昨日私は、それこそ「うっとおしいような」勢いで「早期英語教育」には意味があると申しました。
毎度毎度くりかえされる、「母語のレベルを外国語が超えることはない」のだから子どもに英語は必要ない、と、一般の保護者の方からご意見を拝聴するのに、少し私たちの立場を説明したいと思ったからです。
きっかけは、ある若いオピニオンリーダーの方が、林修さん(っておそらく東進ハイスクール講師のあの方だと思うのですが)の説をひいて、やはり「母語を外国語が超えることはない」から「こどもの英語コミュニュケーションレベルは貧弱なものにすぎない」から「子どもは英語より日本語」。
どうして「現代文」の講師が「英語教育」を語り、それがウケるのか。
英語教育をやっていて、正直なさけなく、かなしく思います。
これが他の教科のことであって、英語教師が「オレにいわせりゃ、算数教育(仮)」なんてこと、そして「そうだそうだ!」なんてこと、ありうるでしょうか?
東進ハイスクールにも、各教科にカリスマ講師の方がいらっしゃいますが、他の教科に関してコメントなさることがあるでしょうか。
いかに英語教育が他の教科と違ってご理解いただけていない部分があるのか、と、猛省しました。
学校での英語教育は現在は5・6年生の英語活動だけが必修ですので、公教育の教科としての英語のおはなしはいったん置いておいて。
私がすすめている「早期英語教育」。
可愛いお子さんと、日本語ではない言語で遊ぶということの奥の深さと面白さ。
体験いただければきっと多くの方にご理解いただけると思っています。子どもさんと、いつもの日本語ではなく、英語で話すことの「スペシャルなパワー」を。
そしてご自分の英語力まで、今まで使っていない筋肉が増強されるように伸びていく、それはそれは楽しい経験になるはずです。
私はもともとお子さんのための教師ですが、小さなおこさんの持つ「なににでもなりうるポテンシャル」の面白さに魅了され、子どもと大人がともに育つ「英語よみきかせ」にたどり着きました。
子ども英語に意味があるのかないのかは、まずはご自分の目でお確かめになってからお決めになっていただきたいのです。
決して英語を教えたことのないどなたかのお話を鵜呑みにして、「ロジカル」だの「腑に落ちる」だのと判断を下すのは正直もったいないと思っているのです。
現実のお話をするならば、バイリンガルと評価されるべき一定のレベルのバイリンガルにたどり着けるのは、早期英語教育を受けた中の全員とはいかないでしょう。それはスイミングやピアノレッスンでも同じこと。優れた資質と環境によってある「高み」にたどり着くのは、恵まれた方かもしれません。途中なんらかの事情でレッスン自体をやめてしまったり、中断することもあるかもしれません。
だからといって、英語教育を「無駄」だとか、あまつさえ「有害だ」と、私はおっしゃっていただきたくありません。
ピアノレッスンを受け始めて間もなくの発表会であれば、お子様が披露出来るのは本当に簡単な練習曲に留まるでしょう。ピアノはお子様が弾くには大きいもの。ピアノという楽器の特性上、その性能をあますことなく引き出す演奏が出来るには、やはりお子様の可愛い手がある程度までは大きくなるのを待つほかは無いでしょう。
だからといって、こどものピアノは演奏のレベルが最上級のものとは程遠いから、鑑賞に耐えない。つまりやっても意味が無い。
などとおっしゃる方はいらっしゃらないでしょう。
それにも関わらず、早期英語教育の時期のお子様は日本語のレベルもおぼつかないのだから、英語なんて無意味。というご意見を、私たちは頂戴することがあります。
あるいは、「そういう意見もあるのね。でも全員がやらなくてもいいよね。」
私たちは、望まない方にまで早期英語教育を強いることは出来ません。ピアノやスイミングはご家庭の判断ですが、ピアノレッスンに関して、スイミングに関して、そのような分かり切ったご発言をなさるのでしょうか?
