…「日本語の始まり」… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 

…イオニア式ゲマトリア数値配列による【アワ(天地)の歌】(ヤマト言葉文字…24文字×2=48文字)を掲載しました。右(下)画像は大阪府八尾市【タコチ(竹渕)神社】の境内です。【ホツマツタヱ】文書にだけに記載された【ヤオ】(ΙΑΩ=八尾市の語元)の初出年記述を地元の【タコチ神社】は由緒書を用い、長髄彦討伐5年目(BC3年)当時の人達しか知り得ない状況を記しています。その【日本建国・創建史】(ホツマツタヱ)文書は、「元初・ヤマト言葉」による数値言語」(1万年・言語数値)を造語し【1万年・歴年史枠】を構築しました。そして、此の枠内にイオニア式ゲマトリア数値、つまり「ダニエル以外誰も読めない文字の翻訳語 … 「メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン」(ΥΤ、ΥΤ、ΗΡΜ、Λ、ΓΜΣΟ/ダニエル書5・24~28)数値「1191」を入れ子にして取り込み、此の数値枠中に書き込まれたのが【ホツマツタヱ】(姉妹書・ミカサフミ)文書です。その「1万・頂点値点」に対しては、千木の語根数値(160)と語元数値(1000)を加算した「1000年~1160年」と設定し、【フトマニ・図】の中心に配置された【ア・ウ・ワ】カミ(397+BC3=370/天御中主・天使エノクの意)の居住値点と定義しました。つまり、此の最終値「1160」は、和歌歌「31文字」を介在される事によって「1万年・暦年史枠」の終着値点(1万-1160-31=満・8810)と成ります。その残り数値「満・8810」を更に溯った値点がユダヤ教の元初神であるエロヒムの居住地と言う事です。換言すれば、天使エノク数値「4900年」時をノア期の大洪水発生年として、更に、其の大洪水発生年から「3910年」経過値点が「クムラン・大地震年」(紀元前31年)として設定され、更に和歌の数値年(31年)経過した値点を以て…「ヤマト国家創建年=神武天皇即位元年」としました。此の方式を以てヤマト(日ノ本)国の【皇歴年史・始点年施行方式】が設定されました。ちなみに、「千木」(チギ)語元は、八尾市に建立する【タコチ(竹渕)神社】(BC3年=天鈴暦55年・戊午)名称(タ・400+コ・600=チ・1000/千木の語元数値)に言う【タコチ】が語元です。

 

…そのタコチ(竹渕)神社の最初の祭司年(BC3年)を基点として預言的文言【サコクシロ】(pesher/接近法数値・660年)のゲマトリア数値「660年」を皇歴年数値として換算し、「伊勢神宮・建立年」(垂仁天皇26年/在位通歴657年+BC3年=サコクシロ・660)が預言されました。河内の八尾地域から発信された此の預言を聴いて全うしたのが猿田彦(河内の枚岡神社に来ていた)でした。従って、【タコチ(竹渕)神社】は天照大神を主祭神として祭られています。此の預言の成就の暁には、「ヨベルのヨベル年(自由の告知)の角笛を吹き鳴らす儀式(レビ記25・8~13/7年×7年=49年の7月10日の大贖罪は角笛を吹き鳴らし告知する事)を模倣する意を以て、伊勢神宮(最終遷宮地)の建築様式は「角刺・千木」(角笛の模倣様式)様式が採用されています。

 

…20世紀最大の考古学的発見(AD1947年・発見)とされる『死海文書のすべて』に記されていた《メルキゼデクテクスト・11QMelch》内容に、日本語の始まりを解明する糸口がありました…

 

…「元初・ヤマトコトバの起元」(起源の意ではありません)は、紀元前2世紀始め頃の【ダニエル書】(5・25)に記すゲマトリア数値言語…「Mene,Mene,Tekel,U・pharsin」(メネ、メネ、テケル・ウ・パルシン/秘儀数値・1191)文言にあった。此の文言に秘められている「秘儀数値・1191」を用い、【日本建国・創建史】(ホツマツタヱ/ミカサフミ・文書)が作成されました。ちなみに、日本語(元初・ヤマトコトバ)とは、ギリシアで考案された「基本・5母音方式」(アイウエオ)であり、尚、その「基本・48音文字」(24×2=48/1文字数値単語を含)で構成されて成る【アワ歌】(基本・31文字/和歌の起元)の文字配列方式を用い…「ヒ8・フ13・ミ10・ヨ5・ヰ19・ム15・ナ4・ヤ23・コ22・ト2・モ1・チ16・ロ・3」(13文字/倭語数値合計141+ト迄数えて振るの事224=365/1年の循環数値=天使・エノクの数値)…と成す、【倭語・数値言語】(倭語ゲマトリア用・1文字単語)が開発されました…

