「Japan=ヤマト」の語元は「ホレブ山」 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…日本の国語(ヤマト言葉/5母音・アイウエオ)の普及に用いられた「アワの歌」(5・7調/基本48文字)は、現存『日本書紀』(国史大系1)の底本『秀真伝(ホツマツタヱ)』(昭和41年=1966年8月/松本義之助(ヨシノスケ)氏が神田の古書店で発見)に記されている。その「アワの歌」の中に…「Mene(メネ),Mene(メネ),Tekel(テケル),U()Pharsin(パルシン)/ダニエル書5・24~28文言に対するGematriaゲマトリア文字&数値転換・隠語解読方式)秘儀数値「1191」(筆者・発見)が組み込まれている事を発見しました。

 

『秀真伝』は「日本人の聖書」である。その定義付の1つは、ギリシア語訳「セプトゥアギンタ」(72人訳/旧約聖書)のGematria(ゲマトリア)数「300」(rvch(ルアク) alhim(エロヒム)/エロヒムの霊)を、ヤマト言葉「300万

 

 

 

 

 

 

ミモロ」(カミの御名/300×カミの居住値1万=300万)と称し、「日本・カミ代物語」の歴年数値【300万ミモロ年】(Calendar/50ヰソスズキ年=300万年)として取り込んでいる事。従って、天照大神の誕生「満・120万7530年」から長髄彦ナガスネヒコ討伐開始「179万2470年」迄が「300万ミモロ・年」(ホツマツタヱ・第4章)に成るように設定されている。ちなみに、その「秀真ホツマ・国」の初出は『日本書紀』神武天皇31年条(国見)に記すミコトノリ「昔伊弉諾尊イザナキノミコト目此國曰、日本者浦安國、細戈サホコ千足チタル國。磯輪上シワカミ秀真ホツマ國」(此云コレイウ袍圖莽句爾ホツマクニ)…が初出です。

 

…【日本建国・創建史学】(秀真伝の歴年史/初代神武天皇~第12代景行天皇迄/AD1世紀・弥生中期~AD4世・古墳時代迄)と言う学問は日本の歴史教育分野にありません。従って、日本の歴史区分の古代史は、「飛鳥時代初頭・600年頃~奈良時代後期・800年頃」が対称と成っていて、それ以前の皇歴始点年の設定方式等に付いては全く解らないとするのが現状です。

 

…【人文・歴史地理学】として…「ヤマト民族は何故、日本に住み、此の人達は何処から移動してきたのか?」(地理学は地球表面のあらゆる事象に付いて研究する分野)と問われれば…それは「ダマスコ契約・秘儀教義宗団トップグル-プの子孫達」が、【Dead() Sea() Scrolls(巻物)】(死海文書/1947年発見)に記述された「メルキゼデクテクスト/11QMelch」の成就を目指し、尚、★エゼキエルの預言(紀元前6世紀)、つまり、「Qumran(クムラン)・大地震」(ヘロデ王の第7年/紀元前31年・発生)を契機と捉えて祖国Qumranの居住地を離れ、極東の此の列島に到達した後、「カミ(58)のMmanifest(マニフェスト)」(AL(エル)・31&メルキゼデクテクスト/11Qmelch)に従い、予め設定していた「ホツマ・思想」(太陽思想)の秀真国を創建したからである。

 

★…紀元前6世紀初頭頃のエゼキエルの預言…「イスラエルのカミ(ALHHM(エロヒム))の栄光が東の方から現れた」(エゼキエル書43・1~2)。又…「その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる」(エゼキエル書38・18~23)と『旧約聖書』に記されています。

 

…此のエゼキエルの預言を何世紀(約556年間)も待ち続け修行していたQumran(クムラン)宗団に付いては、ユダヤ史の歴史的闇(BC31年~AD31年頃)の中にあって、此の宗団の存在が始めて世間的に知れ渡ったのは、クムラン周辺を襲った大地震年(ヘロデ王の第7年/BC31年)から約二千年を経た「1947年」(昭和22年/第二次世界大戦終結から2年後の年末頃)に、【死海文書】が発見され、此れが二十世紀最大の考古学的大発見として国際ニュ-スに成ったからでした。

 

…クムラン大地震をエゼキエルの預言(カミの顕現年)と捉えたクムラン秘儀教義宗団トップグル-プ子孫の人達は、此れを契機と捉え、エルサレムから見て「世界最初の陽(日)の出地域」を目指して移動した。そして辿り着いた最極地常陸(ヒタチ)/茨城県・北東部)に対し、秘儀数値(ゲマトリア)を用いて「730(ホツ)÷()」(365/天使エノク・(イマス))思想の「ホツマ・国」(1年周期・日の元の意)を創建する。その後、「ついにはシロ(IBAShILH/358/創世記49・10)が来る」とする予定論に従って、【ヤマト・国家】を成立させました。

