクラーレン前チーム代表ロン・デニスとの確執や
マクラーレンの伝統である優秀トロフィーをチームが管理する件
(ドライバーにはレプリカしか渡してもらえない)などが理由と報道されていました。

しかし、最近ハミルトン自身がメディアに語ったところによると、
タイトル獲得の可能性の問題であったそうです。

デビュー2年目の2008年にワールド・チャンピオンに輝いて以降、
レッドブルの好調もあり、なかなか彼はタイトルに挑戦できませんでした。

ハミルトン曰く、タイトルは一回取っただけでは認められず、
2、3、4回と取って初めて特別なドライバーと認められると考えているそうです。

そのチャンスを掴むための移籍であったと語っています。

すぐには無理でも、
メルセデスにはそのポテンシャルがあると判断したという事ですね。

3年契約を締結したハミルトンですが、今の時点で他チームに移籍することは
考えられないと言いながらも、将来的な選択肢として、
フェラーリへの移籍も視野に入れているそうです。

というか、フェラーリで走ることは夢であるとも言います。

そういえば、現在レッドブルで連続タイトル獲得中であり、
すべてのドライバーが欲しがる環境でドライブしているセバスチャン・ベッテルも、
フェラーリをドライブするのが夢だと語っていましたね。

(2015年までレッドブルとの契約を延長しましたが、
翌2016年からフェラーリ移籍の噂が絶えません。)

過去に、複数のドライバーの発言にもあったと思いますが、
やはりフェラーリはドライバーにとって特別なチームで、
いつかは真っ赤な跳ね馬を操りたいと思わせる魅力があるようですね。

やはり、伝統と実績がそう思わせるんでしょうかね。


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ミスを恐れてはいけない。

なぜならば、

ミスから学べることもあるからだ


ホンダ シニアテクニカルディレクター
中本修平

(出典:グランプリ特集 2007年2月号)




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フィリップ・ストレイフは1980年代に活躍したフランス人ドライバーです。

1955年6月26日に彼は生まれました。

F1参戦以前は、後にチームとしてもF1参戦を果たすAGSに主に所属し、
1984年のF2最終戦で勝利を飾ってF1のキャリアへとつないでいます。

そのF1でのデビューは、1984年の最終戦ポルトガルGPでした。

翌1985年に撤退してしまうルノーからの出場でしたが、リタイヤに終わっています。

1985年は第12戦イタリアGP以降の5戦に出場。

ルノー・エンジン繋がり(?)で、
主にリジェ、第15戦のみスポットでティレルから出場。

最終戦オーストラリアで、チームメイトのジャック・ラフィーの2位に続く、
3位表彰台を獲得しています。

ちなみに、彼にとっては、これが最初で最後の表彰台でした。

ただ、この功績が認められたのか、
翌1986年にようやくレギュラーシートをティレルで手にします。

ルノー・ターボエンジン搭載車で2度の入賞、翌1987年はターボ廃止、
NA化のレギュレーションを先取りしたフォードDFZ搭載車で、やはり2度の入賞。

なお、この年にチームは自然吸気エンジンを対象としたチャンピオンシップ
(こんなのがあったんですね、知りませんでした...)で
ドライバーズ、コンストラクターズの両選手権を制覇しており、
もちろん、ストレイフもこれに貢献しています。

1988年は、F2時代の所属チームであったAGSのシートを得ました。

シーズン序盤で速さはそこそこ魅せながらも、信頼性不足からリタイヤも多く、
入賞争いには絡めませんでした。

加えて、チームの資金難から開発も進まず、シーズンが進むにつれて
苦戦の色が濃くなり、苦しいシーズンを送ることになりました。

1989年もAGSのシートを確保していましたが、開幕直前のテストでクラッシュ、
脊髄を損傷する重傷を負ってしまいます。

下半身に麻痺が残る程で、以後は車いす生活を強いられ、
1988年シーズンをもってF1から突然の引退をすることになってしまいました。


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みなさま、おはようございます。

2014年シーズンは大幅なエンジン・レギュレーションの改定に加え、空力など
マシンの外観に影響を及ぼすレギュレーション変更が予定されています。

2009年以来、安定したレギュレーション下で行われている現在のF1から一転、
来季、各チームは新たなレギュレーションの解釈競争とも言える戦いが
繰り広げられることになります。

それはすなわち、文面の解釈や表現されていない抜け穴から、
スピード向上につながるソリューションを導き出すという事です。

例えば、2009年にブラウンGPがダブルディフューザーを中心とした
マシン設計を行って、シーズンを席巻したようなです。

当時は、ダブルディフューザーの是非が大きな議論となりましたが、
その背景にあったのは、この技術が許可されてしまうと他チームは
マシン開発のコンセプトに立ち返っての改良が必要になるということでした。

結局、彼らのディフューザーは合法と見なされ、
他チームが同じソリューションを導入したマシンを準備するまでに
チャンピオンシップで圧倒的な差をつけてしまいました。

ジェンソン・バトンが最初の7戦で6勝した後、まったく勝てないながらも
チャンピオンを獲得したという事からも、
いかに前半で圧倒的な差を築いていたかが分かります。

同じような状況が2014年にも起こるかもしれないと関係者は考えているようです。

特に、今シーズンは徐々にレッドブルとセバスチャン・ベッテルが
チャンピオンシップの差を広げつつあり、
チーム側は早めに見切りをつけて来季に備える可能性があるからです。