 

…此の【倭語・ゲマトリア数値言語】を開発した動機は、ヤマト(ヰヤマト・580の略称)・コトバに言うkami(上=ヨロズ/141)の御名【アキ・ツ=95】、即ち、フトマニ(太占…アキニ取る)の【トホカミ・ヱヒタメ】(95)を造語し、フトマニ図中(太占図中に配置/20坐Y=580+210=790が語元)のKami(カミ)として造語(カミの身丈柱数値・141+95=236)する為(カミはヒトなり)であった。

 

…此処に言う【身丈柱数値=236】(カミ=ΙΑΩの神体寸法)とは、カミ代(300万年で終焉)に言う「天照大神・生誕年~長髄彦討伐・開始年迄」(紀元前7年・甲寅=天鈴51年迄)の秘儀数値年【179万2470年】(モモナソコヨロフチヨモモナソ・ホ)を設定する数値と成っているが、然し、現実的には此の天文学的数値はダニエル書の或数値に236を掛け算した数値である事を既に見付けています。

 

…話を元に戻せば…此の値点年(BC7年/長髄彦討伐開始年・甲寅)から「雄略天皇・21年/AD477年」(第一回目・伊勢神宮【式年遷宮】施行年)迄の期間年(484年/太神宮諸雑事記第一に記載あり)を預言的に言い表した秘儀数値設定方式も成就する。そして此の翌年(雄略天皇22年×ヘブル文字22=484)…「丹後の豊受(ダビデの系譜)を外宮へ勧請する教義」(垂仁天皇26年=天鈴暦714年-236=AD478年)も成就した事により、【水江の浦島子・物語】(丹後風土記/冥界的竜宮で300年程過ごす物語)を創作しました。此の物語が意味する処は…「カミ代時代・数値」(ミモロ/三百年)の元点数値(300=エロヒムの御魂数値)を用い、過去年(満・AD477年-300=179)へと溯らせる方式を示唆していて、それは先述に言う「太占…アキニ(179)取る」の語意が成就した事を意味表す物語としての創作であった。

 

…ちなみに、先述に言う【身丈柱数値=236】とは、(旧訳聖書)「詩編147・5…我らの主は偉大であり、力に富み、その英知は測りがたい」と記す文言を言い表す秘儀数値(トーラ/モ-セ5書の諸々の謎を解く鍵の1つ)とされていて、此の数値は【72人訳・ギリシア語訳聖書】(ト-ラ/モ-セ5書)中の、【ノア・昇天到達値点】(大洪水阻止・祈祷文版配置所)数値を書き表す為に取り込まれている事を私(筆者)は既に発見しています。

 

数値言語【カカンノンテン】(猿田彦の文言)を解読しました

 

…『ホツマツタヱ』(姉妹書・ミカサフミ)文書の…(猿田彦)「美しき鈴、ワイ木立ち、カカンノンテン、トキマチテ(中略)~その主お待つ」(ホツマ・36章)とは、ゲマトリア秘儀数値言語に言う【イサワ】(伊雑宮/1407)の主(カミ代=天照大神)を待つと言う意味である。然し、その本質は史実的歴年史に繫がる「タケヒト(後の神武)を初代王とする物語」に転換する為に編み出された文言であった。つまり、【日ノ本・カミ代物語】(日本神話)とは、3世紀中頃以降、我が国の其れ迄の歴年史内容を題材として作成された物語(後付物語)であり、カミ代の時代を経て皇歴年史時代に成ったのではありません。 

…【イサワ】(伊雑宮/三重県)とは、ゲマトリア数値(1407)言語を用いての造語でした。「カカンノンテン・揃う時」(猿田彦の出現・100+1407=1507)に秘められた合計「1507」(ホツマ・36章/28章)の事である。ちなみに…「ミモスソの、サコクシロ内、改めて、アマテルカミの、内ツ宮」とは、伊勢の内宮建立年(垂仁天皇26年/在位通歴657年)から「660数値年を差し引いた値点」(紀元前3年/八尾市タコチ神社の建立年)、即ち、タケヒト(神武)が長髄彦に苦戦を強いられ【ΙΑΩ】(ヤオ=八尾市の語元)へ戦を引いた年(ヲシヱ/戊午・ツチノヱウマ)に当たる。

