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F1のある暮らし ~夢を実現するブログ

自分の夢は『F1を日本の文化に定着させること』と『スーパーアグリを復活・発展させること』です。 その夢の実現のため、日々実践し、そこから得られた気づきをご紹介します。 「そもそもF1の魅力って何?」という事も、読者の皆さんと一緒に考えて行ければと思います!

限度がどこまでか

ということを知るのは、

とても重要なことだ


フェラーリ ゼネラルディレクター
ジャン・トッド

(出典:F1速報 2007年ベルギーGP号)




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F1の長い歴史の中で、様々な偉大な記録が残っていますが、
フォード・コスワース・DFVエンジンほど偉大な記録を持つものは無いでしょう。

一つのエンジンシリーズとして、グランプリ155勝!

きっとこれは、今後も破られることのない記録でしょう。

メーカー毎の記録として見ても、フォード・エンジンの176勝は、
フェラーリ・エンジンの222勝に次いで2位です。

ちなみに、昨今勝ちまくっているルノー・エンジンは154勝の3位と接近中。

そんな、DFVエンジンが初めてレースを走ったのが、
1967年6月4日F1世界選手権第3戦オランダGPです。

ロータス49に搭載されたDFVエンジンは、
グラハム・ヒルの手でポール・ポジションを獲得し、
ジム・クラークのドライブにより、デビュー戦で優勝を果たしました。

DFVはV8で最高出力はホンダやフェラーリなどのV12勢に負けていましたが、
軽量、中速トルク重視、ストレスメンバーとしてのシャシーとの相性の良さ
を武器に勝利数を積み重ねることになります。

1967年はロータスのみに供給していましたが、翌年からは市販を開始。

当時はシャシーも購入することができ、ギアボックスもヒューランド製を購入し、
DFVとの組み合わせがデファクトスタンダードともいえる構成になっていました。

一時期、フェラーリを除けば、すべてがDFVエンジンという状況すら存在したほど。

最終的には、1980年代前半のルノーを始めとするターボ勢の台頭により、
一線を退かざるを得なくなりましたが、その間1985年までの長きに渡り、
改良を積み重ねました。

1983年のアメリカ東GP(デトロイト)で、
ティレルのミケーレ・アルボレートが挙げたのが最後の勝利でした。


今日もF1を楽しみましょう!




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みなさま、おはようございます。

小林可夢偉のオフィシャル・ウェブサイトに久々に彼のコメントが踊っています。

「僕はやはり来年必ずF1に復帰したいと思っています。」
という、力強いコメントが掲載されています。

ただ、おやっ、普通じゃないな、と思わせられたのが、
”KAMUI SUPPORT”の支援金について言及した部分です。

F1シートを獲得できなかった今年については、
このお金を一切使っていない事は以前から伝えられていました。

改めて、このお金がF1シート獲得のために募ったものであることを確認した上で
「もし来年このお金を使わずにF1シートを獲得できた際には、
みなさまにお返しするつもりです。」
とコメントしています。

返金について言及するにあたり、F1シートを獲得できなかったときの話ではなく、
シート獲得のために支援金が必要なかった時の話をしています。

これって、考え過ぎかもしれませんが、(いや、考え過ぎでしょうが)
2014年のシート獲得は、ほぼ前提のコメントになってません?

しかも、能力を買われてのシート獲得のため、
持ち込み資金が要らないという風に読めません?

今、そんな話ができるとすれば、
当然、フェラーリとのコネクションの延長線での話でしょう。

来年、フェラーリ・エンジンの使用が予想されるのは
フェラーリ、ザウバー、マルシャ。

この中で、持ち込み資金を必要しないとすればフェラーリしかないでしょう!

もしかしたら、フェリペ・マッサの後任としての話を何かしてるのか?
なんて期待してしまいますね!

以上、深読みし過ぎた話でした。


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ワールドチャンピオンよりも

私は

自分の命の方が

大切だからね


マクラーレン ドライバー
アラン・プロスト

(出典:F1速報 2007年ベルギーGP号)




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デビッド・リチャーズ、
日本のモータースポーツファンにも馴染みがある名前ではないでしょうか?

彼が生まれたのは1952年の6月3日。

プロドライブを率いる彼は、元々はWRC(世界ラリー選手権)でスバルを走らせ、
ドライバー、マニュファクチャラーチャンピオンを獲得するなど成功を収めました。

そんな彼の最初のF1チームとの関わりは、
フラビオ・ブリアトーレがそのポジションを追われたベネトンでした。

しかし、よく覚えてませんでしたが、わずか1年の任期だったようですね。

次に登場するのは、BAR・ホンダのチーム代表としてです。

2001年に就任し低迷するチームの立て直しを任されました。

就任した年に、ジャック・ビルヌーブが2度の表彰台を獲得するなど浮上するかに
見えましたが、その後、2年間チームはポイント獲得すら苦労するほど低迷。

そんな苦労は、2004年に華開きます。

ジェンソン・バトンがチーム初ポールをイモラで挙げると共に、10回の表彰台、
佐藤琢磨もアメリカで表彰台を獲得し、トップチームの仲間入りを期待させました。

が、迷走するチームは、翌年バトンの2度の表彰台こそあったものの、
再びポイント争いが精々のチームに逆戻り...

