
今日は秋の彼岸の中日(秋分の日)です。宮中では「秋季皇霊祭」の祭祀が執り行われています。
さて、門徒としてお世話になっている地元の浄土真宗のお寺『興福寺』で執り行われた『秋季彼岸会法要』に参詣し、布教使(脇屋好照師)による仏法講話を聴聞させていただきました。

以下、布教使の仏法講話をまとめさせていただきました。
仏教の言葉にある「転迷開悟(てんめいかいご)」とは、煩悩や無明による迷いを転じ、真理に目覚めて悟りを開くことです。仏教では悟りを修行によって目指しますが、浄土真宗では、自らの力だけで煩悩を断ち切ることは難しいと考え、阿弥陀如来の本願に身をゆだねる「他力」の道を重視します。
その中心となるのが「南無阿弥陀仏」の念仏です。法然上人は「ただ念仏して」と説き、親鸞聖人はその教えを受け継ぎ、阿弥陀如来の本願力による救いをさらに深めました。「南無阿弥陀仏」は単なる仏名ではなく、阿弥陀如来の本願に帰依し、そのはたらきをいただいていることの表れです。
親鸞聖人は比叡山での修行を経て法然上人と出会い、自力の限界を見つめ、本願に生きる道を明らかにしました。浄土真宗の教えは、「何を成し得たか」より「何に出会ったか」を大切にします。阿弥陀如来の本願に出会い、その本願に生かされていることに気づく。その気づきが「南無阿弥陀仏」という念仏となって表れるのです。浄土真宗で唱える『正信偈(しょうしんげ)』でコアになる大切な部分と言われています。