 

…此の時のゲマトリア数値言語【イサワ=1407】(長髄彦・討伐5年目=紀元前3年に当る/黄金の鵜が現れる/鳶=トビの意ではありません)の秘儀数価に対し、その後年(垂仁天皇26年)、サルタ彦(Qof・コフ=猿/100+1407=1507)を蘇らせて言う処の…「ミモスソの、サコクシロ内、アラタメテ、アマテルカミの、内ツ宮」と記す。それは予定論(預言)的に記された秘密裏文言、つまり

預言的~「伊勢神宮・建立年数価」(BC3+在位通歴657=サコクシロ・660年)を用い予定通りに伊勢神宮が建立され、エゼキエルの預言が成就(finish)した事を称える内容となっている。

 

…此処で重要な事は、「カミ代のコヨミ=木読」(ミモロ年=50鈴木・300万で終焉)と、「ヒト代のコヨミ」(アスズ・カレンダ-/暫定的847年迄で終焉)とに分けられている事である。そのカミ代のカレンダ-【ミモロ=300万年】(エロヒムの御魂の居住値点)の語元は、倭語「スス=鈴」の語根文字に与えられたゲマトリア数値(50)を用い、意図的な「1鈴=6万年」単位が決まれば自ずと【300萬】(50鈴木×6万/カミ代終焉後の五十鈴姫の語元数値)と成る。然し、カミ代終焉後のカレンダ-は何故、「暫定的・847年・迄か?」。その答えはカカン(kami)ノン(420)テン(Δ/三角数10=YVD)・揃う時(1万年枠数値が揃う時)】(カミの教え=ワイタメ/420=秩序思想の成就)を意味表す文言にありました。

 

…此の最終的成就(finish)とは、「アメ(天)・2006/ノア死去年数価」-元初ゲマトリア文言数価「イサワ・1407」=「599」-「猿(Q・猿田彦の語元)数価100」=「ヰモツキアマノマサカキ/五百(数価500)継天真逆木数価・満499」(499+1507=2006)とする事にあった。つまり其のノア死去年数価「2006」を日本建国創建の【大枠数価・枠】として設定し、God(カミ・上の意)との接近文言「サコクシロ数価660」を年数として遡った数価「847」に対し、暫定的「天鈴暦の終焉年数価」 (1万年枠数値の頂点1160に接続成る)とする。   「370/天御中主】=「790/景行天皇・崩御年」(天鈴カレンダ-847年迄で終焉する)と成る図式を言い表すを以て…【カカンノンテン・揃う時】と言う。つまり、皇歴年を組み込むアスズ(天鈴)カレンダ-の歴年数値は、【1万年枠・設定方式】を創案した時、既に抽出(此の事に付いては既に過去のブログで説明済み)されていたと言う事であります。★「カカンノンテン=1022」+477伊勢神宮建立=1499+ヤオ507=ノア昇天2006年。


…【イサワ】(1407)の数値と、猿田彦数値(100/伊勢に関連する)の語元(語源の意ではありません)数値(極東方面へ移動してきた宗団の存在を示唆する言語)を加算(1507)するのはユダヤ教のテ-ゼ(命題)に関連し、大陽の町(ヘリオポリスに関連する名称…三重県/伊勢の語元はヰモヲセ=318/メルキゼデクテクスト・11QMelchに関連付けた伊勢神宮の語元数値)の存在を【日本人の聖書】(Bible/ホツマツタヱ&ミカサフミ文書)としての文書に明記する必要があったからである。従って、トヨスキヒメの生誕年(垂仁25年=103歳/秀真33章)に対しては、数値言語の「イモヲセ・318+236・カミの身丈数値=在位通歴554年」(在位通歴790-236-554/開化天皇在位通歴554年に当る)を用いて設定(在位通歴554年-70=484=雄略天皇・21年/AD477年-484=BC7年甲寅/長髄彦討伐開始年)されている。此の数値年(554年)は、千木数値と内接する値点(景行・崩御年/790)から「カミの身丈数値」を溯らせた数値を用い、「トヨスキ・姫」(14隙・姫)の誕生年として設定した。此の設定方式中から【カクヤヒメ】(伽具夜姫)物語の元点とする《ツキ(着)のカミ(上)》即ち、ヤマトヒメの母とする【ツキヒメ】(月姫・垂仁天皇の后/ツツキカバヰの月のカミ…36章)を出現させた。その意味する処は…「ヤマトヒメを誕生させた後に罷(死)れたツキ(月/790へ着く=尽きる)物語」…と成すスト-リ-を展開させる為であった。此のスト-リ-の元案を知っていた人(9世紀末頃~10世紀始め頃の人)の子孫によって作成されたのが、「紀貫之/源氏物語第十七帖・絵合」に言う【竹取物語】である。