結局、ホンダのチーム買収もあり、
リチャーズは大きな成功を収めることなくチームを去ります。

三度登場したのは、2010年参戦枠をかけた入札においてです。

プロドライブとしてのエントリーは有力視されていましたが、
コスワース・エンジンを使用しなかったことが原因で脱落したと言われています。

近年では、資金難の噂のあった
ルノー(現ロータス)の買収にも名前が挙がっていましたね。

まだまだ、何かやってくれそうな人物です。


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みなさま、おはようございます。

AUTOSPORT記者がレース毎にドライバーを評価するシリーズにおいて、
モナコGPの結果がAUTOSPORT webに発表されていました。

フリー走行から好調さをキープし、ポール・トゥ・ウィンを達成した
メルセデスのニコ・ロズベルグが最高評価の10点満点でした。

ともにキャリアの中でも最高に近い好成績を収めた
フォース・インディアのエイドリアン・スーティル、
トロ・ロッソのジャン・エリック・ベルニュも満点評価です。

逆に、厳しい3点の評価をされたのはロータスのロマン・グロージャン。

トロ・ロッソのダニエル・リカルドのリアに突っ込んでレースを終えましたが、
それまでもクラッシュの多い週末を過ごしてしまいました。

フェラーリのフェリペ・マッサもFP3とレースで、
まったく同じようなクラッシュを演じてしまったからか4点の厳しい評価。

という訳で、モナコGPを終えた時点での総合評価を確認します。

今回、満点評価のロズベルグが一気に5位から首位に躍り出ました。

キミ・ライコネン、アロンソがこれに続きます。

セバスチャン・ベッテルもじわじわと順位を上げてきており、今回も7位から5位へ。

逆に、序盤高評価だったジュール・ビアンキはずるずると順位を下げ、
今回も6位から9位となっていますが、それでもルーキー最高位です。

個人的に注目している最下位争いは、今回もパストール・マルドナドがキープ。

徐々に、上位と下位の点差に隔たりができてきた印象です。


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僕は常に自分に言い聞かせてきた。

変えられるものは変えようって。

そして、

自分がどうにもできないことについては

心配したりしない


アラン・プロスト

(出典:ESPNF1)




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今日でマクラーレンといえば、
グランプリ200勝近くを挙げているコンストラクターをまず思い浮かべます。

その始まりは、ブルース・マクラーレンという偉大なドライバーの手によります。

1959年にクーパーからF1デビューを果たした彼は、
デビューイヤーながら最終戦のアメリカで見事優勝を果たします。

22歳での初優勝は、(創世記のインディ・ドライバーを除けば)、
2003年のフェルナンド・アロンソ、さらには2008年のセバスチャン・ベッテルに
抜かれるまでは最年少優勝記録を保持し続けていました。

その後、1966年に自らの名前を冠したチームでF1参戦を開始します。

参戦当初は苦戦していたようですが、
1968年の第4戦ベルギーGPで悲願の初優勝を遂げます。

この優勝は、ブルース自身がドライブして勝ち取ったものであり、
”マクラーレン”チームの初勝利に華を添えました。

しかし、ブルースのグランプリ勝利はこれが最後になります。

1970年6月2日、当時マクラーレン・チームが熱心に参戦していた
北米最高峰のシリーズであるCan-Amのマシンをテスト中にクラッシュし、
帰らぬ人となってしまいました。

ブルース存命中は、
マクラーレン・チームとして目立った成績は残せませんでしたが、
1974年にエマーソン・フィッティパルディが
チーム初のワールド・チャンピオンに輝きます。

その後、ロン・デニスのプロジェクト4と合併し、それからの快進撃は
みなさんもご存知の通りです。
昨日の記事もご参照ください。)


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みなさま、おはようございます。

スペインGPの後で実施した1000Kmに及ぶタイヤテストが
思わぬ反響を呼んでしまっているメルセデス。

モナコでレッドブルとフェラーリが異議申し立てを行いました。

メルセデスが責められているのは、
ピレリとのタイヤテストにおいて現行型のW04を用いたこと。

結局のところ、レギュレーションで禁止されているシーズン中のサーキットでの
テストに該当するというのが訴えを起こしているチームの理解です。

そして、FIAがいよいよ調査に乗り出しているようですが、
その調査対象はメルセデスに止まらず、フェラーリも加わったようです。

今回の騒動の中で、実はフェラーリもバーレーンGPの後で、2年落ちのマシン
(おそらく150°イタリア)を使ってテストドライバーのペドロ・デ・ラ・ロサが
やはり1000Kmのタイヤテストを行ったと明るみに出ています。

秘密裏に実施していたとはいえ、2年落ちのマシンであれば
問題ないのかと思っていましたが、必ずしもそうではないようです。

レギュレーション上、ESPNF1の記事から解釈すると、
現行と前年のマシンを含む、現行のF1テクニカル・レギュレーションに
ほぼ適合するマシンを用いたテストは禁止とされているそうです。

フェラーリがテストで用いたマシンが「現行のF1テクニカル・レギュレーションに
ほぼ適合する」かどうかが焦点になるようです。

フェラーリからすれば、自分の訴えが戻ってきた感じですね。

ただ、何とでも判断できそうなレギュレーションなので、
決着は政治のにおいがしますね...


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運も不運もいずれは

イコールになるものだと思っている


トロ・ロッソ ドライバー
ジャン・エリック・ベルニュ

(出典:ESPNF1)




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