本日、首都圏の某所で被災した子ども向けのボランティアをやってきました。
その時気が付いたことです。これはあくまで私の個人的な感想です。
今回首都圏でも多くの子育て中の方がボランティアに参加なさると思います。
もし可能であれば、よほど小学生以下のボランティアも歓迎という避難所であれば別ですが、小学生以下のお子さんは、どうぞ同伴なさらない方法も検討してください。それが不可能であれば、ボランティアに行きたい人どうしで話し合い、ご自宅でボランティアに出かけるママ友の子どもをお預かりになるのもよいと思います。
子どもだって、社会参加している意識を学べる絶好のチャンス。どうして連れて行くななんていうの?それに、そのためだけに子どもを預かってもらうことだってなかなか出来ないし・・・。
本来はそうでしょう。事実、小学生も人が並ぶお手伝いをするとか、食料品などを一人ずつに渡す、などの作業を任されてボランティアに参加出来るのなら、それは本当にボランティアとは何かを子どもが身を以て学べるとき。それならば私ももちろん大賛成です。
しかし現実は、ボランティアの希望者があふれて新規の人を断っているような中に、被災者ではなくボランティアに連れてこられた元気なおこさんは手持無沙汰になって子どもの遊びスペースにやってくるのです。
もちろん、仕事の合間に飽きてしまってちょっと休憩、と遊びスペースに来るのは悪い事ではありません。子どもの当然の権利でしょう。
でも私は、そのようなお子さんの一団に、あるボランティアの大人の方がなにげなくおっしゃった言葉が引っ掛かりました。
その方は決して深い意味を持っておっしゃったのではないと思います。ただ、こうおっしゃりました。
”あなたたちは(被災者の)子どもたちと遊んであげなさい。”
決して上げ足を取るつもりはありませんが、あの非日常の現場の中で、遊んであげる、という言葉は私にはやや不自然に聞こえました。
すぐそこの床に毛布を敷いた場所が今の生活拠点という被災したお子さんは、プライバシーも保てない生活をしています。それが現実です。
首都圏では被災後初めての雨で、屋内は人があふれて蒸し暑ささえ感じる避難所。
私自身、自分に出来ることはなんだろうか、と自問自答をくりかえしています。
やりたいからやるボランティア、にとどまらず、受け手への配慮を忘れないでお手伝いをしたいと考えています。