私は日本に帰ってきてからこっち、自宅でモンテッソーリのお教室を開いています。
個別指導なのは、限られたスペースの中で安全にお子様をお預かりするための苦肉の策。本来はもっと広い場所を借りて、もっとたくさんのお子様をお預かりすることも考えていなかったわけではないのですが。
英語で子どもと関わるティーチャーという仕事をさせていただく間に、子どもさんだけではなく家族全体の英語教育のサポートへと事業が広がって行きました。
そして以前からお預かりしている生徒さんを中心に、相変わらずの個別指導でお子様にモンテッソーリ教育をさせていただいています。
ところで最近、この個別指導ということの利点を、非常に感じるようになってきました。
兄弟がいるお子さんは、普段きょうだいがいて楽しい生活のかわりに、自分ひとりっきりの時間を楽しむという機会が限られています。
また、1人目のお子さんや一人っ子であっても、だからこそ保育園での集団生活であったり、あるいは家族の大人といつも一緒の生活。安全、安心ではあるのですが、一人静かに過ごす時間というものは、機会を作らないと意外に得られないもの。
子どもはすぐに飽きちゃうから、ひとりでいたら退屈するし、一人で静かに過ごすなんて必要ないよ!とお思いでしょうか。とんでもない!!
子どもがひとりで物音もせずにすごしていると、たいていの大人にとってはちょっぴりブキミなサイン。新しいティッシュの箱が無残なことになっていたり、PCのスロットにポケモンカードを差し込む子どもの姿を発見してあわてたり。覚えがあるのでは?
彼らが音なしの構えでいるときには、悪さをしたいのではありません、集中しているのです。
子どもの集中を引き出し、その発達を適切に見守ること。それが私たちのお仕事です。
昨日はさいたまパパスクールのお手伝いで、久しぶりに私の生徒さん以外の小さいお子さんたちに会いました。
そこでお会いしたあるおちびさん。あんよがしっかりしてきて、自分の足で歩くことに自信がみなぎっています。1歳半を超えたくらいでしょうか。3歳くらいのお兄ちゃんといっしょに来た男の子。初めてお会いするわけではないのですが、この日が2度目くらいかな。いつもイベントのあわただしい中でしかお会いできていなくて、少し一緒に遊べたのは今日がはじめて。
パパが買った500ミリリットルのお茶のペットボトルを、真剣に両手でかかえて歩いています。でも中身が入っているペットボトルは意外に重いものですし、小さい手には持て余すような大きさ。おっと、手が滑ったのでしょう、床に落としてしまいました。あわてて追いかけていって拾うしぐさの可愛らしいこと。その場にいたパパがお兄ちゃんに持ってあげて、とおっしゃったのは、普通のことでしょう。
でも、彼は自分で物を持って歩くことが今、楽しくてたまらないのです。歩き始めのおぼつかない足取りではなく、しっかりと自分の足を制御して自分の意志でどこにだって歩いて行けるということ。そしてさらに、ちょっと重いものをどこかへ持ち運ぶということが楽しいのです。ボクにも出来る!と、表情にも甘えた感じではなくて自信がみなぎっています。
そのあとも、大きいレゴブロックの入ったバケツを運ぼうとチャレンジしたり、たくさんの椅子を動かすパパのお手伝いをしたり、お兄ちゃんにも負けない大活躍をしていました。パパが忙しい時間は託児をしてくださる保育士さんのもとでお兄ちゃんや他のお友達といっしょに過ごし、さすがに体も知力も感情も、フル回転で使った後はパパの抱っこでお昼寝に突入していましたが、それは当然のこと。
小さい子どもなら重い荷物を運ぶことはできないからとか、時間がかかって仕方がないから、と普通、大人は判断するわけですが、私たちモンテッソーリ教師なら、まずはすぐに駆け寄って手伝うことはいたしません。よほど壊れやすいものや尖ったものなど、お子さんを危険にさらす場合はもちろん別ですが。時間は余計にかかるかもしれませんが、それは当たり前のこと。それでもお子さんが「自分でものを運ぶ」ことのお手伝いをするのが私たちの役割。その中には、重いから人に助けを求める、などの解決方法ももちろん含まれます。
子どもが自分の力で自分自身の可能性を広げてゆくところに立ち会うのは、いつでも楽しいものです。私がこの仕事に限りない愛着を感じる理由です。
そこでお会いしたあるおちびさん。あんよがしっかりしてきて、自分の足で歩くことに自信がみなぎっています。1歳半を超えたくらいでしょうか。3歳くらいのお兄ちゃんといっしょに来た男の子。初めてお会いするわけではないのですが、この日が2度目くらいかな。いつもイベントのあわただしい中でしかお会いできていなくて、少し一緒に遊べたのは今日がはじめて。
パパが買った500ミリリットルのお茶のペットボトルを、真剣に両手でかかえて歩いています。でも中身が入っているペットボトルは意外に重いものですし、小さい手には持て余すような大きさ。おっと、手が滑ったのでしょう、床に落としてしまいました。あわてて追いかけていって拾うしぐさの可愛らしいこと。その場にいたパパがお兄ちゃんに持ってあげて、とおっしゃったのは、普通のことでしょう。
でも、彼は自分で物を持って歩くことが今、楽しくてたまらないのです。歩き始めのおぼつかない足取りではなく、しっかりと自分の足を制御して自分の意志でどこにだって歩いて行けるということ。そしてさらに、ちょっと重いものをどこかへ持ち運ぶということが楽しいのです。ボクにも出来る!と、表情にも甘えた感じではなくて自信がみなぎっています。
