バイリンガルというと二つの言語を話したり書いたりする能力がある人。
ではセミリンガルとは?(semi-lingual,実際の発音は セマィリンガルって感じですが)
きちんと自立した生活が出来るほどの言語がひとつも育たなかった人の状態を表す言葉です。
どういうことかというと、日本育ちの、普通の日本人の小学校中~高学年くらいのお子さんを考えてください。出来れば親戚のお子さんなど、やや具体的に。
日本語とはいえ、新聞を読んで、隅々まで意味がくっきりと分かるお子さんはまだ少ないはずです。
でも、バスに乗る、お買い物をする、学校という限られた場にしろ社会生活は営める。
きちんと誰かの保護の下で生活するのに不自由ない言語力はあるでしょう。意外に難しいことも言ったりするし、漢字などもよく知ってたりしますよね。
読書が好きでないお子さんだと、文庫本の小説など読了出来ない子がいてもそれはまだ普通です。
ですが、その人に大人と一緒の仕事を与えて大人と同様の責任を持たせるのは、無理です。
まずはご安心ください。日本に育った日本人で機能的な問題がなければ、この状態のまま社会に出て行くことはとても少ないでしょう。
でも、海外での育成歴などがある場合や家族の中での言語環境、帰国のタイミングやその方の資質によって、日本語の発達が不全ということは、ありえます。
そして、深刻なことには、状況によっては、日本語でないほうの言語もいわゆる”使える”レベルに達しないということが起こりうるわけです。これがセミリンガルです。
日本に育った日本人なら、義務教育修了後すぐに社会に出て行く人には雇う側もきちんとした対応をして社会人へと育てていく配慮もあることでしょう。
でも、セミリンガルのお子さんは往々にして見過ごされやすいのです。特に日本語と英語を話す子の場合。
思考というのは言語の上に成り立つものなので、言語力が育っていないお子さんは思考力にこころもとない場合が多い。
どの言葉でも、新聞読んだら難しくってよく分からない。ちょっと込み入ったお話を読んだりするのも、途中で分からなくなってしまって、おしまい。辛いですね。
だけど、見かけの英語の日常会話力を過剰評価する傾向が日本人にはあるのです。
どの言語でも突き詰めて考えるだけの力を持たないまま社会に出たら、やはり犯罪加害者になったり逆に被害者になるなどの可能性は高まることでしょう。
今日楽しく会話している目の前の大人の方が、アタマの中味は子どものままだったら。
普通には想像も出来ないことですよね。まして、流暢な英語でも操られた日には、むしろ頭がいいのね!と感心してしまうかもしれません。
セミリンガルは、広い意味での障がいです。
セミリンガルになるくらいなら、外国語はすっぱり捨てて日本語を重点的に伸ばす。
今せっかく流暢に見える英語を手放すのはもったいないように感じるかもしれませんが、必要とあればその覚悟をする。
バイリンガル児に関わるすべての人がよくよく知っておくべきことです。
こぞって英語英語の世の中で、私もその急先鋒の一人ではありますが、皆様に知っていただきたい現実として書かせていただきました。
ただし、恐れることはなにもありません。
日本で育って日本の教育を受けておいて、子ども英語のレッスンのせいでセミリンガル。
日本で育って日本の教育を受けておいて、子ども英語のせいでアイデンティティー危機。
ありえません。
バイリンガル教育についてご不明な点があったら、ぜひお気軽にご相談ください。