のぼのぼさんのおさんぽ道

のぼのぼさんのおさんぽ道

日本は素晴らしい日本人の国です。仁徳天皇が"民の竈"に現されているように、皇室の御心はいつも民と共にあります。
 日本の政に関わる人たちが”民の竈”を常に意識し誇りを持って行動するこの国は万世一系で繋がる強い国、皇室と共に生きる日本人の叡智の結集の国です。

【鈴木綜馬さんご出演情報!】

★絶賛公演中★ミュージカル『フル・モンティ』

2014年1月31日(金)~2月16日(日)

会場=東京国際フォーラム ホールC
原作=映画「フル・モンティ」 脚本=テレンス・マクナリー

作曲・作詞=デヴィッド・ヤズベック

演出・翻訳・訳詞=福田雄一 一般前売=9月7日(土)開始 

料金=全席指定S席11,000円/A席9,000円/B席7,000円


ミュージカル『シェルブールの雨傘』

2014年9月2日(火)~

会場=シアタークリエ


【全国植樹祭とっとり2013式典映像 】はコチラ

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ネギマン第1話~第4話&ネギマンの歌

YouTubeで絶賛公開中!⇒http://www.youtube.com/user/yonagofilm

 ホテルを出発してまず向かったのは、延岡市にある和田越(わだごえ)決戦記念碑です。ここは、西南戦争における薩摩軍と政府軍の最後の組織的激戦地を記念する石碑で、西南戦争の開始以降、西郷隆盛が初めて自ら戦場の前線に立って指揮を執った、最初で最後の決戦の場として知られています。



 明治10年(1877年)8月15日、この地で歴史の大きな転換点となる激しい戦闘が繰り広げられ、圧倒的な兵力差と激戦西郷率いる薩摩軍約3,500人に対し、山県有朋中将率いる政府軍は約50,000人という圧倒的な物量差でした。真夏の灼熱地獄の中、激しい銃撃・砲撃戦が約5時間以上にわたって繰り広げられ、薩摩軍は敗退し、北川の俵野(ひょうの)方面へと撤退を余儀なくされました。




 続いて、西郷隆盛宿陣跡資料館(児玉熊四郎邸宅跡)に向かいました。ここは、西南戦争終盤の最も重要な歴史的決断が下された場所です。






 和田越の決戦で敗れた西郷隆盛は、明治10年(1877年)8月15日の夜から翌16日の夜にかけてこの民家に宿陣(本営を設置)しました。
 圧倒的な政府軍に包囲され、これ以上の組織的抵抗は不可能と判断した西郷隆盛が、全軍解散の布告(解軍の令)を発したのがこの家の一室です。これにより、実質的に日本最後の内戦である西南戦争の組織戦が終結しました。軍服の焼却と可愛岳(えのだけ)越えの地西郷は、自身の象徴でもあった陸軍大将の軍服をこの邸宅の庭で焼却しました。そして、残った精鋭約600名とともに、政府軍の包囲網を破るため背後にそびえる険しい可愛岳(えのだけ)へと決死の突頭(脱出)を敢行し、故郷・鹿児島への退却へと向かいました。貴重な遺品と当時の生々しい傷跡館内には、西郷が実際に使用した遺品(枕や遺墨など)や、薩摩軍の資料、弾痕の残る柱などが展示されていて、地元のボランティアガイドの方に、西郷隆盛にまつわるエピソードや当時の緊迫した状況を詳
しくご説明いただきました。ニニギノミコト御陵墓、可愛山陵、可愛岳と、西郷隆盛と神話にまつわる不思議な話が続きます。





 いよいよ今回の宮崎の旅のメインとなる高千穂峡へ向かい、昼食の後、まず高千穂神社に参詣しました。高千穂神社は、西臼杵郡高千穂町に位置する、約1800年の歴史を持つ名高い古社です。高千穂郷八十八社の総社として信仰を集め、夫婦杉(めおとすぎ)や広大な杉の巨木に囲まれた境内には厳かな空気が漂っています。まるで禊を祓うような激しい雨に大歓迎されました。




 そしていよいよ高千穂峡へ!激しい雨の中、レインコートを着て、圧巻の峡谷美に心を奪われながら、自然の凄まじい力を感じながら歩きました。もちろんトレッキングシューズです。




