白洲正子が友人であり「美の師匠」である青山二郎から言われた言葉だそうですが。
「精神的」なものが「精神」を覆い隠してしまう。
最近やたらと目にする機会が増えた、ネットにあふれる「いい話」を読んで、この言葉をふと思い出しました。
感動するお話しだから、出所はいまひとつ分からなかったりするのだけれども、とても優しい気持ちになれたので、その心を誰かにおすそ分け・・・と、伝言ゲームのように次々にシェア。
もちろん風評や誰かを貶める話は論外なのですが、いい話、感動する話、人間って良いなぁと思わせる話なら、ついつい人にも教えてあげたくなる気持ち、分かります。
ですが、よくよく気を付けたいこと。
感動的なお話は、たくさんの人の心を持って行ってしまいます。
いくつか出回ったお話の中で、携帯電話に子どもを思う母のダイイングメッセージが入っていた、という美しい母性愛のお話しがありました。
もちろん飛行機の事故などの絶望的な状況で、愛する人への想いを言葉で残す人がいらっしゃったりすることは分かっています。事故や災害の後にそのようなエピソードで心を打たれることがあるのは、誰でも経験があることでしょう。
ただ、自然災害の切迫した状況の中で「携帯に入力する時間なんて、あるのかな・・・?」
こういった時に、「いい話」には、疑問や違和感を差し挟ませないほどの力があります。
いわく、「本当に起きた話。私は信じる。仮に起きていなくても、とても感動するいい話。それに文句をつけるなんて、あなたはきっと心が冷たい人なのですね。」
これは本当に極端な話ですが、「いい話」の持つ高揚感が、時には予想しなかったほど大きな力を持ちうることがある、ということは、ものを発信する人ならだれでも、つまりインターネットにつながる現代では本当に誰でもひとりひとりが気を付けるべきことだと思います。
いいものは「すてきだよー!」って、みんなと楽しみたい私が一番危ないので、特に心しておきたいと思います。ただでさえ、新幹線の車両いっぱい響き渡るとお叱りを受ける「大声」でもありますし。