 

…【日本人の聖書】(Bible=ホツマツタヱ&ミカサフミ文書)として構成する、その暫定的【アスズコヨミ】の歴年数値(天鈴暦/847年迄)の抽出方式は…「8575年(ノア迄の生涯年数値の合算)+2242(ギリシア語聖書洪水年)=1萬817+31(God=ALの数値)=1萬848-1萬枠数値=満847/アスズコヨミの終焉年)と成す計算式にあった。此の事の証明と成るのが【アメノミナカヌシ】(天御中主)の出現方式(過去のブログで説明済み)である。

 

…ちなみに【アメノミナカフシ】の元形は…「ヲヲン(古代エジプトの大陽の町の意)タケ(丈)、ヤモヨロトメチ(循環的ホツマ文字の終りを意味する数値/800万止めチ=千)、身の光(ヘリオス=ギリシア神話の太陽神/マクロプロソプスの顎髭から発せられる370の光=天御中主の語元数値)、元々明けの、アマ恵み」(三笠文・高間成アヤ)に言う【370】が天御中主の元形(370-5・座摩=365/天使・エノクに関連する)である。

 

…我が国の言語(倭語)に言う「ヤヲ(オ)ヨロ」とは、ユダヤの祭祀系レビ族が用いたカミの名称【ΙΑΩ=ヤオ】(ヤヲヨロ=318/エルサレムの王・メルキゼデクが祝福…創世記14・14~24)に関連する数値である。此の「ヤヲヨロ」名称はゲマトリア数値言語で構成されていて、その意味する処は、国家安泰的祭祀所の設置、即ち、「伊勢神宮の建立地域(伊勢)の語元」と同義語(イモヲセ→イモセ→イセ/伊勢)とするを以て、エルサレム神殿に関連付けられた国際的祭祀所として設置された。

 

…此の語元数値【318】(アブラハムの甥ロトを救出した聖なる人数)は、アブラハムがエルサレムの王であったメルキゼデクから祝福を受けた戦いに関連する。此の戦(ソドム地域とゴモラ地域でのロトの救出に成功)に勝って、それ迄のエルサレムの王であったメルキゼデクの祝福以降、ユダヤ民族は此のエルサレム地域をユダヤ民族の聖地とする事が許された。此の語元(語源の意ではありません)数値【318】を用いて造語(ヰモヲセ)し建立(在位通歴657年)したのか伊勢神宮である。そして、その最初の巫女としては「トヨスキ・姫」(14透・姫/垂仁天皇22年+3年=25年時・満102歳/翌103+在位通歴・満553=656は1年少ない)として、意図的に命名されたのは何かと言えば、基本的、伊勢神宮の建立年設定方式は…意図的に「創世記年から数えて【4640】(カミとタビデの数値)に合致させる事を前提に設定(垂仁天皇25年時・3910+31+天鈴暦・満712=4653年-14・ダビデの数値=4639/ダビデ数値に1年足らない)されていたからだった。従って、トヨスキ姫の巫女職は、そのスト-リ-に添って、【ヤマトヒメ】(垂仁天皇26年時は満14歳に当る)に変えられたとする物語が作成されたのである。つまり、最終的な答えとしては「垂仁天皇26年時は創世記年に関連付けた4654年」(3910+31+天鈴暦・満713=4654-ヤマトヒメ・満14歳=4640/大いなるタビデ数値の意)に成るように始めから計算して創作されていたと言う事です。従って、ダビデの数値(464×kamiの頭文字数値10=4640)と成るようにするには「14の数値を削減する必要」(4654-14=4640)があった。 

 

…伊勢の語意に言う「五百・背」(318と道義的数値…太占のヰモセ/500継ぎ天の真逆木/暫定的・天鈴暦の歴年数値に関連する)とは、「妹背」(イモセ/伊勢…イモヲセの略称)の語意に対する後付であるが、此の言語は「五百箇眞坂樹」(ヰモツギのマサカキ)を意味表す言語でもあった。