 その後、宮崎県高千穂町にある天岩戸神社の西本宮に移動しました。ここは、天照大御神(アマテラスオオミカミ)が隠れられたと伝わる洞窟「天岩戸」を御神体として祀る日本神話ゆかりの神社です。ご神体である「天岩戸」を拝殿裏の遥拝所から神職の案内で拝観しました。
 今回は、天岩戸から出られた天照大御神が最初に住まわれた場所に建てられた東本宮には伺えませんでした。


 西本宮から岩戸川に沿って、天安河原(あまのやすかわら)を参拝、ここは、御祭神である八百万の神々が相談をしたとされる大洞窟で、願いが込められた無数の石積みが見られました。圧巻の不思議な霊気が漂うとても素敵な空間で、石を積んできました。今日1日、素晴らしい神がかりの神聖な場所を訪れたせいか、土砂降りに穢れを祓って貰い、晴れやかで清々しい気分でリフレッシュすることができました。八百万の神様に感謝です。




🙏いよいよ宮崎慰霊顕彰の旅の本格日程スタートです。朝8時40分定刻に宮崎港に着き、専用バスにて宮崎空港から参加される方々を迎えに行って合流し、空港そばの宮崎特攻基地慰霊碑を慰霊顕彰して英霊の御霊に感謝の誠を捧げました。


 その後、平和台公園八紘之基柱(あめつちのもとはしら、八紘一宇の塔)を見学し、大きさにびっくりしました。これは皇紀2600年を祝う国民有志によって世界各地の石を集めて建てられた巨大な石塔です。八紘之基柱の内部は、「厳室(いつむろ)」と呼ばれる空洞の空間になっています。西都原古墳の石室をモチーフに設計されたこの室内には、主に以下のものが安置・配置されています。
 8枚の石膏レリーフ(浮き彫り彫刻)塔全体の設計者でもある彫刻家・日名子実三氏の作品です。壁面に飾られており、神話から日本の歴史、当時の世界観を表現しています。歴史・神話のレリーフ「大国主命国土奉還」「天孫降臨」「鵜戸の産屋」「橿原の御即位式」「明治大帝御東遷」「紀元二千六百年興亜の大業」と世界地図のレリーフ「太平洋半球」「大西洋半球」です。
 奉安庫(ほうあんこ)校倉造り(あぜくらづくり)の祭壇のような形をしており、かつては塔の正面に刻まれた「八紘一宇」の文字の元となった、秩父宮雍仁親王の真筆(直筆の書)が納められていました。内部の石膏レリーフは湿気や経年劣化に弱く非常にデリケートなため、普段は青銅製の扉が閉ざされており原則非公開となっています。ただし、年に1回程度(例年11月頃など)に特別な内部一般公開イベントが開催されることがあります。


 続いて、宮崎県護國神社と宮崎神宮を参拝後、宮崎観光ホテルでバイキングランチしました。













 昼食の後は、上原勇作元帥生誕の地(通過)、財部彪像、都城(都之城、別名「鶴丸城」)の「狭野神社」を参拝して、都城歴史資料館を見学しましたが、記述の仕方が山川書籍の教科書通りであるのかもしれないのですが自虐史観で書かれていて左傾していました。都城市の管轄なのでメールしておきたいと思います。ちなみに、都城というのはお城の名前であることを初めて知りました。













 その後、都城特攻振武隊はやて慰霊碑で慰霊顕彰して再び英霊の御霊に感謝の誠を捧げたのち、済南事変(満州事変)戦死者之碑、海軍戦没者慰霊碑、殉職自衛官の碑、陸軍墓地納骨堂で祈りを捧げました。









🚢神戸三宮フェリーターミナルに集合して、18時10分に集合して、19時10分に神戸港を出発しました。今日の日程は移動のみです。



 出航した神戸の夜景がとても綺麗でした。




 満月は明後日日曜日です。今日は、洋上(紀伊水道)の中秋の名月です。

 宿泊したのはシングルルームです。鉄道で言えばA寝台個室ほどですが、寝間着はありません。


 洋上(高知県沖の太平洋)の日の出です。予定の安寧を願って合掌!




 うろこ雲が綺麗でした。