【アメリカみやげ】私があなたで、あなたが私?!笑っちゃうほど私にそっくりな・・・ わたしじゃありませんよ!先日アメリカでゲットしたわたしの友達です。家族からは見分けがつかないほど似ているとお褒めの言葉をいただきました(≡^∇^≡) 自分でも納得。恥ずかしがり屋さんなので後姿です。お顔を見たい方は、弊社まで遊びに来てください・・・(^O^)/
【アエラ記事より】トキめかないのがイクメンか?私が思う「本当のところ。」私はいわゆるイクメンを応援する立場にいて、イクメン支持をはばからない人間です。育児に関われる男性、大好き。なにしろ自分の責任を果たしているわけですからね。その私が思うこと。決して「オンナの立場から言わせてもらうと」というものではなく、一人間横溝としての意見です。アエラという雑誌で「トキめかないのはイクメンだから?」という問題提起があったとのこと。普段の努力を馬鹿にされたと憤慨なさる向きがあってもおかしくない、誠に浅薄な挑発記事だと思います。イクメンはセクシーじゃない?育児なんて「女性っぽい?」ことやってる男性は男性的な感じがしない?私は、答えは半分半分だと正直なところ思っています。育児に関わるから(よい意味での)セクシーでは無い、というのは明らかに間違い。そんなはず、ありませんよね。ただ、自分のところの子どもだけ(あるいは妻子だけ)を守るのに汲汲としている「余裕の無いイクメン」は、たとえ育児に頑張る父親であっても、残念ながらセクシーとは程遠いだろうなあ、とは感じます。必死に頑張る姿はそれはそれでステキなものですが、余裕がなくいっぱいいっぱいの姿は「大人のセクシーさ」とは程遠い印象を周囲に与えてしまう、それは事実。どういうことか。たとえば、有事のさい。食料は配給、しかもとても限られている、という場合を想定してみましょう。その時に、おとなしく並ぶのはいいけど、本当に自分の妻子だけのことにしか考えが及ばない「イクメン」さん、その人は、たとえ家族から感謝されはしても、人間としては、厳しく言えば「セクシー」ではないでしょうね。その状況を打開するために、ただおとなしく配給の列に並ぶだけではなくて他に食料の調達方法を考える人、それなら確実に「セクシー」である、と言えると思います。考えたあげく、結果として新たな食糧が調達出来なくても、それは仕方がないこと。でも、行動を起こせば、自分の家族だけでなく、他の人を助けることも出来るかもしれない。決められたパイの切り方にケチをつける労力があるなら、新しいパイを手に入れる方策を考えてみる。その時に行動を起こせる方なら、あるいは逆に、普段たいしておむつ替えなどに協力出来ていないパパであっても、少なくとも配偶者は「セクシーさのかけらもない、くだらないお父さん」とは思わないと思います。闘い方はひとそれぞれ。ですが、むやみに闘うのではなく、肝腎な時に「何をなしうるか」。イクメンか否かに関わらず、あるいは男女を問わずにその方の「生き様」が現れる瞬間、その人の本当の価値が見えるのだと私は思います。ママや周囲に「えらいね。」とほめられるためにやっている「なんちゃってイクメン」さんは、見透かされてしまいますよ、ということが言いたいのなら、そういうことは確かにあるかもしれませんね、と私は思います。
怖いものをみると寒くなる?私って日本人!!私が以前住んでいたサンディエゴは、市内の中心にほど近い丘陵にバルボア・パークという大きな公園があります。有名なサンディエゴ動物園も、このパークのなかの一部です。美しい中庭のある建物の中に、料理もとても美味しい素敵なカフェがあります。先週、4年ぶりの再訪でそこにランチを食べに行きました。かつて万博が開かれたパーク内の建物は、そのほとんどが博物館になっています。とても面白い博物館も多いのですが、子どもの遠足でいつか足を運ぶだろうと未見のままになってしまったものもたくさん。なにしろ数がかずですからね。その博物館群のなかでも時を告げる鐘楼がひときわ美しいのが、Museum of Manです。 今回、行ってきました。詳しくは、ここの通常展示ではなく、期間限定の特別展。ひょっとしたら、ものすごい悪趣味だと思われるのかもしれませんが。誤解を恐れず書きます。拷問とその器具の展示です。人が人を痛めつけるということ。恐ろしいのはもちろんなのですが、見学してきました。私はもともと、大学時代は会計を専攻したため、ゼミでのトピックはとてもプラグマティック。その後モンテッソーリ教育という教育を勉強したときにびっくりしたのが、「人はいかにして人になるのか。」を知るための教育でした。人を作るのが私たちの仕事であれば「いかに人は人になるのか。」を知る必要があるのは当たり前のことですが、フランスに実在した「アバロンの野生児」にまつわる映画などを見て、それはそれはブルーになったことも。でも、教育に関係する人間としては、もちろん好奇心もあってのことですが、この機会に見ておきたくなったのは事実です。場所柄、興味本位のレベルの低い展示ではなく、きちんと考証のなされた展示物であるに違いないことも分かっていましたし。とはいえ。実際に「人が人を痛めつけるために考え出した器機」の迫力はさすがにすさまじいもの。みな顔をしかめ、マジメな顔で展示物を見ています。そこで私が驚いたこと。展示されたものに渦巻く悪意に当てられ、展示場に入って5分とたたないうちに私は、気温のせいではなく恐怖と不快感で本当に体が寒く感じ始めました。私は怪談はもともと好きではありませんし、夏が近くなるとTVや映画で怪談が流される日本の風習を、若干はすに構えて見ていたクチです。怪談で涼しくなる、なんて、そんなこと「あるわけないじゃん!」ですが、このときの私は本当に恐怖で寒気がしました。周りをみてみると、少なくとも明らかに私のように寒がっている人はいません。アメリカ人だって怖い時にはGoosebumps、とりはだが立つという表現があるのですから、やはり恐怖と寒気は多少は関係がありそう。でも、日本人の私ほどではないのかしら。恐怖と日本人の関係という意外なテーマに、興味がふくらんでいったのでした。