 

…倭語「ヨロ」と言う言語を倭語数値の「1万」(ヨロ)に結び付けているのは循環方式思想(10進法/60サイクル/四季&1年循環方式)に関連し、それは【天使・エノク書】(1万時代が巡って来て、彼らの罪の日数が満ちる迄…)に記されている意向を全うする考え方にあった。従って【1万年・枠】を設定するに当っては、先ず…「カミの数値・31」。そして「アダムに始まるノア迄の昇天値点・満2241」、「アダム~ノア迄の生涯年数値/満・8575」とを合算させて成る「合計・31+満2241+8575=1万847年」数値を導き出した。そして此の数値は【1万年・枠数値】と【暫定的天鈴暦年数値・847】に二分割した。

 

…【1萬年・枠】数値は、ト-ラ(モ-セ5書)に言う【BRASIΤ】(ベラシト/ミコトの語元数値=3910)、及び【エノク週年】(4900)とを合算した数値(満・8809)と【ダニエル書】(5・25)の日本語の起元文言数値(1191)、即ち「Mene,Mene,Tekel,U・pharsin」(メネ、メネ、テケル・ウ・パルシン/1191)とに二分割し、その双方の切断値点に対し【クムラン・大地震年】(ヘロデ王の第7年/紀元前31年)数値を当てて、【カミの顕現年】(God・manifest … ゴッド・マニフェスト)として定義した。此の定義付けがお施行されたとする証拠とする証拠の一つが、【幻の西暦1年目】(神武天皇・即位1年目/辛酉・58)の設定方式である。此の設定方式は、後年(AD6世紀前半頃)、ロ-マで施行され現在に言う処の西暦1年(Anno Domini=AD1年)設定方式(コンプトゥス・パスカリス設定方式/AD562年)に関連しています。

 

…要約すれば…「伊勢の語元数値/五百継・天の真逆木始点数値・満・499」+「イサワの語元数値・1407」+「猿田彦」(100)=「2006」(ノア・死去年数値)…と成す創世記(ト-ラ/モ-セ5書)のアダムから続く「ノア・生涯年数値」(2006年)を意味表す数値を用いて設定した。然し、此の数値の設定に当っては其れ以前、既に「ノアの昇天年数値・2242」が、【72人訳・ギリシア語訳聖書】 (ト-ラ/モ-セ5書を翻訳)の中に取り込まれていた事を知る必要がある。此の【ギリシア語訳・聖書】(BC3世紀中頃~BC1世紀間に徐々に翻訳・改訂されたとされる)には、ゲマトリア(Gematria/文字&数値転換・解読方式)が組み込まれていて、此の影響で【新約聖書】もゲマトリア数値(666=獣の数値)が取り込まれているのである。

 

…ノア死去迄の合計数値(2006)を始点として過去年へ「満・846年」(暫定的・天鈴歴年)溯れば…「千木の語元数値・1160+カミの顕現数値・31=1191・日本語の起元数値」に辿り着く。此の到達値点は、「クムラン・大地震年」(BC31年/創世記・3910を意味表す)を境界年として二分割して成る「満・8810年」(3910+天使・エノク週年=8810)へと更なる過去年へ溯れば、天文学的「第5番目・獅子宮値点」へと辿り着き、「358/シロがくるであろう」(イエバ・シロ-/IBAShILH…創世記49・10)の文言を導き出した。

 

…此の一連的、【トヨスキ(14透)・姫】物語は、用意周到に計算されて後、【日本建国・創建史】として書かれた【1萬年・枠物語】であった。つまり、【ホツマツタヱ】と【ミカサフミ】(散逸書として発見されている)文書を構築するに当たり、その文書全体枠の骨組みを構築する必要から、新に造語した数値言語(単語)を造語して介在させたのである。その造語による介在数値(合計数はノア死去年・2006)とは…【ヰモツキアマノマサカキ】(満・499=五百継天真逆木/ホツマ・2章)+【イサワ】(ヘブル文字/1407)+【猿・去る】(モモ/100を以て人と成り蘇る)=【2006】であるが、此処で重要な事とは、ヘブル方形文字対応言語数値「サコクシ=660」(1507-サコクシロ=天鈴暦年数値847を抽出する)に対応する、「倭語・ゲマトリア方式」の存在を示唆する言語として【ココスト】(506+91+3=600)と言う文言が造語されたと言う事です。ちなみに此処に言う【トの教え】(ホツマ・3/17/21/23章)とは、【ワイタメ】(秀真伝2章)、即ち、【秩序】(ホツマ・ヤマト思想の教え)の事である。

