前回の続きです。
When the dream came 夢が来る
I held my breath 目を閉じ
with my eyes closed かたずをのもう
I went insane, 狂いだす
Like a smoke ring day 煙の輪を
When the wind blows 散らされるよに
はい。
みなさん、突っ込んでいいですよ。
「なんで?なんで過去形の文章なのに
日本語では現在形になってるわけ?!」
実は。
そこがサエキ訳のイケてるところ。
エロス全開なところです。
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日本語と時制の関係。
日本語の「うたごころ」は
時制とは「ひも」がついていません。
いわく、
「心なき身にもあはれは知られけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ」
過去に見た光景なのか。
今、目前の光景なのか。
どちらでもあり、
どちらでも「うた」の世界は完結出来ます。
意識の流れとして
水彩画や美しい瞬間を切り取った写真を
眺めているような感じです。
それに比べると、
英語の歌の場合は
やはり時制が
「うたごころ」にも反映されます。
例えば、ロバート・ジョンソンの「Love In Vain」
有名な歌ですが、
なにそれ?という場合は
原詞はぐぐっていただくとして。
駅まで彼女と来た。
↓
列車が来て見つめあった。
↓
でも彼女は列車に乗った。
↓
駅で自分は見送った。
↓
あー切ない。
と、まるでショートムービーを
観ているかのよう。
そういう「意識の流れ」を、
時制から切り離して表現することが
英語では出来ないわけです。
それを踏まえたうえで
これからはじまる
「過去への決別」のために
「夢をみたんだ。こういう風に・・・」
というすでにおきたことの部分を
サエキ訳では
あえて日本語は現在形で
翻訳なさっています。
英語だけの英語屋には
出来ない技です。
そして一見すると
ドライな訳に見えるかもしれないですが
これを男性の声で歌ってもらうと
ニール・ヤングの哀愁のある歌声や
あるいはバッファローのリードボーカルの
リッチ―・フューリーの
快活で伸びのある白人男性らしい声と
二重奏、三重奏になって心に届くようです。
ボーカルと作詞の両方の経験と知識が
あってこその日本語詞であることが分かります。
う~ん。いいですねえ。
続きます。