のぼのぼさんのおさんぽ道 -12ページ目

のぼのぼさんのおさんぽ道

日本は素晴らしい日本人の国です。仁徳天皇が"民の竈"に現されているように、皇室の御心はいつも民と共にあります。
 日本の政に関わる人たちが”民の竈”を常に意識し誇りを持って行動するこの国は万世一系で繋がる強い国、皇室と共に生きる日本人の叡智の結集の国です。


 適塾を参観していると、とても美味しそうなカレーの匂いが漂ってきたので探しました!
カレー専門店の『イロバナスパイス』(北浜のマルマサ)を見つけました。


 もちろん初見なので『イロバナライス』の『ジャークチキン+カレー1種』をチョイスし、『粗挽き黒胡椒のキーマカレー』でお願いしました。


 スパイスの効いた辛口のカレーです。お米はパスマティライス、細長いインディカ米ですが、カレーによく合い、美味しくいただきました。


 こちらは、カレー屋さんの向かいにある『大阪市立愛珠幼稚園』は、大阪府大阪市中央区今橋にある公立幼稚園です。


 明治13年(1880年)に創立された、府内で最も歴史の古い幼稚園の一つで、現在の園舎は明治34年(1901年)に竣工しました。現存する木造園舎としては日本最古であり、国の重要文化財に指定されています。 


 適塾に隣接する建物でまさか幼稚園とは思いませんでした。この場所は銅座のあった場所です。もちろん中には入れませんが、御殿のような立派な幼稚園で、とても素敵ですね。



 今宮戎神社の十日戎を参詣した後、北浜に移動して、史跡・重要文化財『適塾』を参観してきました。


 適塾(てきじゅく)は、優れた蘭学者・医学者で教育者だった『緒方洪庵』が江戸時代後期に大坂船場に開いた蘭学と西洋医学を教えた歴史的な私塾「適々斎塾」の通称です。
 

 幕末から明治維新にかけて福澤諭吉、大村益次郎、箕作秋坪、佐野常民、高峰譲吉など近代日本に多大な貢献をした名士を数多く輩出し、大阪大学へと発展しました。 大阪大学医学部の原点がここにあります。


 緒方洪庵はとても優れた教育者で、適塾の入門者は全国から集まり、その数は千人にも達したと言われている。塾生の勉強は非常に熱心で激しいものであり、福沢諭吉は、晩年「およそ、勉強ということについてはこの上にしようもないほど勉強した」と述懐しているほどです。


 

 適々斎塾(てきてきさいじゅく)、別称は適々塾(てきてきじゅく)は、1838年(天保9年)開学で、塾名の由来は、緒方洪庵の号である「適々斎」です。建物は「緒方洪庵旧宅および塾」として国の史跡になり、「旧緒方洪庵住宅(大阪府大阪市中央区北浜)」として重要文化財に指定されています。












 急な階段が3箇所あり、塾生の暮らした2階へ上がり下りします。


 史跡・重要文化財である『適塾』の建物は、緒方家から大阪帝国大学に寄付をされ、現在は大阪大学が所有し、管理運営をしています。商都大阪北浜のオフィス街に、敷地面積140坪余り、木造一部2階建ての江戸時代の町屋の姿を現在に留めているばかりでなく、我が国に蘭学塾の唯一の遺構です。


 適塾に隣接する『適塾史跡公園』です。




 今日は『十日戎』の本戎です。大阪人に親しまれている今宮戎神社に初詣してきました。

 今宮戎神社は、日本三大えびす(西宮神社(兵庫県)、今宮戎神社(大阪府)、京都ゑびす神社(京都府))の1つで「なにわのえべっさん」として親しまれ、毎年行われている江戸時代中期から始まった商売繁盛を願う十日戎(1月9日~11日、「宵戎」「本戎」「残り福」)は有名です。特に「商売繁昌で笹もってこい」の威勢のいいお囃子と、福娘による「福笹」授与が人気で、商業の町大阪の強い味方です。



 ご祭神は天照皇大神、蛭子命ほかで、推古天皇8年(600年)聖徳太子が四天王寺を建立する際にその西方の守護神として建立されたと伝えられています。約170メートル北方に廣田神社 (大阪市) が鎮座しており、今宮戎神社 とも関係が深い神社です。


 また、京都市の八坂神社は当社の起源を、八坂神社境内社の蛭子社(北向蛭子)を分祀し、八坂神社の氏子が当時は「名呉の浜」などと呼ばれていた漁村「摂津国今宮」に移り住み、現在の地に祀ったことに始まるとし、双方の神社は交流を続けるほどに関係が深いのです。






 おみくじは大吉、今年のおみくじは大吉が連発しています(笑)