 

…【2006】(ノア昇天年数値)を始点にして暫定的「天鈴暦年数値・満846」(ギリシア語訳聖書数値と完全数から導きだされた数値)を過去年へと溯れば千木の語元数値(1160/1万枠の頂点数値に当る)に辿り着く。此処(1萬年枠数値の始点値)から更に「千木の語元数(1160)」を過去へ溯れば、「神武天皇・即位元年」(幻の西暦1年目)と成る。此の値点から更に和歌の語元数値(AL=31)を溯れば【カミ=God・Manifest】(ゴッド・マニフェスト/紀元前31年)数値に辿り着く。此の値点が、先述に言う【日本語の始まり】に起因する処の…「Mene,Mene,Tekel,U・pharsin」(メネ、メネ、テケル・ウ・パルシン/ゲマトリア数値・1191=ダニエル書525)数値である。ちなみに…『古今和歌集』仮名序(紀貫之作成/延喜5年=AD905年奏上)に言う…「31文字ユダヤ教・エロヒムの頭文字)和歌は、鬼の心をも和らげる」等と記しているのは、此処の部分を意味表し文言である。

 

…エゼキエルの預言に従い極東方面に移動してきた人達。その【悔い改めの義】を全うしたクムラン宗団トップグループの人達(敬虔主義・先駆者の子孫達)の中で、特に祭祀グル-プのトップの人達(レビ族&サドク系部族)が居住地域と定めた地域に対し【ΙΑΩ】(ユダヤ教のカミの御名/八尾市の語元と成った)と命名した。此の地名の初出年時(ホツマ29章/戊午・紀元前3年)を以て、接近法数値(660/サコクシロ)文言を用い、【タコチ/1000=千】(倭語/千木の語元言語)と言う言語を造語し命名した。つまり、此の造語(サコクシロ)とは、「伊勢神宮・建立年設定を意味表す預言の言語」としての造語であった。

 

…従って、ヤマトヒメの遷宮、その最終値点地域(伊勢)に現れたとする【猿田彦】(コストの道=2006/ノア期大洪水年数値に関連する)の登場は、「ペシェル」(ヘブル語/接近法数値・660年を過去へ溯れば竹渕神社縁起内容に辿り着く)の語意に基づく死後の世界からの登場(敬虔思想/霊魂不滅・説)を意味表す。ちなみに、それは画像(下側/境内の石碑文字)に言う、我が国最初の公的祭祀所と定義された地域名を冠する【タコチ(竹渕)・神社】(ΙΑΩ現在は八尾市の語元と成っている)地域で行われた祭祀値点年(紀元前3年)から予定論(預言)的「サコクシロ=660」数値を用いての登場である。つまり、【タコチ】(秘儀数値・千/タコ&チ=1000の意)の語意を以て【チキ】(千木)数値(1000-49ヨベル年=在位通歴657年)に関連付け、その【タコチ】言語の造語時代としては「紀元前3年」(ヲシヱ・天鈴暦55年=戊午)の時として、枠物語の『ホツマツタヱ』(散逸書・ミカサフミ)文書に書き記るされたのである。

 

…猿田彦(起元前数年前頃)は、枚岡宮(現在の東大阪市)の「ココチ・春日」(天児屋の父/ツワモノ主)、に会いに来て、その最期を看取った後、自分(猿田彦)も水に溺れて死んだとされる。然し、此の物語は、「ココチ」(ギリシア文字による置き千木の語元数値)と、その息子「アメ(400)のコ(600)屋根」(ヘブル語/400+600=置千木の語元数値)に関連付けて成る【ΙΑΩ=ヤオ】のアラヒト(レビ族&さドク系の大祭司宗団氏族)達が造語した【タコチ】(倭語・千木の語元言語)地域に関連付ける為に創作された後付的な挿話である。

 

