以前に、「地獄の黙示録」という映画があった。

戦争ものだが、今は正に地獄の黙示録の世だと思う。

取引のあった業者が厳しい状態になることもしばしばだ。

その中には、自身に問題のない連鎖的な×も多い。

確実に業績を伸ばしていたのにである。

もちろん、他人事ではない。

 

「黙示録」といえば、本来は「聖書」に出てくる言葉であると思う。

「○○○の黙示録」というのが、

聖書にはある。

そこには、何千年の色々なエッセンスが記されている。

予言ではなく、「預言」の書であるからだ。

  

わたしは、学生時代に「キリスト教」の授業があった。

必須科目としてである。

この単位を取らなければ卒業できないという理由だけで

無理矢理、勉強したのを覚えている。

 

でも、今そのときの聖書をみてみると

恐ろしいほどに今の世を預言(予言ではない)している。

 

新年が明けたが、

厳しい経済情勢は何年も続くという。

 

いろいろな意味で、

「購(あがな)い」の時期が世界に来ている。

 

 

今日、ある方と一緒に

自給自足をしている人の所に行きました。

場所は、言えませんが、不思議な出会いでした。

 

予想に反して、

本当にいい好青年でした。

インデアンのようなテントを自作し

畑を耕し、雨の日には本を読む。

夜は、山用の寝袋に包まり眠る。

 

当然、電気も水道も、文明的なものは何もナシ。

ランプと井戸の生活。

トイレも自作。

 

でも、何故か私には羨ましく思えました。

 

 

「主の山に、備えあり(イエラエ)」

成人の日です。

我が愛娘は、去年でした。

それから全く会っていません。

今の学生は勉学とバイトに必死です。

頭が下がります。

 

そして、今日のキーワード。

「鍛錬」。

 

 

「苦しみを超えて」

この詩(祈り)知っていますか?


大きなことを成し遂げるために力を与えて欲しいと神に求めたのに、
謙遜を学ぶように弱い者とされた。
より偉大なことが出来るように健康を求めたのに、
よりよいことが出来るようにと病気を戴いた。
幸せになろうとして富を求めたのに、
賢明であるようにと貧しさを授かった。
世の中の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、
神を求め続けるようにと弱さを授かった。
人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに、
あらゆるものを喜べるようにと命を授かった。
求めたものは一つとして与えられなかったが、願いは全て聞き届けられた。
神の意に添わぬものであるにも拘(かか)わらず、
心の中の言い表わせない祈りは全て叶(かな)えられた。
私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。

 

 

「義しさ」

「ただしさ」と読む。

  

わたしは、この言葉を今日初めて知った。

今我々に問われているのは、この言葉なのかも知れない。

 

「虚」「偽」「嘘」ではなく、

まともな行いが企業にも人にも問われている。

 

  

こんな言葉を聞いたことがありますか。

正に今の世界を物語っている言葉だと思いませんか。

 

「金持ちになろうとする者は、誘惑、罠、無分別で有害なさまざまの欲望に陥ります。その欲望が、人を滅亡と破滅に陥れます。」

 

わたしも仕事で失敗した時は、正にこれでした。

 

○○ファンドとか、○○マネーとかは皆、これですね。

人間が考えた数字のマジックの哀れな結果が今の世ですネ。

 

わたしたちは、

原点に戻るときが来ているのかも知れません。

 

 

 


新年明けましておめでとうございます

 

「何事にも時があり

 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」

 

人間がどんなに心焦がしても、神の時が来なければどうにも

ならないのです。

今は、それを感じる「時」なのかも知れません。

今年は皆さんにとってどんな年になるのでしょうか。

 

今年もよろしくお願いします。

 

暫くお休みをいただいておりましたが、

内容をを新たにスタートいたします。  


只今、ブログをお休みいただいております。

理由は、データ等の整理のためです。

再開は10月中旬を予定しております。

 

たくさんのお問合せを頂きまして、ありがとうございます。

反響の大きさに正直、驚いております。

 

   

大関「魁皇」がモンゴルで人気が高いと

先日TVでやっていた。

 

経験はもちろんのこと、

「何事にも動じない悠然さ」がその人気の秘密だという。

 

我々凡人は、ちょっとしただけで動揺する。

不安になったりする。

もちろん、私も同じだ。

 

負けたときにも「シン」があるとあるとモンゴルの人は答えていた。

 

「不動心」といってしまえば、それで終わりだが、

この不動心の気持ちになろうと思ってもなかなかなれない。

 

田中角栄も座右の銘として、「不動心」を上げていたが、

少しでもこれに近づくべく、悠然と生きたいものだ。

 

確かに、私の知っている人で

すごいなと思わせる人は、

心が穏やかである、バタバタしない、ゆっくりと考えて話をするといった特徴がある。

 

でも、その人にも問題が全くないかと思えば、

問題や苦難を抱えて生きている。

 

少しでも、そんな人間に近づきたいと思う。