萩原健一『ショーケン 最終章』☆ | 書物と音盤 批評耽奇漫録

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萩原健一『ショーケン最終章』☆

 

今年3月に亡くなった萩原健一さん=ショーケンの最期の自叙伝。

 

自分の言葉で真実を語ろうとした、まさにショーケンの最後の肉声が収められた一冊。

 

前に書かれた自伝『ショーケン』には、事実と違う部分や言えなかったこともあったそうで、こちらが真実の最後の肉声ということになるようです。

 

2011年に人間ドックで入院し「ジスト」という病名を告げられ、手術で肉腫を切除。

 

ドラマとコンサート活動を本格始動し順調だったのに、4年後に再発し、医師から「萩原さん、5年がんばりましょう」と余命宣告を受ける。

 

それから抗がん剤治療を続け、"腹の中に爆弾を抱えているような状態で生きている"、そんな中、語られた言葉の数々。

 

これまでの人生を振り返り、

 

"10代はわけがわからなかった。

20代は芸能界に嫌気がさした。

30代はリハビリの時代だ。

40代はとても楽しかった。

50代は責任ばかり負わされた。

60代はやっと自分に気がついた。

そして70代を前にして、これまでお世話になったり応援してくれたりした人たちに心から「ありがとう」の言葉を贈り、最後に本当の自分を伝えたいと思った。"

 

と語られているように、年代ごとに心境や考え方が変わっていった推移が丁寧に語られています。

 

"幸運にも私は日本を代表する映画監督や演出家、脚本家、カメラマン、そして俳優と一緒に作品をつくる機会に恵まれた。

そこで学んだことは、この身体に刻み込まれている。"

とあるように、ショーケンは一俳優として演技していただけでなく、脚本や企画の段階から作品に半ば制作者として携わり、後年は自ら脚本や原案も書かれているので、まさに映画やドラマを一から作り上げてきた創造者でもあったと思います。

 

だからこそ、現状の変わってしまったドラマや映画の撮影現場の風潮に対し、

"本書に記すのはそのごく一部ではあるけれど、創造の現場に情熱とエネルギーが渦巻いていた時代の証言として、またそれをいまに生かそうとする模索の記録として読んでいただければと思う。"

と、一石を投じている、とても意義深い貴重な一冊でもあります。

 

つまりこの本は、御本人も語られていますが、単なるショーケン晩年の闘病記ではないです。

 

確かに病気に纏わることも随所に書かれていますが、寧ろ一人の創造者、表現者として言い遺したことを、先人が後世の人々に伝えている、真摯なラストメッセージ本ですので、かなり勉強になりました。

 

これから死に向かっていく人間の言葉なのに、どの言葉も創造性に溢れ、最晩年の言葉に至るまで生き生きしています。

 

ショーケンは最後の最後まで、前向きに「今を生きて」いたということが、とてもよくわかります。

 

"たとえ病におかされていても、私はつねに新しい表現を追い続けてきた。"

 

とありますが、まさに最晩年に至るまでショーケンは徹底的に表現者にして創造者だったことが読みながら如実に伝わってきます。

 

本の最後に、遺作となったドラマ「いだてん」の台本を読んでいる最晩年のショーケンの真摯な後姿の写真が掲載されていますが、この写真を撮影した奥さんの萩原理加さんは、

「これが萩原健一という人生をつくってきた、萩原敬三の真の姿です」

と言われています。

 

まさに、この言葉が、全てを言い切っていると思います。

 

この超真剣でひたむきな後姿こそ、ショーケン魂なのだとしか言いようがありません。

 

ショーケンは確かに若い頃から亡くなる寸前までカッコ良かった。

 

でも、それだけじゃなく、ショーケンを見ていると、自分とは全然違う、波瀾万丈で破天荒な人生を送っている人なのに、何故か親近感を感じてしまうんですよね。

 

"自分の中のショーケン"というものと向き合わざるを得なくなる。

 