そのあとも、大きいレゴブロックの入ったバケツを運ぼうとチャレンジしたり、たくさんの椅子を動かすパパのお手伝いをしたり、お兄ちゃんにも負けない大活躍をしていました。パパが忙しい時間は託児をしてくださる保育士さんのもとでお兄ちゃんや他のお友達といっしょに過ごし、さすがに体も知力も感情も、フル回転で使った後はパパの抱っこでお昼寝に突入していましたが、それは当然のこと。
小さい子どもなら重い荷物を運ぶことはできないからとか、時間がかかって仕方がないから、と普通、大人は判断するわけですが、私たちモンテッソーリ教師なら、まずはすぐに駆け寄って手伝うことはいたしません。よほど壊れやすいものや尖ったものなど、お子さんを危険にさらす場合はもちろん別ですが。時間は余計にかかるかもしれませんが、それは当たり前のこと。それでもお子さんが「自分でものを運ぶ」ことのお手伝いをするのが私たちの役割。その中には、重いから人に助けを求める、などの解決方法ももちろん含まれます。
子どもが自分の力で自分自身の可能性を広げてゆくところに立ち会うのは、いつでも楽しいものです。私がこの仕事に限りない愛着を感じる理由です。
日本の小学校で英語を教えていた時に、私たちのところへ「外国人講師への通達」がまわってきたことがありました。要するに、英語に直して伝えろ、ということ。
その中に
シャツのすそをズボンの中にしまうように。
という項目がありました。
私は教師であるということは、身だしなみも相当に重要だと考えています。
高価なオシャレをする必要は全くありませんが、小学校の先生を見ていて、子どもに日常体育などを教える機会があるからといって常にジャージー、というのはヘンな気がします。子どもたちにはその都度着替えるように指示しておきながら自分の身なりは構わない、というのは、私はやや違和感を感じてしまいます。それが本当に業務上必須なのであれば、授業公開日だけあわててネクタイをする、というのもなんだか釈然としませんね。
もちろん装いというものも突き詰めて考えろ、というモンテッソーリ教育の「細部に神宿る」訓練を受けたからその影響が大きいのでしょう。本来私はオシャレには興味があまり無いほうなので、だからこそTPOだけはきちんとわきまえたい、と考えるタイプです。
また、アメリカの学校では体育のコーチでなければ男性はジャケットは要らないまでもネクタイはするのがデフォルトですので、日本のルールの無さは気にかかるところです。
シャツのすそをズボンの中にしまうかどうかは、基本、大人の装いとしてTPOに合わせるべきものだと思います。いろいろなデザインのシャツとパンツの組み合わせがある中で、一律シャツをしまえ、というのはいただけませんね。
この通達、明らかにカジュアルすぎる装いで教壇に立とうとする、若干名の外国人講師に業を煮やしたものとは容易に推察出来ます。
ただし、英語教育ではなく異文化教育も彼らに期待しているというのであるならば、黙認でもなく、このような一斉指導でもなく、あなたの装いはこの国の小学校の教壇に立つには難がある。と教えてあげればよいわけです。
あなたが例えば外国へ行って、現地で急に小学校を表敬訪問することになったら?どんな格好で行けばよいのでしょう?ハテナはいっぱいですよね。勘違いすることも、あるかもしれません。
彼らが勘違いしているのなら、教えてあげる。指導に従わなければ、準備が出来ていないのだから、教壇には立たせない。
校則のようにルールを作って事足れり、という風には、現実の制約はいろいろあるのでしょうが、教育の現場ではしていただきたくないものです。
その中に
シャツのすそをズボンの中にしまうように。
という項目がありました。
私は教師であるということは、身だしなみも相当に重要だと考えています。
高価なオシャレをする必要は全くありませんが、小学校の先生を見ていて、子どもに日常体育などを教える機会があるからといって常にジャージー、というのはヘンな気がします。子どもたちにはその都度着替えるように指示しておきながら自分の身なりは構わない、というのは、私はやや違和感を感じてしまいます。それが本当に業務上必須なのであれば、授業公開日だけあわててネクタイをする、というのもなんだか釈然としませんね。
もちろん装いというものも突き詰めて考えろ、というモンテッソーリ教育の「細部に神宿る」訓練を受けたからその影響が大きいのでしょう。本来私はオシャレには興味があまり無いほうなので、だからこそTPOだけはきちんとわきまえたい、と考えるタイプです。
また、アメリカの学校では体育のコーチでなければ男性はジャケットは要らないまでもネクタイはするのがデフォルトですので、日本のルールの無さは気にかかるところです。
シャツのすそをズボンの中にしまうかどうかは、基本、大人の装いとしてTPOに合わせるべきものだと思います。いろいろなデザインのシャツとパンツの組み合わせがある中で、一律シャツをしまえ、というのはいただけませんね。
この通達、明らかにカジュアルすぎる装いで教壇に立とうとする、若干名の外国人講師に業を煮やしたものとは容易に推察出来ます。
ただし、英語教育ではなく異文化教育も彼らに期待しているというのであるならば、黙認でもなく、このような一斉指導でもなく、あなたの装いはこの国の小学校の教壇に立つには難がある。と教えてあげればよいわけです。
あなたが例えば外国へ行って、現地で急に小学校を表敬訪問することになったら?どんな格好で行けばよいのでしょう?ハテナはいっぱいですよね。勘違いすることも、あるかもしれません。
彼らが勘違いしているのなら、教えてあげる。指導に従わなければ、準備が出来ていないのだから、教壇には立たせない。
校則のようにルールを作って事足れり、という風には、現実の制約はいろいろあるのでしょうが、教育の現場ではしていただきたくないものです。