蘇れ彼の「伊万里の歌」(昭和31年7月に伊万里広報紙で紹介) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…4年前の記事に新たな情報を【追記】(2019/04/02・火曜)します…

https://ameblo.jp/erusaremu464/entry-12028022775.html ← (ドラッグ&クリック検索/伊万里の歌の歌詞が解りました)

 

…今年(平成最後の31年3月31日)も開催された【MR 浦ノ崎駅・桜祭】を観る為に帰郷した折、此の【伊万里の歌】レビュ-の経緯が知りたくて桜祭りの2日後(昨日行ったが図書館は休みだった)の今日(4月2日)、再度、伊万里市図書館に行き、此の歌の出処に付いて訊いてきました。それは4年前(平成27年=2015年)に伊万里市図書館の女性の方が、ヤット、伊万里市の「広報紙/昭和31年7月10日号」を探り当て、見つけて下さっていたからでした。

 

…その伊万里市広報紙によると、NHKが全国の「日本の町」をテ-マとして、昭和31年1月21日に伊万里がNHKで全国に放送された際、歴史も深く「七ツ島」、「色鍋島」等の郷土を織り込んだ歌詞が作成され、NHKから我が伊万里に【伊万里の歌】と題し贈られました。その発表会が此の年(31年)の6月2日に伊万里小学校で開催された。それは先ず、池田末子先生の指導で伊万里小学校5年~6年の女子合唱団が歌いました。そして、此の事が次の伊万里広報紙(7月10日号)で紹介された事により、その7月の或日、私の三つ上の姉が学校で習って歌い、家に帰っても尚、歌っていたのを私は聞いて覚えた次第です。流れはこうだが、私にとっては一大事が起こっていました。それは、塩浜の海岸際で営んでいた瓦工場の家を引越し、少し高台の処に住む事となってのやさき…「♪ 黒ダイヤ、幸も豊に、伊万里富士、黒髪山や、緑濃き七つ島じま、朝夕に、眺めて楽し、栄えゆく、我らの伊万里」(第1番目の歌詞)と歌う、その七つ島が高台から良く見えていて、「朝夕に、眺めて楽しい」と歌う歌詞によって、引越た後の私の心の中のショック(環境破壊=浦ノ崎海岸の埋め立て工事で引越を余儀なくされた)を和らげさせてくれたからだった。

 

…此処(画像)は昔(昭和29年頃迄)、海でした。

 

【追記】(2019/04/04・木曜)…【伊万里・富士】

 

…第1番目の歌詞【伊万里・富士】に付いて、市役所の人に訊いたら「腰岳」(伊万里市役所の南側に位置する)の事だと教えてもらいました。子供の頃(昭和31年/小学3年生の時)、歌詞の流れから伊万里富士とは黒髪山の事だと思い込んで歌っていました。その黒髪山は、武雄(佐賀県 武雄市)の近くに位置し、伊万里市役所の処からは見えませんでした。ちなみに、牧島(山代町の海を隔てた東側)の処から「腰岳」(先史時代は良質の黒曜石の産出地であった)を見ると、富士山のように見えるとの事でした。

 

 

……(ランキング)↓ ↓ ↓ ←  (クリック)…宜しく…

 

    にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ
         にほんブログ村