 

…つまり、【幻の西暦1年目・設定歴】の施行年(カミのマニフェスト/AL・31&メルキゼデクテクスト11Qmelchの成就)を意味付ける為、「ホツマ・国」を創建(AD1年/辛酉)し、その後年、「ついにはシロ(IBAShILH =358)がくる」(創世記49・10~10)とする予定論に従って、【ヤマト・国家】(日の本・思想=1日&1年の始まりの意)を成立させました。此の、【ホツマ・国】創建から【ヤマト・国家】成立迄の間の事を書かれたのが『日本・カミ代物語』であった…

 

…「ヤマト」の語元(語源の意ではありません)は…Berashith(ベラシト)3910(ミコト)の語元数値言語/モ-セ5書・創世記)の頭文字【B】(三角数・3/子音最初の文字)と、「秘儀数値・1191」(God(カミ)の手先・掌/指で書かれた奇妙な文字)に関連する【(カッパ)】(三角数・55)を組み合わせた【()()】のゲマトリア数【58】(ヘブル文字数22に対応/58+22=80はヤソ平瓮の語元数値)が語元であった。つまり、【()()】のゲマトリア数【58(ヰヤ)】(IH…ヤ-)、その呼称「聖なるYah(ヤ-)」(IHVH(テトラグラマトン)最初の2文字・IH(ヤ-))の意とするユダヤのカミ名(Yahweh(ヤハウェ))の主が、始めて人の前(モ-セ)に姿を現し、又、名前を明かした場所、即ち「ホレブ山」(シナイ山/出エジプト記3・13~14)に関連付けて★「ヰヤマト」と言い、略して「ヤマト」と成った。

 

★…【ヰヤマト】(ヤマトの語元)…「ヰヤ(58)マ(坐)ト(10)ト(踏=文)フル(降る)、ヤマトクニ」…「マト(的/58×10=580)のヲシエハ、ノホルヒノ、モトナルユエニ、ヒノモトヤ、シカレトヤマト、ナステソヨ、ワレハトノチ(10=完成の地)ニ、ヲサムユエ、オミモトミナリ、ソノユエハ」(秀真伝・23章)と記されています。  

 

…【BK(カミ)】の言語と三角数【58(ヰヤ)】が何故ユダヤ教のGod(カミ)Yahweh(ヤハウェ))に結び付くのか?…それは極東の異郷の地に理想郷国を創建する事を前提として、新た成る祭祀方式を設定した事に関連する。

 

…ユダヤ教のThese(テ-ゼ)命題)にあっては…「異郷の地にユダヤ教のGod(主)を祀る事は禁じられている」。従って、元始ゲマトリア方式によるカミ名【トホカミ・ヱヒタメ】(37+58=95/年中行事を司るカミ)。又、新に「三角数・ゲマトリア数」を組み込み設定した「ヤマト・言葉」を用い、ギリシア語「Θεὸς」(テオス)Yahwehと同義語)の秘儀数値「284」(三角数)に合わせ造語したカミ名【アイフヘ・モヲスシ】(284/ヤマト言語を司るカミ)。その双方(トホカミ・ヱヒタメ&アイフヘ・モヲスシ)のカミを「完全数・8128」に関連付け、新に作成した占い用「フトマニ・図」に配置し、太陽思想(ホツ・マ)の国造に向け、本格的な【ヤマト・国家】成立に向けた活動が開始された。

 

…此の【フトマニ・図】の「2文字間隔・配置方式」は、紀元前、既に地中海沿岸文化圏で用いられていた「1日24時間・七曜設定方式」の取り込みを以て作図されています。又、【フトマニ・図】の「ヤチマタ(八衢)・128歌」方式は、【完全数】(8128) を示唆して作図されている。その目的は、「ノア期・大洪水阻止祈祷文版設置値点」(1万&370)に関連付けた【天御中主】(370=三位一体/ア・ウ・ワ)を出現させる為である。

 

先述の「秘儀数値・1191」(1万年枠の入れ子数値)を…「31・370・210・580/合計・1191」に分割し、その最初の「31」は、エロヒム(IHVH)最初の2文字のゲマトリア数である。従って、此の文字を和歌(31文字・定型詩)に託し、カミとの交信を可能とした。次「370」は天御中主の語元数値であり、【フトマニ・図】の中心に配置する「アウワ」(ゲマトリア数・370)と同義語である。次「210」はアトマニの語元数値(三角数)であり、其の根元数が「20(フト)()()」(太占(フトマニ))図の語元である。その最後の「580」が【ヤマト】(ヰヤ58・マ坐・ト10/58×10(踏=文)=580)の語元である。

 

