『日本建国史』№①(脱ユダヤ教の命題&伊勢神宮建立設定起点年) | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

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…標題【伊勢神宮建立設定数値年】は【ノア洪水起点年】に起因する http://amba.to/1PGTAy2

…標題
『日本建国史』№①脱ユダヤ教の命題&伊勢神宮・建立設定起点年に言う「伊勢神宮・建立設定起点年」が、何故?「脱・ユダヤ教の命題」(過去ブログで説明済み)だったのかと言えば、其れは、【ユダヤ教・神学】(カミ…YHVHは1つ・神殿は1つ)に起因する。然るに、過去ブログ(エズラ&オニヤス大祭司に付いての説明http://ameblo.jp/erusaremu464/entry-11902771711.html…)を紐どけば、ユダヤ民族の大祭祀で在ったオニアス四世は、エジプトへの亡命ヨナタンの時・前150年頃を余儀なくされた。此の時以降、Jerusalem(イェルサレム)には「サドク系・大祭祀」不在時代に突入する事に成る。然して前2世紀前半中頃)、下級祭司系マカバイに追われたユダヤ教大祭司ニアス四世は、亡命地エジプトの太陽の町・On を祀っていた)に於いて、イェルサレム(Jerusalem神殿を摸倣した新たな神殿を建てたので在った。だが、此の異邦の地にユダヤ教の神殿を立てる行為はユダヤ教の【these…テーゼ】(命題)に反する行為で在った。然して、異邦の地でユダヤ教の神殿建立を可能と考えたのは、大祭司(サドク系)だったからかも知れないが、又、此れには歴然とした歴史観に裏打ちされての行為だったのだ。つまり、此の神殿建設を可能とする根拠を大祭司オニアス四世は見付けていたので在った。つまり、其のエジプトの地に神殿、及び、祭壇を置く事を可能と考えたのは、古代エジプトの、其の地には、【On 】(オン…太陽神&太陽の町)が祀られていたからで在る。つまり、其れは「イザや書19・18-19」の預言 (その日、エジプトの国には、カナン語を話し、万軍の主に誓いを建てる5つの町が起こり…)を引いたからで在った。  

其れから凡そ120年後。ヘロデ王の第7年(前31年)にユダヤ地域を襲った巨大地震に因って、【悔い改め・秘儀教義宗団】(ダマスコ契約宗団)者達が拠点としていたクムラン地域の居住地も破壊され、以後、破壊された此の居住地は棄てられ、放棄(ドゥ・ブォ-、ローランド説)されていたので在る。然して、此の史実が判明したのは、其の巨大地震年から凡そ2000年程の歳月を経て、【死海(遺跡)・文書】(巻物・1947年発見)が発見された事に因って、初めて世間に知られる事と成った。従って、此の居住地で活動していた【ダマスコ契約・秘儀教義宗団】者達の、其の後の事は定かでは在りません。然るに、【死海(遺跡)・文書】発見に因って、其の発見の年から約2000年程過去(前31年)に遡った頃のユダヤ史に於いては、「歴史的闇の時代」(紀元前後・1世紀頃)とされていたのだが、此の文書(巻物)の発見に因って、其の闇の部分に光が当てられる事と成る。

…『現存・日本書記』(
刪定書的偽書)の巻頭成句(日之本・開闢神話)の内容は、ユダヤ民族の聖典で在る処の【創世記】(旧約聖書)に言う劈頭成句(世界・開闢神話)の焼き直し版で在る。其の根拠と成るのは、『日本書紀』記載、開闢神話に於ける元初神の御名に付された尊称語【ミコト】(命・尊)の語元に在る。

…然るに、『死海(遺跡)・文書』発見から58年程の年数を経て、其の文書解読が進んだ結果の翻訳本が近年出版されていて、今は近所の図書館等でも読む事が出来ますが、其の中の『死海文書のすべて』(ジェームス・C・ブァンダーカム著)に記述されている文中に、「神武天皇・東征物語」の原典的文面を見出しました。従って、其の文面の数値内容を考察し、CAD(製図作成・キャド)を用いて図表として取り込んだ結果、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)記載…「日之本開闢神話から景行天皇崩御年」…迄。尚、此の文書の原典書に当る『秀真伝』(姉妹書・三笠文)に標題された「タケヒト(神武)・ヤマトウチノアヤ」(第29章)の中に記述されている数値の用い方が、全く、『死海文書のすべて』の当文面数値の用い方と同等の用い方で在る事を、図表の作成を以て、既に特定済みで在る。

…「我が国固有の民俗宗教」とされる神道。其の、神道の神を祀(
)る社の屋根に設置されている【千木】(置・千木)の形状は、ギリシア文字【Χ】キ-の字形が元形で在る。然るに、此の【千木】の語元を解明するに至っては、【死海(遺跡)文書】が発見された年から、遥か昔に遡る事約2000年程、即ち、紀元前後頃に書かれた聖書写本の一部(断片)が、其のクムラン地域から既に発見されていた。然るに、其の断片に記されていた記述文中に用いられていた或文字の用い方と、我が国の神社の社に設置された【千木】(置・千木)に対する呼称(名称)方式が一致している事を筆者は既に見出しています。

…以上の件に於ける結論と致しましては、「前31年・クムラン巨大地震発生」に伴い、其の居住地が破壊されて以降、其の住民達の行方は定かでないとされる。然し、其の地からは遥か極東に位置する我が日本国の建国史、及び、「日本語の始まり」に付いて研究する事に因って、つまり、其れは…《【チギ】(千木)の語元究明》…を追求する事に因って、『日本建国史』の解明へと繋がった次第で在ります。然るに、【Qumran Sect】(
クムラン・秘儀宗団)の、少なくとも、其の宗団のトップグループの人達は極東方面(エゼキエル書に影響を受けている)に移動したので在る。早い話が、我が日本国(ヤマト&ホツマクニ)を創建(建国)したのは、此処に言う【クムラン・秘儀宗団】の人達で在った。


…【クムラン・秘儀宗団】の前身は、「第2回バビロン捕囚」(前587年)頃から預言活動を開始したエゼキエルの教え、つまり、「悔い改め教義の410年間」(390年+20年間…前177年頃迄)を、忠実的に実行した人達で在った。従って、先述に言う巨大地震発生迄の「約556年間」(410+巨大地震迄の146年間)にも及ぶ時の経過に至っても、尚、「毎日・毎月・毎年の年中行事」(秘儀教義の決まり事)等の確認作業は怠りなく施行していた可能性が高い事が考えられる。其の証拠と成るのが、我が日本国の【国史大系書】として纏められている『現存・日本書記』記載、「歴年通歴(通暦)年・数値」で在ります。
以上…今日は【スーパームーン・月食】(
赤い月)の日(33年ぶり?…去年も見た記憶在り)に当たっていた。其の昔、ユダヤ民族のJerusalem(イェルサレム)神殿陥落(A,D70年)の時も【赤い月】だったとか…。


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