佐賀県山城伊万里市立【山城西小学校・運動会の歌】(楽しい朝の替え歌だった/歌詞在り) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!





★此の動画のURL…( ↓ ↓ ↓ドラッグ & クリックして検索)…

…  https://www.youtube.com/watch?v=WRcDAp1tTtY  …

★…三谷日出夫氏(YouTubeの掲載者)から、此のブログでの【楽しい朝】動画の掲載許可(「ありがとうございます。一人でも多くの方に聞いてもらってください」)を頂きました。



…空は青空、希望の朝だ、この肩くんで、この腕くんで、花も咲いてる、丘の道へ、僕らは、みんなみんな、元気に行こう、足並み、そろえて、ラランと行こう。


…鐘が鳴る鳴る、明るい朝だ、歌を歌って、この胸はって、雲も呼んでる、丘のかなた、僕らは みんなみんな、元気に行こう、朝露、 踏み踏み、ラランと行こう。


…鳥が鳴いてる、楽しい朝だ、小馬もひずめ、パカパカ鳴らす、風もそよかに、吹いてくるよ、僕らは、みんなみんな、元気に行こう、お日さま、あびて、ラランと行こう。

…此の歌の正式な歌詞は知りませんでしたが、初めて自分の小学1年生(佐賀県伊万里市立・山代西小学校/昭和29年=1954年・秋)の運動会の時の事でした、それは、此の小学校の運動会のテーマソング的に運動会(特に駆けっこや騎馬戦等の競技の時)が終る迄、定期的に此の音楽のリズムで「山代西小学校」の応援歌的な歌詞で以て声高くスピーカーから流されていました。その時の歌詞とは…

♪…空は青空、心も晴れて、日頃の力、見せるは今ぞ、高鳴る血潮に、胸は鳴る、走れよ、勝て勝て、元気で行こう、「山代西校」(ヤ-マシーロ-ニシ-コ-)、バンザイ、バンザイ…

…と、一番の歌詞だけですが覚えています。後、二番か三番歌詞の出だしの処では、♪「軽いリズムに、足並みそろえ…」と歌っていました…

…私が小学校3年の時(昭和31年=西暦1956年)は教室の数が足らず校舎が造成されました。此の時、私は3組だったので新校舎に入りました。担任(男性)は「手品」(テジナ)が上手な吉田先生だった。然し、「向山炭坑」が廃坑(画像/廃坑後)となって生徒数が激減した為、現在は、それ迄の全教室は取り壊され、少数の生徒に合わせた校舎として建て替えられています。

…私が通っていた頃は無かった小学校の校門(画像/洋風の門)。その左側の「銀杏の木」は、私が母に連れられ小学校1年の入学式に行き、校舎に向かう急勾配の泥坂道を登り切った処に植わっていて、その泥坂道を登り着いて最初に母が言った言葉は、その「銀杏の木」の事でした。ちなみに…銀杏の木を見ながら木を見上げながら「(銀杏木)未だ在った」と言う言葉でした。それで、此の時に「銀杏の木」の名前を覚えました。

……下記【追記】(令和元年=2019/05/08・火曜)

…今から64年前(昭和35年=1960年)の佐賀県伊万里市立山代西小学校「運動場」と「校舎」(玄関側)の写真を【追記】的に投稿しました。右端(南側)から二つ目教室が、小学1年2組(担任は女性の馬渡先生/昭和29年4月入学)当時の教室です。そして入学した当日に割り当てられた教室に入ってみると、既に教室の中では「番長争い」が始まっていました…

…初めての運動会(小学1年生)の時、何時も流れていた「♪ 空は青空、心も晴れて~」(【楽しい朝】の歌の替え歌だった事を知ったのは55歳頃に買った唱歌集カセットテープに入っていた此の曲を始めて知っ時でした)と言う歌詞とメロディーは山代西小学校の歌だと思っていました。そして、その小学1年生時の競技は50m競争と障害物競走(服を頭から被り袖の穴から前を見て走る)であった。此の障害物競走の走り方を先生が教えていたのだが私は説明を良く聞いていなかったので、服を被った瞬間、廻りが全く見えず、運動場を私1人だけウロチョロした事を覚えています。そして遊技では「♪ 母さん盥(タライ)でお洗濯、お水に映ったお日様が~」(洗濯の歌)と言う歌詞に合わせて踊りました。もう1つは「♪ あのね、あのね、ホッペちゃんはね、風に吹かれて膨らんで、あっち行ってふわり、こっち行ってふわり、ふうわりふわりと飛んでいく、飛んで行く」(現在、此の歌詞に似た歌が京都大学産業学部・上加茂学舎に伝わるとされています)。

…此の遊技の踊りを練習で習った事を家に帰ってカーチャン(母)に言うと、その晩ご飯頃の時に隣(壁に戸が付けられていた)のオババ(父の母)に披露させられました。又、その年度の学芸会時に歌う曲は、お父さんやお爺さん達も良く知っているからと先生が言っていたので、その歌も、家に帰った時、オババの前で歌わされました。ちなみに、その「里の秋」(作詞・斎藤信夫/作曲・海沼實)の歌が戦争(大東亜戦争)と関連していた歌と言う事は認識したのは、私が大人になってからでもズート後になってからでした…

…此の西小学校の校歌(♪ 伊万里の海の朝風に、心も清く晴れ晴れと~)は、当時の朝礼の時(毎週月曜)に何時も歌わされ、うんざりしていたが、今は懐かしい思い出の歌の1つと成っています…







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