…ちなみに、「ヤマト」とは、「山の頂点値=1160」(千木の頂点数値・370=天御中主)への道の入り口(山の登り口)を示唆する言語であった。その道標として書かれたのが【フミ】、即ち、【ホツマツタヱ】(秀真伝)と【ミカサフ】(ミ三笠文)文書(大物主の遺し文に起因する)である。その「山の入り口」を数値で示しているのが、予め設定されていた「神武天皇即位1年目から景行天皇崩御年迄の在位通歴・790年」とする枠数値である。つまり、「山の頂点」(790+370天御中主=1160千木の頂点値)への入り口(フミ=第一歩を踏み込んだ足跡/道標の文=ホツマツタヱ/790)を通り越せば、【カミ・370=天御中主】(天照大神の御親カミ)の道、即ち、「カミの大道」(ワイタメ=秩序)が成立する事になる。

 

…然し何故、【58】(ヰヤ)が「ヤマ」(山)の語意に関連するのかと言えば、それは、既に前もって占い文言を用い…「イヤマ」(三角数・312)と言う【山】を意味表す数値言語を造語していたからであった。つまり…【トホカミ・37】(×10・Yod=370)と【ヱヒタメ・58】(×10・Yod=580)の秘儀数値を【フトマニ・図】の中に組み込む為、又、それは「God Mountain」(カミの山)に関連付ける必要を以て、頭文字「イヤ-」(聖数・15/IH…Yahwehの頭文字言語)を使用する必要があった。従って、「イヤ(297)・マ(聖数15)」(三角数312/山の語意と定義する)を造語し、「ヱヒタメ」(元初ゲマトリア数58=ヰヤ)数値を加算して【370】(詩編1巻・1/カミの顔の光の数値)が導き出された。

 

…此れが意味する処は、始めてユダヤ教の主(IHVH=Yahweh)が人(モーセ)の前に姿を現し、又、主が自ら自分の御名を…「エヘイエ・アシェル・エヘイ」(私は【私は在る】と言う者である/出エジプト記・3章14節)…と教えた山、即ち、【ホレブ山】(シナイ山)を示唆して造語されたのが【ヤマト】(昇る日の、元成る故に、日の本や、然れどヤマト/ホツマ23章)と書かれている。従って、前以て「イヤマ」が「Mountain」(山/山の形容詞)の意として造語した事の証拠と成る文言が★【太占フトマニ】文面に説明されている。 

 

★…【太占】の頭出し言語は「イヤマ」(三角数・312)…「イヤマ(21+276+15=312)成る、高木はえ、降りやせん、降りによそうて、【58】(ヰヤ)【マ】(Ε動詞/私は有る成るべし」…と記されている。

 

…上記、括弧内数値は、ブログ筆者によるゲマトリア数値、【ホツマツタヱ】には有りません。その合計数370は、天御中主(アメノミナカヌシ)と称し「太占・図」の中心に配置されている3文字一体カミ【アウワ】(367+3=370)と同義語数値で構成されています。

 

…フトマニによる「イヤマ」(山の語意として定義付けされた)の造語の目的は、最極東地域に理想郷的国家創建を前提に、ユダヤ教の主(God)を言い表す単語を造語する為であった。従って、【脱・ユダヤ教】(キリスト/救世主の出現を待つ)を目指していたクムラン秘儀教義宗団トップグル-プの人達は、ギリシア語聖書(ゲマトリアの組み込み)に記す主の御名【Θεὸς】(テオス)の秘儀数値(284/アイフヘ・モヲスシ/三角数・358)を造語して、ヤマト国家創建年(シロが来る/創世記49・10~10/神武天皇&崇神天皇・即位年の設定方式に関連する)を設定しました。

 

聖徳太子が整えた 【皇統・万世一系】

 

…推古天皇時代頃(6世紀前半頃)には『秀真伝』文書は隠されていた。従って、それ迄の歴年史の有り方に疑問を感じた聖徳太子(八耳王)は、当時の六家の有力氏族を問い詰め、隠されていた【三笠文(ミカサフミ)】(秀真伝の姉妹書)を探し出しました。ちなみに、現存『日本書紀』(国史大系1)の一連的皇歴年(推古天皇迄)の繋がりは、聖徳太子が作成させた『先代匶事本紀大成經』(推古天皇・迄/72巻本)に従って作成されたものである。つまり、それ迄は、【ホツマツタヱ】の「第12代・ヲシロワケ」(景行天皇)迄の歴年史は、その後の「第13代・ワカタラシヒコ」(成務天皇・在位60年…1年空位)に始まる歴年史とは切り離されていました。

 

…聖徳太子によって探し出された【ミカサフミ】(三笠文)と、大物主の「遺しフミ」(三笠文と秀真伝の前身)。その文書の研究を以て、聖徳太子の時代に武内宿禰を大臣とする文書(成務天皇~仁徳天皇迄)の歴年史を、『秀真伝』の歴年史に接続させ、此処に【皇歴・万世一系】が完成しました。

