『万葉集』成立の謎解き | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

… 『万葉集(20巻本)』(806年成立)より少し早い年代に漢詩集『懐風藻(751年成立)』が作られていて、其の双方の書に大伴旅人は漢詩(懐風藻)と[ヤマトコトバの歌(万葉集)]を残している。其の『20巻本…万葉集』は、延暦2年(783年)頃に大伴家持の手により完成(20巻本)したとされるが、編輯に因る公的文書化は、其れから23年後の延暦25(806)年とするのが正しいと私は考える。而(然)るに、延暦4(785)年に大伴家持は死去するが、其の前年の延暦3(784)年に長岡京遷都(桓武天皇)に於ける藤原種継(長岡京・造宮使)が暗殺された事件に関し、大伴継人、大伴竹良が犯人だと判明し、2人は直ちに捕らえられ厳しい取り調べを受けた後に処刑され。そして、大伴家持も暗殺(連座)に拘わったとして『万葉集』の編纂は出来なかった。然し、恩赦により大伴家持の罪が許され、延暦25(806)年に『万葉集・20巻』は完成したので有るが、此処で重要な事は…「20巻本を以て始めて和歌集完成の義が成る(自説…『秀真伝』文中に其の謎解きの意が秘められている)」と定義すれば、【万葉集・20巻本】以前の文書作成の過程、つまり、釈契沖(江戸中期…真言宗の僧・古典学者)に言う「万葉集二度撰説(巻1~ 16迄&巻17~20迄)」の取り込みは適切ではない。其の問題の謎解きは、村上天皇の勅令に因る【梨壺の五人】(藤原伊尹…大中臣能宣…清原元輔 …源順…紀時文…坂上望城)に成す[後撰和歌集]及び【万葉集の訓釈】を思惟すれば自ずと其の答が出てくる。因みに、天暦5(951)年、村上天皇勅令に因って、[万葉集…訓釈]と[第2番目…勅撰集20巻(第1番目は古今和歌集)]の双方の事業(昭陽舎・梨壺に初めて撰和歌所が設置)が開始された事と、其の以前に成立している【醍醐天皇勅撰20巻本…定型詩(古今和歌集)】に起因して、其れ以降に始まる勅撰集が、何故、【20巻本】で無ければ成らないのかと言う処に、此の問題の謎を解くヒントが隠されている。