私が育った町は長崎県の佐世保市。ここは旧海軍の港町。私の父は子どものころに、この町で佐世保空襲を体験しています。佐世保市は長崎市とは距離があり、長崎の原爆の被害は直接には受けていません。
母は長崎市街地の生まれ。今ある平和公園のすぐそば、すなわち爆心地にほど近いところに住んでいたようなのですが、原爆投下の前日に、両親の出身地である離島に疎開しています。
原爆の被害を直接に受けることはなかった母ですが、今日ご紹介する本の著者、永井隆博士のご子息とは同じ小学校(当時は国民学校でしょうか)に通っていた記憶がある、本当のご近所さん。
ですので、このお話は私には、母にありえたもうひとつの体験のお話。もし母が疎開していなければ、今の私の存在もまずありません。
新型爆弾(原爆)のあとは60年間草木も生えないという風説を信じ、長崎に戻らなかった母とその家族は経済的に大きなダメージをこうむったはずです。
そして母は、子どものころのご近所の知り合いの、誰とも会えていないと言っていました。すぐに戻れなかったのも大きな理由でしょうが、本当にみんなが犠牲になったのですね。
本当に被ばくした方から見ればどうということもない体験でしょう。ですが、ここにさえ大きな大きな喪失があります。
あやまちはくりかえしませぬ。と、私たちは誓ったはずですが、それはただ空虚なお経になっていなかったか。
愛妻を原爆で亡くし、ふたりの子どもをかかえて自らも苦しみながら被ばく者の治療に命をかけた永井博士。
この方の生き様を思うと、今の状況へのやりきれなさが募ります。
あやまちはくりかえしませぬ。
そのための知恵を、情報を、お持ちの方はどうぞ私たちと共有してください。
長崎の鐘
著:永井 隆
ISBN978-4-8056-6405-6