…話を伊勢神宮に戻せば、巫女【ヤマトヒメ】(満・14歳/その前のトヨスキ姫は満・103歳で1年不足/千-104-660=236/身丈柱の寸法値)を用い、巫女職は【トヨスキ・姫】(14透き姫)から引き継いたヤマト姫(満14歳)が、ホツマ文書の作者の意図(4654-14・トヨ透き=4640)する処を全うした事に成る。ちなみに、此処の部分の問題提起は、「カカンノンテン」(28章/36章)と、それ以前に言う…「マト(的)の教えにカカン(カミの意)して、ノン(420/ワイタメ・秩序の意)アワ(天地)クニ(カミの国)は、デン(濁る言語=10/Δ=デカの頭文字)ヤマト(58×10=580+420=千/完成)」(ホツマ・5章)と言う文言にあった。

 

…「ホツマツタヱは、全て清音であり濁音は無し」…と言う人が居ますが、それは間違いです。つまり、「夜はガと濁る」(ホツマ・17章)と記すが如く、「デンヤマト」とは、ギリシア文字の【デカ】(Δέκα)の意であり、此の語意を以てすれば後の文脈(ヤマトの語元に関連する)が繫がります。又、何故、その【数値・10】(デカ)を意味表す言語の頭文字は【Δ】(第4番目文字/デルタ)なのかと言えば、ヘブル語の【数値・4】(ダレット=Dalet・隠語としては数値10を意味表す事が出来る/三角数・10に当る)の三角数に関連する 。

 

…此の文言(サコクシロ)の行き着く処は…「美しきスス(五十鈴/カミ代の終焉年)、ワイキタチ(Υ木立=創世記の知恵の木&生命の木の意)、カカン(カミ)ノンテン、トキマチテ(伊勢神宮建立年/在位通歴657+3戊午=660に当る)、ミチアラワセ(知恵・千-660=340/申命記6・4=Shemaイスラエル…聞けイスラエル)ト」(ホツマ・36章)…と言う文言の【セム】、即ち…イスラエル民族の始祖とされる【シェム】(セム語の始祖)の事である。

 

…我が国の「日ノ本・カミ代の物語」(日本開闢物語以降の物語)が作成されたのは、3世紀~4世紀頃の事である。その創作思想は【日本人の聖書】(Bible)(ホツマツタヱ&ミカサフミ文書)としての性格を与える為であった。尚、強いて言えば、祖国ユダヤ民族の歴年数値に倭国の歴年数値を接続する必要があったからである。それで【1万年・枠物語】の歴年数値を設定するに当って、初期的文書【ギリシア語訳・聖書】の「ノア・昇天値点=2242年」数値を基点とし、ミタケハシラ数値(236)を介し辿り着く「ノア・死去年=2006」数値を取り込み【千年枠・物語】の頂点数値(1160/千木の頂点数値)に接続させた。そして、此の値点からフトマニ(太占)図の中心に設置した【アウワ】(三位一体カミ)を用い【アメノミナカヌシ】(天御中主)と定義(ウマシアシカイヒコチカミ・三笠文/国常立と同義語)し、出現させるを以て…「タケヒト(神武天皇)~ヲシロワケ(景行天皇)迄の在位通歴・790年間の枠数値」(皇歴年・枠数値)…として分離させ、「フトマニ・数値」(210を介在させるを以て、【千年・枠物語】(日本人の聖書)的に皇歴年枠物語(ホツマ/ミカサフミ文書)が作成されました。ちなみに、初期的文書(フルコトフミ)が「ホツマ・ミカサ」文書として書き変えられたのは、ミマキイリヒコ(崇神天皇)即位年(AD340年)以降(AD4世紀中頃以降)の事である。

…上記画像(下の写真)は…八尾市の【竹渕(タコチ)神社】の境内ですが、此処はタケヒト(神武)が長髄彦の追撃から身を隠した地域に当たります。その戦事の時代としては、紀元前3年として認識(捕囚解放後/第2神殿が再建された年から536年目/八尾の語元数値に当る)して設定されています。此の年代時としては、「八尾の初出年」(紀元前3年)数値を認識して設定し、ホツマツタヱ文書に明記したのは、「クムラン大地震年から29年目」(507+29=536)として認識していた事を意味表すと共に、又、レビ族がヤハウエ(YHVH=God)の別称として用いていた【ΙΑΩ】(ヤオ)の呼称を意識していた事の事を意味表している。此の事を以て、後年、祖国(古代ユダヤ国)の歴年史数値に対し、最終的に接近法数値(サコクシロ/660)を駆使して過去年へと溯り、【Jerusalem・第2神殿】陥落の翌年(景行天皇・即位元年/AD71年)の年代に接続させる事に成功しました。従って、此の証拠と成る古文献も探し出しました。それは【太神宮諸雑事記第一】にありました。

