【八尾(市)の語元解明】&【際会=by Chance】 | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

…此のブログのテーマ(『ハマボウ(黄槿)の花の下で』より)の、【ハマボウ(黄槿)の花】とは、沖縄の【ユウナの花】(大黄槿の花)と同種的、【塩生植物】(絶滅危惧種指定)の名称で在った。其の、【ユウナの花】は、【秋篠宮文仁親王第二女子・佳子(カコ)内親王様】の【お印として認定された事を、当時の「テレビ・ニュース」のアナウンサーの人が言っていた時、私は聞き漏らさず聴いていて、フト、テレビの画面に目を向けると、彼の…「懐かしい花の画像」…が映し出されていました。然し、一瞬で、其の花の画像は、テレビの画面から、消え去りました。然し、私は、確と、確認しました。何故かと言いますと、其の花の形(葵科)、色(深紅の花弁に黄色い花びら)に於いては、私にとって、つまり、私の運命を確定付けた…「思い出の花」…だったからで在る。従って…後日、最寄りの羽曳野市の図書館こ行ったついでに、植物図鑑等を検索して調べた処、やはり、私の「思い出の花」と、沖縄の「ユウナの花」とは、同種的な【塩生植物】の花でした。

…『ハマボウ(黄槿)の花の下で』(テーマ)。此の花に始まる私の運命的岐路、其の経緯に付いては、既に、別ブログ(ブクログのパブ-・ http://erusaremu4654.jugem.jp/?eid=2  ←ドラッグして検索)に記載済みなので、此処での詳細的な説明は省かせて頂きます。

…此のブログの標題【際会=by Chance・バイチャンスとは、結果的に言えば後付に成りますが、其の彼女との出会いの経緯(昭和53年・西暦1978年)に於ける、或日の出来事を以て、其の予兆を確と受け取る事が出来ました。其れは、「インナートリップの旅」(自分探しの旅)を決断した処に在りました。其の「自分探しの旅」の最初の試練(昭和50年から3年後)に出くわした事が、結果的に言えば近道(塞翁が馬此れも成り行きだと運命に任せる事を考えた)に成っていた。そして其の32年後(平成22・2010年)、私は【世界暦】、即ち、現在に言う西暦(六世紀に設定され過去に遡った歴年で在る)の、実際的【メシア・来臨起点年】(元初・暦年開始設定思想)を発見する事が出来た次第で在ります。此の暁を以て、「彼の人(和美さん)は私に取っての【女神】だった」と、ハッキリ認識したので在ります。…然し、其の予兆を感じたのは、其の出会(夏頃)いの翌年の、桜の季節を迎えた或日の事で在りました。

…始めて彼女(19歳)と出会って、其の、最初の「桜の季節」の出来事とは、然して、其の、少し前の出来事に遡れば、私(30歳)は、飲酒運転で、橋(都塚付近・旧ヤマト川)の欄干に車を当て、警察に留置(土曜日~月曜日の午前中迄の3日間)されました。そして2日後の月曜日、手錠、縛り縄の格好で警察の車で、裁判所を経由し、罰金を払って釈放されました。其の、拘留中に於ける相部屋の人(老人常連的な前科者)が言うには、【王将餃子】と言う、新たな戦略を有す店が現れ、其の凄さの評判話(設定時間内の大食い成功者に対し無料と言う宣伝話)を、回りの拘留者達と大きな声で会話をしていました。其の拘留からの釈放後(一ヶ月程を経た或日の事)の事でした。何時ものように【ラブリー】へ行って、常連客で在った若い人達の会話の中で、【王将餃子】が近所の駅前に開店していると言う話で在りました。それで、其の話に興味を持って、私も、其の話の中に入ったので在りました。すると、其の彼女は、其の餃子の店に行こうと言い出しました。従って、此の店の若いお客(常連)さん達を誘って、味見と称し、其の餃子の店に行く事と成りました。其の店に行く道中に於いて、若い人達の雑談話の輪からは離れ、私は唯一人、其の少し先を歩いていた、其の時の事でした。、其の若い人達の輪から、小走りで走り寄って来て、私の横に並んで、其の餃子の店まで寄り添って歩いてくれました。其の寄り添って来てくれた瞬間的地点を、しっかり、認識すると共に、其処地点は、「彼の出来事は嘘では無かった」と言う事を、改めて認識した地点として記憶に止めなければ成らないと、咄嗟的に、私は、そう考えたので在りました。然るに、其の地点とは、川(旧・ヤマト川)の淵に咲く…「桜並木の花の下」(西側は某銀行の裏口が在った)に位置していました。然るに、此の瞬間、私に取って、彼女(店の常連人達は通称カンチャンと呼んでいました)は…「私のとっての女神で在る」…と、確と、認識すると共に、「自分探しの旅」(我がインナートリップの旅)の目的で在った、「彼の時の啓示の語意」(小学1年生時の或出来事を突き止

【銀行の側の桜並木】

める為、「自分探しの旅に邁進する決意を固めた基点地点として記憶に止めたので在りました。

【メシア・来臨起点年】(元初・暦年開始設定思想)…発見の意義を知ると言う事は、強いては、謎で在る処の【日本(ヤマト)建国史】、及び、【日本語の始まり】をも知る事となるので在ります。然して、尚、其の【メシア・来臨起点年設定思想】の、其の、解読の【鍵】(ソロモンの結び目を解くに値する)と成ったのが、【八尾市の語元】に在りました。