その上、面倒臭い役者の序列だとか、業界での立ち位置や処世だとか、何なら役者道とかいう縛りすら超越してしまっている解放感をもいつも感じてきました。

 

それだけでなく、名優芝居をやって演技賞の常連になるような(どこか自分にはあざとい計算にも見える)今の名優さんたちの狭苦しいコードやモードからも解き放たれているような、独特すぎる魅力も感じてきました。

 

別に個人的には、似たような同じ役をドラマや映画の脇役として地味に演じ続けている渋いバイプレイヤーさんが好きなので、決して破天荒な個性のショーケンみたいな役者ばかりが好きなわけではないのですが、それでもショーケンを見てると、不思議と親近感を感じ、"自分の中のショーケン"と向き合わざるを得なくなり、いつも色んな意味で解放されるのですね。

 

勿論、それは親しみやすいアイドル的な役者が自由すぎる癒し系の芝居をしているからではありません。

 

それどころか、ショーケンは親しみやすいアイドルを自ら断固としてやめた人だし、いつも凄ざまじいまでに役にのめり込み、超真剣な芝居をしていました。

 

歴史上の人物を演じる時は、とことんまで資料を集めて読み込み、場合によっては歴史学者の教授を雇って、日本史の授業まで受けて役作りをしていたようです。

 

そして監督とはとことんまでディスカッションして、映画やドラマを作り上げていく。

 

もはや失われつつある製作スタイルであり、製作に賭ける苛烈な情熱です。

 

数作組んでいる工藤栄一監督が、ショーケンについて、

「仕事に関してはクソ真面目で、とことん行く男だから、人とぶつかる。まあまあがない」

と語られていますが、だからショーケンはよく現場でぶつかり、トラブルになったりもしたけど、その超真剣でクソ真面目な情熱がいつも映画やドラマを通してダイレクトに伝わってくるところに感銘を受けてきたような気がします。

 

そしてこの本は、その失われてはいけない情熱の重要性と、その息吹を、熱く伝えています。

 

ショーケンのライブ「熱狂雷舞」の時の衣装が、「探偵物語」の工藤ちゃん(松田優作)の衣装スタイルの原型だったという話や、それぞれの映画やドラマや音楽、またはライブに、どういう考えや意気込みや気持ちで臨んでいたかなど、様々な秘話が詳しく語られていますが、その言葉の中から、そうしたショーケンの熱い情熱が如実に伝わってきます。

 

"これまでは野良犬のようにハングリーで、嵐のように激しい人生だったけれど、生涯のパートナーを得て、そして深刻な病を得て、これまでとは違う生き方があることを初めて知った。

……病気になって、私は自分が持っている物や人間関係、こだわりのほとんどを捨て去った。

無駄な荷物を下ろして身軽になった自分をいまはけっこう気に入っている。

病気もまた豊かな人生の糧となり得るのだ。たとえ病におかされていても、私はつねに新しい表現を追い続けてきた。

病気かどうかにかかわらず、人は歳を取ればできなくなることが増えてくる。

しかし、それは工夫次第で乗り越えることができるし、新たに見出せることもある。

私に残された時間はそれほど多くはないのかもしれない。

しかし、それは以前よりも濃密な時間、深く穏やかに流れる時間だ。"

 

と語られているように、晩年は歳を重ねて、若い頃とは違うスタンスで生きられていたようです。

 

事件を起こして仕事がなくなった時に、映画製作にまつわる出資金詐欺のようなものに利用されたり、マネージャーに裏切られたり、「鴨川食堂」の若手俳優降板理由のことで悪く書かれたり(報道といかに事実が違うか、詳しく語っている)などなど、色々辛い目にも遭われたみたいだけど、やはりショーケンが亡くなる寸前までの、表現者&創造者としての超真剣な熱い情熱に、ご自身の肉声を通して触れられたことが一番感慨深かったですね。