バイリンガル児を健全に育てていくために、母語の強化を常に意識しながら進めていかなくてはいけないのは当たり前のことです。そうでなければ、狙った能力を開発することは出来ませんから。英語を育てたいからこそ、私たち英語講師は普段のお子様の日本語力を重視しています。
子ども英語講師というだけで、「英語ばっかりやらせて日本語もおぼつかない子どもを量産する」と思われているのでしたら私たちは誠に心外です。しかし現実に「子どもは日本語」と私たち英語教育の専門家に向かっておっしゃる方がたくさんいらっしゃいます。
どうぞ、ご自分が受けた教育でない教育について判断するときには、まずはご自分の目で見て、冷静にご判断いただければと思います。
どのような疑問やご質問にでも、誠意をもってお答えいたします。
例えば、自転車に乗るとき。
必要なのは、まず補助輪なしで乗れるようになるということ。
そのための練習をしますよね。そして。
公道を走っても安全なように、交通法規の中の基本ルールを学びます。
もちろんお子さんの場合、普通はご家族が見守りながら安全に自転車で走るためのルールを教えていくことになるでしょう。
つまり私たちの「自転車に乗る能力」は、自転車というものでひとりで移動できるようになるフィジカルの技能と、交通ルールという知識の二本立てです。
交通ルールを叩き込むのなら、座学でもよいわけですから、5~6歳くらいのお子さんよりは大人の方がはるかに効率的です。
でも、だからと言って、ご自分のお子さんが自転車の練習をするのを、「大人になるまで」待つ方はいらっしゃらないと思います。
なぜでしょうか?
それは、子どものうちのほうが、自転車に乗るという技能は、はるかに短期間に、しかも高いところまで到達することが経験上わかっているからです。
英語に関して言えば。
子どものうちに触れさせておくべきは「話し言葉」。
大人になってからでも充分に間に合い、効率的に学習できる「読み書き」は、少々後になっても構わないのです。本人がやる気になれば、長い目でみればいつか必ず取り返せるものです。
しかし私が英語教育を早期からはじめる意味があると言っているのは、「話し言葉」に関して、聴力と発音ではお子さんには大人にはるかに勝るアドバンテージがあるからです。
そして、言語の内容だけにとらわれることなく、何を意図しての発言なのか、状況や心境をありのままにくみ取る力。これは、知っている言葉が限られている幼児との意思疎通でお気づきになる方も多いと思います。お子さんって、「分からない」ということに疲れたり、へこたれたりしない。子どもさんがもって生まれた能力を自然に導かれるままに見事に開花させていく姿は、本当に深い感動を覚えるものです。
読み書き中心のテストに慣れた今現在の普通の日本人が英会話スクールに通う理由は、「話し言葉」のため。和文英訳で答えの英文を書くのと、会話をするのではスピードが違います。耳から入った情報だけで、それに返答するのに自然な時間のうちに(せいぜい3秒です)返答を開始しなくてはならないですし、英文を書くときのようにさかのぼって推敲する時間はありません。
さて、話し言葉というのは、音楽で言えば実際に演奏される音楽そのもののこと。
それを人に伝えるためには楽譜を使うわけですが、楽譜は音楽がはじめにありてその価値が出る「記録」にすぎません。
音楽でいうところの、その曲や歌、演奏の素晴らしさが「話し言葉」。
楽譜が「読み書き」の部分だとご理解いただければと思います。
「話し言葉」は、耳から入った音を正しく聴き取り、その音を自分の口を使って再現できる能力が無いと上達できません。
しかし、その能力というのは、自転車に乗る技能などと同じように、年齢が上がるごとに逓減していくことが明らかになっています。
大人になってからでは、100%は開発しきれない能力のひとつです。
あなたが「読み書きオンリー」で結構なのであれば、早期英語教育は必要ないと思われるかもしれません。
しかし、言語の本当の力は、あくまで「話し言葉」にあるということをお忘れにならないでください。
私が目指している英語教育は、自転車の乗り方にあたる「話し言葉」を、それを受け取るのに最も良いタイミングの方々に、可能な限りたくさんお届けすること。そして、そのための優れた環境を可能な限り整えること。
ご賛同いただけない方も日本にたくさんいらっしゃることは分かっています。
しかしせめて、まだ小さいお子さんに私たちが働きかけをしているのを「意味が無い」などと邪魔するのだけはやめていただきたいと思います。
母語を外国語が超えることは無いという事実を元に、子どもは母語のみを教育するべきだというご意見がありますが、私ははっきりと否、を申し上げます。子どもを日本語環境に閉じ込めておくことは、英語に限らず他の言語への可能性を閉ざすことに他なりません。
ご自分が音楽にご興味がなくても、となりのお子さんがピアノやヴァイオリンの教室に通うのを、意味が無いと揶揄なさる方はいらっしゃらないでしょう。また、たとえ音楽に興味の無いご家庭でも、義務教育での「おんがく」の時間を、余計なことだとか百害あって一利なし、とはおっしゃらないと思います。
英語は違う?いいえ。同じです。
どのようなご意見でも、謹んで拝聴いたします。続きます。
必要なのは、まず補助輪なしで乗れるようになるということ。
そのための練習をしますよね。そして。
公道を走っても安全なように、交通法規の中の基本ルールを学びます。
もちろんお子さんの場合、普通はご家族が見守りながら安全に自転車で走るためのルールを教えていくことになるでしょう。
つまり私たちの「自転車に乗る能力」は、自転車というものでひとりで移動できるようになるフィジカルの技能と、交通ルールという知識の二本立てです。
交通ルールを叩き込むのなら、座学でもよいわけですから、5~6歳くらいのお子さんよりは大人の方がはるかに効率的です。
でも、だからと言って、ご自分のお子さんが自転車の練習をするのを、「大人になるまで」待つ方はいらっしゃらないと思います。
なぜでしょうか?