…以下【追記】(2015/03/18・水曜)…【八尾の初出】に対し、河内どんこう地方紙八尾文化協会)の或号(毎年数回発行)に因りますと、其の【八尾の初出】は、「我が国の中世頃」等との記述が在りました。然し、『日本書紀』以前の日本国の歴史書で在る『秀真伝』文書には、「タケヒト(後に言う神武天皇)東征」の記述文の中に…《地名【ヤオ】》…が記述されています。尚、河内どんこう発刊の最初頃、其の『秀真伝』の再発見(昭和41年)者で在る処の「松本善(ヨシ)之助氏」が、八尾市へ行かれております。其の時の投稿文が、
河内どんこう春・VOL 2・№2に記載され、尚、其の号(昭和52年5月号)の編輯後記として、「神武天皇が八尾に来られた」等と「松本善之助氏」が語ったとする談話に関する事も記載(5月23日に松本氏・八尾市に来られ将軍寺で本会々員と懇談会を開催した)されています。従って、『秀真伝』に…《地名【ヤオ】》…が記述されていると言う事は、其の時、其の懇談会参加されていた人達は聞いて知っていた事に成ります。

…【八尾の地名】…は、宇佐(一柱騰宮・あしひとつのあがりみや)を出発し、吉備(鉄器の生産地)で数年間程、戦の準備をした後、浪速から「ヤマアトカワ」(後に言う大和川)を遡る途中、戦陣を整えた場所に対し、且つ、作戦変更に際し、占いが行われた地の地名(後・久宝寺付近の川近く)として命名された呼称(名称)で在ります。然して、其の語意は、【ヤオのアラビト】に起因し、尚、「ミマキイリヒコ」(後の崇神天皇)の時として、ハツクニシラスミマキノヨ」(ミマキイリヒコ12年条に言うヤオ】の語意と同義語に在ると共に、【日本(ヤマト)国・創建思想基点】に言う、「ハツクニシラス」、即ち、八紘而為宇の語意に相当します。因みに、『日本書紀』記載の、「~然後兼六合以開都掩八紘而為宇、不亦可乎…儘国之奥區乎~」(神武即位前年3月条)に言う…「
六合以開都掩八紘而為宇」の、後兼六合以開都の意味は、後の崇神紀(『日本書紀』は『秀真伝』と同じ年代を記している)に記載されている「ハツクニシラス」を示唆した記述で在ります。

…然るに、現在用いている漢字表記に言う、【国家】と、及び、其の語意とは、【ヒノモト(日本)思想】極東の島の先住に対し)の統一を以て、始めて発する事が出来る用語で在ります。つまり、其の思想統一の、其の一貫として創作されたのが、『日本神話』(秀真伝・神話の部分)で在ります。従って、其の『日本神話』の創作を以て、始めて、今に言う【国家】と言う語意の表現が可能となるので在ります。要約すると、【神武天皇・即位元年】(幻の西暦1年)的、物語は、其の年代頃から始められた日本の国造に於いて、其の「ヒノモト思想の植え付け」も兼ねていて、其の思想の統一が、或程度成就(finish)した暁を以て発せられたのが、崇神紀に言う「ハツクニシラス」の語意で在ります。

…早い話が、武力を以て、先住民を制圧し…「【奴隷制度】的な国家の形成方式を避けた処」(奴隷制度の否定)…に、【ヤオの語元】語源の字ではない)が在ります。従って、此処に言う【ヒノモト思想】の統一、及び、言語(元始・ヤマトコトバ)の統一を以て、始めて発せられたのが「ハツクニシラスミマキノヨ」(肇国知らす崇神天皇の時代)と言う事で在って、尚、各地域に於ける国々の形成に至っては、幻の西暦1年目】(神武天皇・即位1年目頃から進められていたので在りました。

…此の、【年代・遡り紀年方式】に対する謎解きの【鍵】は、『日本書紀』の仁徳天皇紀(武内宿禰)、及び、雄略天皇紀(浦島)に在ります。然して、【八紘而為宇】に起因する「屋根を覆って家と成す」意は、其の語意の引用だけでは【国家】とは言い切れません。何故かと言えば、其の前に記載されている【六合】にこそ、【国】の語意が在るからです。では、【六合】の語意は何かと言えば、次の記号的形状【✡】ヘキサグラム・ギリシア語の数値の意)を示唆した数値に基付いています。つまり『日本神話』(秀真伝・神話)とは、此の、【秘儀数値・】を用い、在る意味を以て、「暫定的・歴年」を記す【神話・創作】の為にだけ用いられた【コヨミ】()に対し、用いられいた【秘儀数値】で在りました。

…然るに、漢字表記に言う【国家】とは、我が、日本の国だけに通じる用語で在って、他国の事情、つまり、他国の経済、予算等に関し、【○○国・国家予算】等と、【国家】の表記を当て嵌める表記、及び呼称(名称)を以て言う方式はは間違っております事、然りで在ります。然るに、我が日本の国の成り立ちは…《【奴隷制度の否定】の上に創建、建国されていた》…と言う事で在ります。

…従って、戦後(大東亜戦争後)に於いて、日本を貶める為に言う処の…「自虐史観的レッテル貼り」…が行われていたようで在りますが…我が日本国は、「神武天皇の建国以来、覇権主義国では決して無い」…と言う事を、確と認識する必要が在ります。


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