『日本建国史』№2【伊勢神宮の語元】(ヰモ・500)に付いて… | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…前回のブログが4000字オーバーの為、保存不可と成る。それで、【追記】文を此処に貼り付け、其の続きと致します。前ブログのURL脱ユダヤ教の命題&伊勢神宮建立設定起点年)⇒ http://ln.is/ameblo.jp/erusaremu4/AXyXn ← (クリック・検索)。

…古代ユダヤ民族の第2神殿陥落、つまり、「Jerusalem(
イェルサレム)陥落(A,D70)」(赤い月の日・月食の史実を、遥か、極東の島(現在に言う日本列)へ移動し、新たな【太陽思想・国】(奴隷解放・思想を創建した【クムラン秘儀教義宗団】の子孫達が、此の史実を知る。以て、再度、【日本建国史】、つまり、大物主文書(フルゴトフミ←オオモノヌシ文書)を下地として編輯し、新たな成る【ホツマツタヱ】(秀真伝)&【ミカサフミ】(三笠文)と標題する文書を完成させました。然るに其のフルゴトフミ(古事記)が書き換えられれる切っ掛けと成る理由に付いては
『秀真伝』(ホツマツタヱ)文書の「ミマキイリヒコ・条」に記されています。尚、此処の文面を考察すれば、「第10代・開化天皇」系譜と、「第11代・崇神天皇」系譜とは繋がっていない事が解ります。此の事は何を意味するかと言えば、其れは【ユダヤ教・テーゼ】に対する解決策の一貫として創作された文面で在りました。つまり其れは、ユダヤ民族以外の地域に、On】(太陽神…存在の意を祀る事への前章的意味合いを示唆していたので在りました。然るに、書き換えられた新た成る文書が意図する処はカミハヰモセノ ミチヒラク(上は、500セの道開開く…秀真13章に記載)と記す部分が当を得ています。つまり、此の文書の神話に記す処の国譲り戦争の結果、【天照大神】を祀()る勢力の人達が、各地の国々の統治権を得る処と成りました。

此の書き換えの目的は、【ヤマト(日本)・建国史】に於ける、其の創建史的な起点年(後に言う神武天皇即位1年目)に対する明確化。及び、【古代・ユダヤ暦】(創世記期・起点年)に対し、「ヤマト王権…歴代王・通歴年」数値を合致させる為で在りました。其の証拠と成るのが【伊勢神宮】の存在です。つまり、此の伊勢神宮建立年(垂仁天皇25~26年)は、現在に言う『旧約聖書』の【創世記】(旧約聖書)に記されている「ノア・大洪水年」(満1656年)数値が当てられていて、其の意味する処は、【大洪水阻止祈禱文版・設置年】(ヨベル書に記載
千木の語元に関連にも合致させる為で在りました。

…下記【追記】(2015/平成27年10月2日・金曜)…
…因みに【パクス・ロマーナ】(ラテン語・ Pax Romana…パークスとは、ローマ神話に言う秩序の神とされる)に言う【PΧ】(平和の語元)とは、長母音の省略字()で在るとされるが、其れは、時の皇帝アウグストゥス(誕生B,C63年9月23日誕生~A,D14年8月19日誕生日少し前に死去…満76歳)が設けた【祭壇…アラ・パキス】(Ara Pacis…紀元前9年1月30日に奉献)。つまり、其の祭祀方式等は、ベルガモン王国(前133年)から譲り受けた方式の模倣(pack)で在りましたる。尚、其のベルガモンの祭祀方式は、古代バビロニアの祭祀方式が採用されていて、魔除けとしては、「1~36迄の加算数値」(666)が。或一説によると「魔除け数字…・黄道帯36神数字」(111の各列の数字を足すと666)の数字(バビロニア・黄道帯思想)が用いられていたとされています。因みに、「アラパキ≒ALPX=456」(456+太占210=666)と成る。 

…日本史に於いては「古代・先史」的な時代区分に当るが、其の『秀真伝』(姉妹書・三笠文)記載の【日之本・神話】年代を記す最初の「スズキコヨミ」(鈴木暦)は、「神話年間300萬年迄」(ミモロ年)の枠として設定された。尚、此のコヨミの後を引き継ぐ新たなコヨミを「アスズコヨミ」(天鈴暦)と命名し、此れも、予め【秘儀数値】を以て枠設定されていて、更に、【完全数】 を以て二分割している。其の二分割した枠中に「フルゴトフミ」(大物主のノコシフミ)を書き直した文書を以て歴代王の在位年に小分割し、【秘儀数値】(26&714)を用いて「伊勢神宮建立年」として組み込んだ。然して、此の「714」と成す数値は、大枠(神代枠と人皇枠を合わせて1萬1千年)を設定した時点で、既に配置する位置が決まっていたので在りました。つまり、「人皇枠・在位通歴790年」の枠に
組み入れる事を以て「714」と成す数値が生まれたと言う事で在ります。

…然るに、此の天鈴暦の役割は、「日之本神話」から「人皇歴年」に繋ぐ役割を担うと共に、【ユダヤ・創世記年】に合致させるのが目的で在りました。換言すれば、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)が創作される時点で、既に、枠数値は決められていて、此の枠数値に関する記述は、『秀真伝』文書の中の至る所に鏤められています。其の中に在って、其の、大枠の存在を示唆する記述としては、「秀真伝18章・オノコロトマジナウノアヤ」に在る。然して
、早い話が、史実的文書(後漢書や三国志等)に照らし合わせれば、『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書が書き換えられ、最終的に『秀真伝』文書が完成したのは、5世紀中頃(武内宿禰に関連)と考える事が出来ます。其の中の神話の舞台と成った時代背景は、「1世紀から4世紀中(仁徳天皇50年)頃」の出来事に在って、其の当時の事が【ヤマト(日本)・神話】の中に取り込まれました。其の神話の中の【八岐大蛇・神話】に関しては、【卑弥呼】世襲足姫)の時代背景(秀真伝…第29章~第31章)が取り込まれています。 

…以上の件を以て、此処での問題は、何故? 『秀真伝』(姉妹書・三笠文)文書の巻頭文書と、『現存・日本書記』(刪定書的偽書)との、其の双方の「巻頭成句」記述内容」とが異なっているのか?…と言う事に在りますが、此の件に関しては、『秀真伝』文書の序文に其の説明が書かれています。つまり、初期的文書は『現存・日本書記』(刪定書的偽書)の巻頭成句的な文面だったのだが、『秀真伝』の再度の書き換えに在っては、一転し、「イザナギ&イザナミの国生物語」に於いて最初に生まれたと成す「ヒルコヒメ・物語」の文面に替えられたと言う事です。では、何故?…【逸書・日本紀】(紀←ギと読む)の巻頭文書(聖句)が復活したのかと言えば、過去的文書の保管、及び管理(オオキミ氏族の管理文書?)が成されていたされ「オオキミ」(大王)氏族が住していた大津の「大津・シノミヤ」(滋賀県)が、中大兄皇子(後の天智天皇)に占拠され、其処に保管されていた宝物的文書(創世記・巻物)等が相手(クーデター的政権簒奪者)の手中に取り込まれたからで在りました。 


…此の続きは後日と致します…

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