LAをはじめサンディエゴ、それからサンフランシスコとカリフォルニア各所に住んできた経験から、アメリカに住む日系人の積み重ねてきたアメリカ社会にたいする貢献の大きさについてはなんとなくですが感じることがよくありました。
一度は戦火を交えた敵国という歴史は消すことができない。しかしながら現代のカリフォルニアで、日本人の私が子どもを育てながら安全に生活することが出来たのには、そこに住んでいた日本人、日系人のコミュニティの功績があるに違いないと分かっていたからです。
とはいえ、その理解のはじめの一歩は子どもが通っていた日本人学校(土曜日補習校)の図書館で借りた一冊の本でした。
それは、トパーズ日系人強制収容所のことを書いたもの。敵国という意味では同じ立場のドイツ人イタリア人には強制収容は行われず、日本人のみがそのような理不尽な仕打ちを受けたのは事実です。
日系人の歴史というと、その実態がきちんと理解されないままなんとなくあやふやになっている場合が多いと思います。私ももちろんそうでした。
442連隊は、第二次世界大戦のときにヨーロッパを転戦し、ナチスドイツからヨーロッパの各地を開放したアメリカ陸軍史上最強の部隊。その中の多くの兵士が、家族を強制収容所に置いて出兵した日系人です。
どのくらい強かったか。それは、帰還の際に現職のアメリカ大統領(トルーマン)が直々に出迎えた、最初で最後の部隊であるという事実からも伺い知れます。まだ多分に白人のための国であった当時のアメリカが、その功績に本当に感謝した証ですね。
しかしながら、ほとんどは日本生まれの日本人を両親に持つ日系二世の彼らは、アメリカ育ちのアメリカ人ではあっても日本人の精神と品位を併せ持ち、とても控えめ。決して武勲を誇るという種類の人たちではありません。
彼らのモットーは”Go for broke!"(当たって砕けろ!)実にきっぱりと、大和魂ではありませんか!!
そしてこの映画で驚いたことには、彼らは東条英機から手紙を受け取っていたのだそうです。
どんな内容だったのか?
実はそれは、”貴君らはアメリカ人であるから、アメリカのために戦うがよい。”というものであったそうです。
私は日本の開戦は無かったほうがよいと考える立場のものですが、歴史の大きな流れの中で、当時を生きた日本人のありようが伝わってくるようで、これは心を動かされるエピソードでした。
映画 442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍 の情報はこちらです。