 

…【日本人の聖書】(Japanese Bible)『ホツマツタヱ』。その【ホツマ】の語元(語源の意ではありません)は、元初に於けるJerusalem(イェルサレム)の元初の祭祀者メルキゼデク(シャレムの王)からアブラハムが祭祀権を習得(選ばれた者=318人でアブラハムの甥ロトを救出した事に関連/創世記14・14~24)した事に関連する。その選ばれた者の人数数値(318)を語元として【イサワ】(天照大神の幼少期~伊勢神宮に祀られる迄の期間宮)の名称が造語されました。つまり倭語ゲマトリア言語に言う【ホツマ】とは…「ホツ(342)+マ(318・座)=660(サコクシロ)」…と言う図式で成り立っている。従って、「カンンノンテン・揃う時」(ホツマ36章/猿田彦…サコクシロウチの語意は伊勢の内宮の意/ミモスソの、サコクシロ内、アラタメテ、アマテルカミの、内ツ宮/垂仁天皇26年=在位通歴・657年)と記されています。

 

…伊勢神宮に祀られる迄の遷宮期に関する「竹の宮」。その「竹」とは、【タコチ=1000】(千木の語元数値/長髄彦討伐5年目戊午=紀元前3年を初出とする八尾市竹渕の地域名)の語意(タコ=高・竹・丈…等)を語元とする名称である。預言的、その語元値点(BC3年)から「サコクシロ・660年」値点を経た時を以て最初の【伊勢内宮・祭祀年】(垂仁天皇25年・暫定的在位通歴656年/翌657年・豊受カミを勧請=御親カミ・セムのゲマトリア数値340&660と友愛数を構成する)として設定した。何故、此の在位通歴年が最初の伊勢神宮祭祀年値として選ばれたのかと言えば、それは、【第一回・式年遷宮年】(此の年以降も、遙拝に関連する持統女帝が取り仕切る以前迄は正確な式年間隔年を維持し式年遷宮が施行されていた)に対し、古代ギリシアのユ-クリッドが名付けた【完全数・496】(現在に言う超弦理論/古代から宇宙の法則に関連すると考えられていた数値/幻の西暦496年に合致させる)に【ヤマト・歴年史数値】を合致(19年/太陰太陽暦に関連する)させる為であった。従って、【フルコトシルシ/古事記】(神武天皇即位時の文献)を新に書き換えた『ホツマツタヱ』文書に在っては、【千年枠・物語】(タコチ・数値)として編纂するに当り、此の【完全数496】を取り込み二分割(1000-496=504)した。そして、その片方の数値を用いて「第9代・ワカヤマトネコヒコ」(後に言う開化天皇)の即位年(在位60年=兄弟循環数値を採用)として設定しました。

 

下記【追記】(平成30年=2018/07/17・火曜)

 

…後漢の人達が我が国に対し【倭】と呼んだのは、捕囚帰還時に帰還せず、四川省付近を居住地としていた失われれたイスラエル10支族の人達(地元の倭人に似ていた)が我が国に帰化していたからである。尚、此の当時の我が国は、未だ、「レビ氏族の移動祭祀方式」を用いる「小アガタ群体制」(九州・32アガタ成立…四国・24アガタ/東北~本州・100アガタ県)が維持されていた。それが、固定的【社殿・祭祀方式】の「ヤマト・小国群体制」に移行したのは、「1万年・枠」数値を分割(入れ子構造)した「千木数値1160・枠」(1191-31=1160-千木の語根数値160=1000/千)内の「1000年・枠」の中に「ヤマト・皇歴年史」を書き込む体制が整ったからであった。従って、その最初の「ヤマト・王」の御名は…「オオヤマト・スキトモ」…と言い、その崩御年は「西暦184年」(在位通歴年も同じ184年と成る)である。つまり、その語元は…「社殿・65+ス・91+キ・28=184+友・236=Yタメ・420+ヤマト・580=千木の語元数値・1000/千」とするゲマトリア数値であった。

 

 

…(八尾情報・ランキング)↓ ↓ ↓ ←  (クリック)…宜しく…

 

…          にほんブログ村 地域生活(街) 関西ブログ 八尾情報へ
               にほんブログ村

          にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ
           にほんブログ村