フランス人ドライバー、パトリック・タンベイは1949年6月25日に生まれました。
彼は、ドライバーとしての能力は高かったようですが、いかんせんマシンに
恵まれる機会が少なく、目立った活躍ができずにF1から去ることになりました。
恵まれる機会が少なく、目立った活躍ができずにF1から去ることになりました。
ちょうど昨日のこのコーナーでお伝えした
ファン・マヌエル・ファンジオと対照的と言えるでしょう。
彼のキャリアは紆余曲折です。
2度に渡ってブランク期間を発生させつつも、1977年~1986年まで現役でした。
デビューは1977年の第9戦フランスGPでした。
サーティースから出走したものの予選不通過に終わってしまいました。
従って、事実上のデビューレースは翌戦のイギリスGPになります。
この時は、エンサイン・シャシーを使用するセオドールに移籍して臨みました。
予備予選から、決勝に這い上がりましたが結局リタイヤ。
それでも、この年は3度に渡って入賞する活躍で翌年に繋げました。
前年の走りが認められ、
1978年はマクラーレンにジェームズ・ハントのチームメイトとして移籍。
ところが、チームはウイングカー開発に出遅れ不振中のシーズンでした。
1978年には何とか5回の入賞を果たしたものの、
翌1979年はノーポイントに終わってしまいます。
この結果、彼はF1のシートを失ってしまいました。
1年間のブランクを経て、
1981年に再びセオドールからキャリアを復活させ、開幕戦で6位入賞。
その後はチームが低迷したこともありノーポイントのまま、
第8戦フランスGPがリジェに移籍。
リジェからの出走はすべてリタイヤという失意のシーズンとなってしまいました。
これで再びシートを失ってしまいます。
ここで、転機はやってきます。
1982年第9戦オランダGPからフェラーリに電撃移籍、
あのジル・ビルヌーブの後任でした。
この年は、第10戦ドイツGPでキャリア初優勝し、
翌1983年も第4戦サンマリノGPで優勝。
キャリアの最盛期を迎えました。
しかし、1984年にはチームがミケーレ・アルボレートを獲得し、
ルノーへと移籍します。
残念ながら撤退間近のチームでは成績を残せず、結局1985年でルノーは撤退。
1986年にはローラにシートを求めるものの、戦闘力不足は否めず、
彼にとって最後の入賞を第12戦オーストリアGPで達成するのが精一杯でした。
最終的に、この年をもってF1のキャリアを終焉させたのでした。