2009年のブラウンGPが、2008年を捨てて翌年に賭けたように。

とはいえ、早く着手したから良いという訳ではなく、いかに素晴らしい、
他チームが導入困難なアイデアをマシンに搭載できるかが勝負の分かれ目です。

レッドブルのエイドリアン・ニューウェイの様に一人の鬼才に託した方が良いのか、
メルセデスのようにテクニカルディレクター・クラスの知恵の集合から
答えを導き出すのが良いのか。

いずれにしても、景色が変わる可能性がある期待させるシーズンではありますね。


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レーシングカーを運転するときには

”マージン”っていう言葉は

いちばん嫌いだから、

僕は


スーパーアグリ ドライバー
佐藤琢磨

(出典:グランプリ特集 2007年1月号)




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フランス人ドライバー、パトリック・タンベイは1949年6月25日に生まれました。

彼は、ドライバーとしての能力は高かったようですが、いかんせんマシンに
恵まれる機会が少なく、目立った活躍ができずにF1から去ることになりました。

ちょうど昨日のこのコーナーでお伝えした
ファン・マヌエル・ファンジオと対照的と言えるでしょう。

彼のキャリアは紆余曲折です。

2度に渡ってブランク期間を発生させつつも、1977年~1986年まで現役でした。

デビューは1977年の第9戦フランスGPでした。

サーティースから出走したものの予選不通過に終わってしまいました。

従って、事実上のデビューレースは翌戦のイギリスGPになります。

この時は、エンサイン・シャシーを使用するセオドールに移籍して臨みました。

予備予選から、決勝に這い上がりましたが結局リタイヤ。

それでも、この年は3度に渡って入賞する活躍で翌年に繋げました。

前年の走りが認められ、
1978年はマクラーレンにジェームズ・ハントのチームメイトとして移籍。

ところが、チームはウイングカー開発に出遅れ不振中のシーズンでした。

1978年には何とか5回の入賞を果たしたものの、
翌1979年はノーポイントに終わってしまいます。

この結果、彼はF1のシートを失ってしまいました。

1年間のブランクを経て、
1981年に再びセオドールからキャリアを復活させ、開幕戦で6位入賞。

その後はチームが低迷したこともありノーポイントのまま、
第8戦フランスGPがリジェに移籍。

リジェからの出走はすべてリタイヤという失意のシーズンとなってしまいました。

これで再びシートを失ってしまいます。

ここで、転機はやってきます。

1982年第9戦オランダGPからフェラーリに電撃移籍、
あのジル・ビルヌーブの後任でした。

この年は、第10戦ドイツGPでキャリア初優勝し、
翌1983年も第4戦サンマリノGPで優勝。

キャリアの最盛期を迎えました。

しかし、1984年にはチームがミケーレ・アルボレートを獲得し、
ルノーへと移籍します。

残念ながら撤退間近のチームでは成績を残せず、結局1985年でルノーは撤退。

1986年にはローラにシートを求めるものの、戦闘力不足は否めず、
彼にとって最後の入賞を第12戦オーストリアGPで達成するのが精一杯でした。

最終的に、この年をもってF1のキャリアを終焉させたのでした。


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みなさま、こんばんは。

メルセデスによる2013年型マシンを使用したピレリタイヤのテストに関して、
国際法廷での結論が先週、出ました。

裁定としては、戒告処分に加えて、シルバーストーンで行われる予定の
若手ドライバーテストへの参加禁止という処分が下りました。

これに対して、レッドブルやフェラーリといったメルセデスを訴えたチームは、
メルセデスが有罪判決を受けながらも、その処分の軽さに不満を訴えています。

レッドブルの主張としては、レギュラードライバー2名を投入して実施したテストから
得られる情報と、F1マシンにすら不慣れな若手ドライバーによるテストから
得られる情報がイコールであるとは考えられないと鼻息も荒い様子。

一部の報道では、この軽い処分に対し、レッドブルは自らも
(ルール違反と知りながら)レギュラードライバーによるタイヤテストの実施を
検討していると言われていました。

若手ドライバーテストを欠席して、セバスチャン・ベッテルとマーク・ウェバーが
参加してのピレリとのタイヤテストを実施するという事ですね。

確かに、不満の理由は分かりますし、ペナルティが軽すぎる、
言い方を変えればペナルティを課されても実施する価値があると考えられる
状況であればルール破りのテストに踏み切りたくなるのでしょう。

特に、タイヤ性能が勝敗を決する、今シーズンのような状況であれば。

しかし、最終的にレッドブルがルール違反のテストを実施するという話は
冗談だったと報じられています。

支払う代償と得られる成果から実利がもたらされるとはいえ、それをしてしまうと
スポーツの精神やモラルなどF1に対する信頼感が失われることになったでしょう。

と、考えると、レッドブルには踏みとどまって(?)もらって良かったです。


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