【親子のおはなし】教育虐待という言葉をはじめて聞いて思ったこと。 | 英語よみきかせの講師育成。英語で世界の絵本を紹介するDJ!Ms.Miyuki

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私が大好きなオピニオンリーダー、森林育代さんのブログに触発されて。

習い事や学習面での、「もっと出来るはず。」という親のプレッシャーに悩むお子さんが少なからず存在するという現実について。教育虐待、という言葉をはじめて今回聞きました。

日本で自分もさんざん「親バカ」をやり、もちろんアメリカでも「親バカ」、そしてスクールに勤めることで内側からもアメリカの親バカと日本の親バカにお付き合いしてきた経験からなんとなく思うこと。

アメリカ人の親バカもたいしたもの。自分の子どもが良い成績を修めれば、決して謙遜などはせずみんなからの称賛を当然のように受け取るのがアメリカ人。そして子どものコーチや指導者に不満があればとっとと辞めて次へ行くバイタリティ。すごいものです。

人間はひとりひとり違う個性を持って生まれてくるもの。だからこそ、その人に本当に伸ばすに値する才能があれば一生懸命に伸ばそうとするのがアメリカ人の親バカ。自分の子どもがチームメイトより力量が上なら、とっとと辞めさせてもっとよい環境を目指します。

ひるがえって日本人の親バカを考えるに。

もちろん小さいお子さんには無限の可能性があるのは本当のことなのですが、それにしても一般的に、親が自分で経験してもいない習い事で「あわよくば、世界的なXXに」。というように、ゴール設定に違和感を感じることが散見される割合は、残念ですが日本人の親に意外に多いと思います。

例えばスポーツ。

一流のプレイヤーとなると、やはり身体能力がもともと高い人が、そのうえに努力を重ねて到達するもの。残念ながら生まれながらの体つきや筋力は、無視して考えることは出来ません。
瞬発力勝負のバスケットボールではアフリカ系アメリカ人の、その中でもやはりある程度以上大柄な人が有利であることは、どなたでもお気づきになるでしょう。オリンピックでも様々な競技で、人種や民族の持つ「得手不得手」があることは、(時にはそれを覆すような凄い才能が現れることがあるとしても)、多くの方がお認めになることではないでしょうか。

日本国内に目を向けても、一流のテニスプレーヤーには親族も優秀なテニスプレーヤーという方が少なくないですよね。そうでなくても、テニスに親しむ何らかの環境が整っていたからこそ才能を伸ばせた方が多いと思います。

モータースポーツしかり。

あるいはピアノやバイオリンのような音楽の才能。

パパやママも何かしら音楽教育を受けてきて、家の中に絶えず音楽がある家庭。そうではなくても音楽教室に通うことはあるでしょうし、音楽的な家庭環境が抜群ではなくても才能を伸ばせる方はいらっしゃるのだと思います。

ただ、やはり何かの才能を見つけ出すときには、そのお子さんの持っている「バックグラウンド」も少なからず影響する部分があります。どんな習い事でも、お金を払えば始めることは出来ます。でも、その習い事にその方なりの「必然性」がなければ、それは多くはせいぜい趣味にとどまるものだと思います。

大きく言ってしまえば、おひとりおひとりの「運命」のお話です。

もちろん「運命」は、粛々と従うだけのものではなく、時には流れに抗ってでも切り開いていくもの。

ですが、大人が自分がやったこともない事で「出来るはず」と子どもを追いつめるのは、感心しません。アンフェアだと思います。

人種が同じで単一民族の私たち日本人は、どうしても「努力」の問題に還元して考えてしまいがち。ですが、どのような人にもその人が生まれてきた家族や人種、民族、環境なりの歴史があります。それを考えずに安易にお金を払うことからは、「世界中が感動するような」才能は簡単には育たないと私は思います。

悲観的でしょうか?いいえ、分析的なのです。

敵を知り己を知れば百戦危うからず。です(^O^)