『黄槿の花の下で』から今日に至る迄について | 「伊万里」(佐賀県)から発信する日本の国語【ヤマト言葉】の始りに付いて!!

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★「日本建国創建史」に於ける【カシマ】(カバラ数価189/佐賀県鹿島の語元)は、Godヤハウェ(数価26)勧請に先立つ社殿(H・IKL数価65が家の語元)を守護する天使(サンダルホン数価280)を示唆する呼称であった!!

 此処に言う…『黄槿の花の下で』(1987・昭和62年12月31日・大晦日の夜…執筆完了)…とは、つまり、昭和時代の終わり頃の事、在る投稿募集雑誌の中に、「ま・な・び・す・と・大賞…昭和62年度…投稿募集」の記事を見付けて投稿した文書の事で有ります。其の文書には、私の幼年期頃の思い出に始まり、[松村和美さん]との[際会(byChance)…]に遭遇した事を中心的に記しました。

 [際会(byChance)]から三年後、彼女が結婚した事に因って疎遠に成りました。然し、在る処で偶然出会った時、…「彼女からのメッセージ的言葉」…を頂いた事を受け、心機一転、「幼年期から我が心の中に蟠る何か?の追求」に対し、更に専念した事に因って運命的な新聞記事(「鳥居の語源に定説無し」…梅原,猛氏)に接する事と成り、[我が…インナートリップの旅]に終止符(1986年8月…40歳)を打つ事が出来ました。

 過去を振り返えれば、我が辿った道(インナートリップの旅)を、再度思い返し、六五歳に到る迄の出来事を、簡単ながらも記録(2012・平成24年10月25日・木曜…現在)して置こうと思いました。何故かと言えば、高齢(現在65歳)に達するに連れ、自分の過去の出来事の記憶が段々失われていくのを自覚し出したからで有りました。それで、何故、私が『秀眞伝(ホツマツタヱ)』文書の研究を始める事と成ったのかと言う事を、此処に記す事と致します。

 
…其れは、「1977・昭和52年5月(29歳)」の時、「在る奇妙な夢」的な中での出来事でした。其の
奇妙な夢と言いますのは、「自分としては目覚めた状態をハッキリ自覚している」と言う状態に有りながら、其の体験中に於いても、自分は…「夢の中に居る」…とハッキリ認識している状態を保っていた、其の体験談とは…

 …「鬼が生息している」…と言う噂の廃寺に辿り着いた時、ハッキリ、「私は夢の中に存在している」と言う事を自覚しながら、イザ、廃寺の戸(如何にも古そうな引戸で有った)を開けて中に入ろうとしましたが、急に、恐怖感が襲って来ました。其処で、咄嗟に目を閉じて、「ウワー」と一人で大声を上げながら引き戸を開けて中に踏み込みました。そして、ゆっくり目を開と、外は明るかったにも拘わらず何故か家の中は真っ暗な闇の中で有りました。闇に少し目が慣れ、室内を見渡せば、在る部屋みたいな処に私は1人で立っていたので有りました。其の室内はシーン(ガラン)としていて、「人や鬼等の気配は全く無く」、唯1つ、私の背丈程の「縦に楕円形的円筒形」の真っ黒な大石が据えられていました。其の大石に近づいて良く見ますと、其の石全体は色々な形の記号(例えば凸版的形状の○△□等や奇妙な記号)が刻まれていて、知らぬ間に私は、其れが文字で有ると認識しながらスラスラと其の記号文字を読み込み、石の後ろにも刻まれていた記号文字をも読み終えた…と思った時、最初に読み込んだ記憶の順に従って、段々記憶が消えて行くのを憶えました。其れで、其の石に彫られた文字の内容を、イメージに置き換え認識する事に因って、私の脳裏に記憶させました。

 私の脳裏に刻み込まれたイメージ的内容は…「其の昔は由緒有る寺で有った」。そして…「其の由緒に従い廃寺と化した寺の再興を誰かに伝えてほしい」…等と書かれていました。そして、読み終えたと思った瞬間、私の側に一人の女性が立っていました。それで、其の…「文字の内容の事を誰かに伝える」と言う事の約束をしたと思ったら、何時の間にか私は一人で外を歩いていると言う状態で有る事に気が付きました。そして、其の当たりを見回すと、其処は何時しか、「応神天皇陵(大阪府羽曳野市誉田
…[誉田八幡宮の側)」近くで有る事に気が付いた瞬間、ハッと、私は現実的状態に戻って目を醒ました状態に成りました。従って…「普通に夢を見た」…と言う感覚では無く…「奇妙な ? 実体験をした」と言う感覚に陥っていた状態に有ったと言う事で有りす。

 …此の続きは、後日、時間の合間を見て記して行く次第で有ります。

 …と言う訳で、其の続きを今(2013平成25年2月28日)、書く事と致します…

 …「其の奇妙な夢体的な験から11年後1987・昭和62年…40歳)」…の、或日(年明け)の事でした。仕事の途中で、フト、図書館へ行きたくなり、仕事(其の頃は自由業的な仕事をしてました)を途中で放棄して羽曳野市立図書館(綾南の森)に行きました。

 咄嗟的な思い付きでの事で、図書館に言っても、イザと成ってみれば何の本が読みたくなったと言う事は無く、端から順に本棚の[本の表題(タイトル)]を見ながら、ゆっくりと、[展覧会の絵](ムソルグスキー編曲)のプロムナード的なリズム感覚に於ける、そぞろ歩き宜しく、本棚の前を、沢山有る本の[タイトル]を見ながらユックリと移動していますと、ハッと奇妙な表題タイトル)]が目に止まりました。其れは正しく、其の昔(11年前)、不思議な体験(奇妙な夢)での大石に刻まれていた彼の幾何学的な記号の[表題]で有りました。其れを目にした瞬間、「有った…」と私は我が心の中で叫んでおりました。

 其の本の[タイトル(表題)]は、幾何学的形状の文字で記されていて、其の本の中での説明書きでは…『ホツマツタへ)』(著者松本義之助)で有るとされていました。然し、其の本では、全体的な事が解らないので、全文が記載されている本が欲しく成りました。そんな折、新聞広告の欄に『秀眞伝』(吾郷清彦全訳限定版)を見付け購入した次第で有ります。松本義之助氏との接触(大阪市阿倍野区松虫通1丁目2-15自然社)の事に付いては、別のブログに記していますので、此処では省かせて頂きます。

 其の『秀眞伝』文書を記す[幾何学的形状文字](伊豫文字落合直澄の命名)に、私は、《【鳥居の語源を見出した》ので有りました。そして、《「クムラン出土聖書文字の中に千木の語元》を見出しました。然るに、毎日新聞夕刊記事に記載されていた…「鳥居の語源に定説無し梅原,猛氏」に接した事を以て、私は、其の時点で…[我がインナートリップの旅]に終止符を打った次第で有りました。