それは、子どものうちのほうが、自転車に乗るという技能は、はるかに短期間に、しかも高いところまで到達することが経験上わかっているからです。
英語に関して言えば。
子どものうちに触れさせておくべきは「話し言葉」。
大人になってからでも充分に間に合い、効率的に学習できる「読み書き」は、少々後になっても構わないのです。本人がやる気になれば、長い目でみればいつか必ず取り返せるものです。
しかし私が英語教育を早期からはじめる意味があると言っているのは、「話し言葉」に関して、聴力と発音ではお子さんには大人にはるかに勝るアドバンテージがあるからです。
そして、言語の内容だけにとらわれることなく、何を意図しての発言なのか、状況や心境をありのままにくみ取る力。これは、知っている言葉が限られている幼児との意思疎通でお気づきになる方も多いと思います。お子さんって、「分からない」ということに疲れたり、へこたれたりしない。子どもさんがもって生まれた能力を自然に導かれるままに見事に開花させていく姿は、本当に深い感動を覚えるものです。
読み書き中心のテストに慣れた今現在の普通の日本人が英会話スクールに通う理由は、「話し言葉」のため。和文英訳で答えの英文を書くのと、会話をするのではスピードが違います。耳から入った情報だけで、それに返答するのに自然な時間のうちに(せいぜい3秒です)返答を開始しなくてはならないですし、英文を書くときのようにさかのぼって推敲する時間はありません。
さて、話し言葉というのは、音楽で言えば実際に演奏される音楽そのもののこと。
それを人に伝えるためには楽譜を使うわけですが、楽譜は音楽がはじめにありてその価値が出る「記録」にすぎません。
音楽でいうところの、その曲や歌、演奏の素晴らしさが「話し言葉」。
楽譜が「読み書き」の部分だとご理解いただければと思います。
「話し言葉」は、耳から入った音を正しく聴き取り、その音を自分の口を使って再現できる能力が無いと上達できません。
しかし、その能力というのは、自転車に乗る技能などと同じように、年齢が上がるごとに逓減していくことが明らかになっています。
大人になってからでは、100%は開発しきれない能力のひとつです。
あなたが「読み書きオンリー」で結構なのであれば、早期英語教育は必要ないと思われるかもしれません。
しかし、言語の本当の力は、あくまで「話し言葉」にあるということをお忘れにならないでください。
私が目指している英語教育は、自転車の乗り方にあたる「話し言葉」を、それを受け取るのに最も良いタイミングの方々に、可能な限りたくさんお届けすること。そして、そのための優れた環境を可能な限り整えること。
ご賛同いただけない方も日本にたくさんいらっしゃることは分かっています。
しかしせめて、まだ小さいお子さんに私たちが働きかけをしているのを「意味が無い」などと邪魔するのだけはやめていただきたいと思います。
母語を外国語が超えることは無いという事実を元に、子どもは母語のみを教育するべきだというご意見がありますが、私ははっきりと否、を申し上げます。子どもを日本語環境に閉じ込めておくことは、英語に限らず他の言語への可能性を閉ざすことに他なりません。
ご自分が音楽にご興味がなくても、となりのお子さんがピアノやヴァイオリンの教室に通うのを、意味が無いと揶揄なさる方はいらっしゃらないでしょう。また、たとえ音楽に興味の無いご家庭でも、義務教育での「おんがく」の時間を、余計なことだとか百害あって一利なし、とはおっしゃらないと思います。
英語は違う?いいえ。同じです。
どのようなご意見でも、謹んで拝聴いたします。続きます。