 

…その接続の「鍵の部分」を発見しました。その接続方式は、太占に関連する「ワイタメ・数値」と「ヱト・接近法数値」を用い、「ミマキイリヒコ」(崇神天皇)の歴年史とが結び付いている事にありました。

 

…ちなみに、隠されていた三笠文の発見経緯に付いては『先代旧事本紀大成経(センダイクジホンキタイセイキョウ)』(72巻本)中の神代皇代大成経(シンダイコウダイタイセイキョウ)・序推古天皇28年=AD620年2月~推古天皇30年=AD622年春3月)に記述されています。

 

 

 

【追記】(2018/08/04)…日本書紀は【日本紀】(ニホンギ)の下書き文書である

 

…斑鳩宮太子(厩戸皇子/後に言う聖徳太子)は、隠されていた秀真文字(カミ代・文字)で書かれた【三笠文(ミカサフミ)】(秀真伝の姉妹書)を小野妹子に命じ【枚岡神社】(春日神社/大阪府東大阪市)から、又『秀真伝』の前書「三輪・大物主(鰐彦(ワニヒコ))文書」(遺文(ノコシフミ))を秦河勝(ハタノカワカツ)に命じ【阿波宮】(金比羅宮/香川県仲多度郡琴平町)から探し出し、推古女帝28年に【皇統・万世一系】として、それ迄はバラバラだった天皇系譜を国史として纏めたのが『先代匶事本紀大成經』(72巻本)である。

 

…此の『先代匶事本紀大成經』(推古天皇・迄/72巻本)の「神皇本紀・1~6」(神武天皇~神功皇后迄)、「天皇本紀・1~6」(應神天皇~武烈天皇迄)、「帝皇本紀・1~6」(繼體~推古女帝36年迄)迄の歴年史に、その後の持統女帝(天武天皇の后)迄を接続し完成させたのが、逸書【日本紀(ニホンギ)】(養老4年・AD720年/元明女帝に奏上)であった。従って、『現存・日本書紀』(国史大系1)とは、その【ニホンギ】の下書き文書(養老5年/第1回・日本紀講例)であった。

 

…戦後に始まる【GHQ】(戦勝国・アメリカの政策)による日本の歴史教育は、それ迄の日本の歴史家達を追放し、素人の寄せ集め的陣営で始められた。従って、『現存・日本書紀』(国史大系1)の元典(ニホンギ/日本紀)に対する研究は殆ど無視され、現在に至っています。その弊害の1つが…《養老四年・AD720年奏上(元明女帝時)【日本紀】》…つまり、元明女帝に奏上されたのは、逸書【日本紀】(ニホンギと読む/『続群書類従参拾輯下』(雑部/巻第八百八拾六/名文抄に断片が保存されている)の事である。然し、我が国の戦後に於ける古代史分野の、その全ての人達は無知蒙昧的に『現存・日本書紀』の事として正当化しています。それで『現存・日本書紀』の参考文献とする【帝紀・旧辞】等に対し、それが何の文書なのかを正確に説明出来る人は居ません。つまり、その【帝紀・旧辞】とは、此処に言う『先代匶事本紀大成經』(推古天皇・迄/72巻本)の事である。然し、戦後(大東亜戦争終了後)にあっては、特に日本古代史に於いては…「本当の文献史学者は皆無的状況」に陥っています。

 

…本当の「文献史学者」とは…如何なる文献(文書/例えば『秀真伝』&『先代匶事本紀大成經』)であろうとも「文献を無視する事、自体」…それは既に「文献史学の道を逸脱した行為」である。従って、既に我が国には、「本当の文献史学者が存在しない国の1つ」と言う事になります。  

 

…ちなみに、『日本書記』(1987初版発行・中央公論社/監訳・井上光貞)の年表によると…「推古28年(AD620年)・此の年、皇太子(厩戸皇子)嶋大臣(蘇我馬子)に、天皇記・国記・臣連伴造国造百八十部公民本記を選録させる」…と記すが、正統的「文献史学者」として筋を通し『先代匶事本紀大成經』に当たれば、その【帝紀・旧事】自体が『大成經』の事である事が丸解りである。つまり…【神代皇代大成経・序】(推古女帝28年/AD620年2月~推古天皇30年春3月=AD622年)を以て、『先代匶事本紀大成經』(72巻本)を完成させ発表した事として書かれている。従って、小野妹子が遣隋使の時、「日の出る国(ヤマト=日本)・日の没する国(隋)」等と記した国書を携えたのは、既に、小野妹子が枚岡宮(東大阪市)から持ち帰った【ミカサフミ/三笠文】文書と、【大物主の遺し文】(四国の阿波宮で発見)の内容を、厩戸皇子(聖徳太子)は把握していたからである。

 

 

此の続きは後日と致します

 

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